素晴らしきかな人生 十七話

 尚隆が柳北国に滞在できる最終日。尚隆は娘と話をしようと、彼女を探していた。
「ああ、お嬢なら厩舎(うまや)でございます」
 使用人がそう教えてくれたのでそこへ向かうと、娘は少しよぼついた馬の身体を丁寧に撫ぜていた。この馬は娘が小さい頃ある騒動により尚隆が連れてきた。以来娘が大事に面倒を見ている。
(さて、こういう状況の時はどう話を切り出そうか?)
 尚隆は、その姿を見ながら様子を伺っていた。娘は無言のまま馬の毛並みを整えている。尚隆は、はぁーと大きく深呼吸をすると意を決して話をし出した。
「こいつは例の馬か?」
 娘がびくっと肩を震わせる。しかし娘は尚隆と目を合わせ辛いのかただ一点を見つめ続けている。
「大事に育てたんだな」
 気がつくと、尚隆は娘の隣に控え同じく馬の毛並みを整えていた。
「お前も、こんないい飼主に育てて貰って光栄な事だ」
 馬に聞かせるように言ってやると、馬はぶるるるるっと鼻息を立てた。尚隆は娘に向き直るときっぱりとした口調で申し出た。
「お前に見せたい物がある。ついて来てくれないか?」
 そして娘の手を引くと、自身の趨虞に連れて行く。
 二人を乗せると趨虞はふわりと宙に浮いた。
「しっかり捕まっていろ」
 趨虞は風を切って、空と舞踊す。娘は自身の肌に突き刺さる冷たい風に、父の身体に隠れるように身をひそめた。だがそこから垣間見る景色は、娘を幻想的な世界へ(いざな)った。
 たっぷりと敷き詰められた雲。
 そこから時より見える下界は遥か彼方。
 その壮大さに娘は、次第に心が軽くなっていくのが分った。
 と突然、趨虞はぐっと下降し尚隆の娘は下降時に起きる身体のえもいわれぬ浮遊感に聊か不快感を露にした。とにかく振り落とされぬよう、娘は尚隆の着物を握っている手に一層の力を込める。
 趨虞はとある小高い丘に降り立った。先に尚隆が地面に降りると、今度は娘に手を貸し彼女も地面に降り立つ。同じ姿勢のまま緊張した状態で身体を強張らせていた娘は、一瞬よろついたが何とか体制を持ち直し、緑生い茂る大地に立つ。
「ここは?」
娘がいぶかしむと、尚隆はすぐ近くに聳え立つ大木の前に立ち伸びをした。
「ここは……そうだなぁ、俺とお前のかぁさんの、ちょっとした秘密の場所って所だな」
「秘密って何?」
 娘が迷いもせずそう聞き返すと、尚隆は不敵な笑みを浮かべた。
「秘密は聞いちゃいけないもんだと思わないか?」
「……あっ、そう、ね。うん、ごめんなさい。もう聞かない」
 娘がしゅんとすると
「そして、今日の事は俺とお前の秘密、な」
 見れば尚隆が片目をつむり娘の肩を抱く。尚隆の懐に抱かれて、娘は安心感に包まれるのだった。
「随分と大きな木」
娘が視線を目の前の大木に移ししげしげと見ていると、
「そうだな。ここはあいも変わらず気持ちのいい風がふく」
 娘から離れ、大木をぽんと叩き満足げに笑う尚隆があった。
「そろそろだな……」
 人知れず尚隆が呟くと
「えっ」
 心地よき風に蘇芳色の髪を弄ばれ、娘は手で髪を掻きあげ聞き返す。
「いや、何でもない」
 尚隆はそう言うと、ごろりと横になり天を仰いだ。
「お前も寝てみるか?気持ちがいいぞ」
 誘われるまま少女も、尚隆の隣に遠慮がちに座る。
「ほら、遠慮せず寝てみろよ」
 尚隆に手をとられ半ば強引に横にならされた娘は、ひんやりと冷たい草の感触に驚きつつも次第に落ち着いていった。
「ほんと……気持ちいいかも」
「だろ?」
 見上げればそこは先ほど走った、青い空。
 そのどこまでも澄み切った青に、娘は心安らぎ目を伏せる。

 はらり…… 

 突如舞い降りた桃色が、娘の鼻を擽る。

 はらっ……、はらっ……

 一枚又一枚と、落下する色彩豊かな…。

「これは?……えっ!花……び、ら……?」
 娘が驚き目を開けると同時に突風が駆け抜ける。すると相当な量の花々が狂い舞い、二人の居場所を目掛けて落ちていった。むせ返るほどの芳香に二人は息をのむ。風に煽られた花弁は、娘の視界を妨げ幾重にも幾重にも地面に降り積もっていった。それでも娘が目を凝らして良く見ると、遥か天空からその花々は撒かれている様である。
 娘は聞かずには折れなかった。
「これは、お父様が仕掛けた事なの?……と言うか、何をどうやればこんな芸当が出来るの?」
 尚隆は娘の質問には答えず
「これはな。知り合いが大事な奴の就職祝いの(はなむけ)にしてやったそうだ。それを聞いて俺もやってみたが。どうだ、気に入ったか?」
と言って一人、ある男の話を思い出す。

――まぁ、僕の場合、あの子に「馬鹿じゃない?」って、軽くあしらわれちゃったけど。まんざらでもない顔はしていたと思うよ。だからさ風漢、機会があったらやってみればいいじゃない――

 嫌味な位爽やかな笑顔が似合う男は語った。
 あれは自分と同じく、長く常世を生きる男。大事な奴の餞とは、これから呆れるほど長い時間を自国の民の為に働かねばならぬ者への男の優しさ。
(まだ童女と聞いた。いろいろ思う事もあるが、あいつなりの派手な励まし方なのだろう。しかし、馬鹿馬鹿しいと捨て置いていたがとうとうあいつの戯言に乗るなんて。……俺もやきが回ったのか?)
等と当初尚隆は思っていたが、見れば隣に控えている娘は驚きつつもその目が輝いている。
 どんな事でもいいから、娘を励ましてやりたかった。その一念でこの計画をある者に依頼した。ある者とは尚隆と長き時を供に過ごし、尚隆が心から信頼をしている協力者。遥か天空ではその協力者が大量の花をばら撒いている。
「……ったく、何で俺がこんな真似をしなきゃいけないんだ。そろそろ帰って来いって迎えに来てみれば、いきなり花屋に連れて行かされた。そこで花をあるだけ買わされた挙句に、これを花弁だけにして、指示した場所にぶちまけろと言う。何だかんだ言っても俺が断わらないと踏んでいるんだ、あいつは」
 獣型に転変した六太は、ブツブツとぼやきながらも一緒にこの計画をさせられている彼の使令、沃飛が持っている花々の袋の口を、器用に口で押し開く。
「……しかしながら、それは当たっているのでございましょう?」
 沃飛は僅かに口角を上げ、含んだ顔をしながら六太に問い掛けた。すると六太は困った様に押し黙り、それからポツリと呟いた。
「ああ、そうさ。俺は、あいつが喜ぶ姿が結局見たいんだ」
 言った六太の顔が照れながらもどこか満足げなのを沃飛は見逃さなかった。
 そんな天空のやり取りなど点にしか見えない程、遥か下では乱舞する花々の中まだ不思議であると娘が、しつこく疑問を尚隆に投げた。
「ねぇ、お父様は一体……」
「細かい事はいいじゃないか」
 尚隆はもう一度ごろんと横になり、大の字に身体を伸ばした。あんなに舞い降りていた花々は漸く落ち着きを見せ、風で煽られた芳香が二人の周りを取り囲む。
(又だわ。これ以上は聞いてはいけない様な空気を、お父様はお作りになる)
 娘にとって尚隆の素性は、実際良く分らない。前に確認をしようと、娘は女に尋ねた事があった。だが女はただ笑うだけで、のらりくらりと答えを誤魔化すだけである。益々父親の素性が気になってくる娘ではあったが、両親のこの態度に、それ以上の詮索がなぜか出来ないでいた。
(別に知らないで困った事はないけれど。でも、やっぱり……)
 そう考えていると突然
「俺が何をしていようが、お前の父親にかわりはない。そうだろう?父親が子の為に奔走した。それでいいじゃないか」
 娘の戸惑いを察した様に、尚隆は語り瞳を閉じた。娘はふぅと深い深呼吸をすると、尚隆の隣に寝そべった。(又聞けなかったけれど。でも、そう、ね。私にとってお父様はお父様だもの。この楽しい時間をくれた。素敵な……)
 ふんだんに敷き詰められた花弁は、しっとりと冷ややかだった。その香りに埋もれているうち、娘は、ここ数日沈んだ自分の気持ちが軽くなっていくように感じていった。
 娘は尚隆を盗み見る。
 尚隆は余計な詮索は一切せず、隣で黙って付き合ってくれている。
 それが今はこの上もなく嬉しかった。


(似た様な事をこの木の下で言った事があったなぁー)
 尚隆は過去を振り返る。それは何年か前。尚隆はこの木の下で女に夫婦になろうと宣言した。女は他国の人間である尚隆が、自分と婚姻出来ないだろうと言った。確かに女の言うとおりである。その為に、女の父親は、当時の世の腐敗に手を貸し、莫大な金を使った。だが、それを女には伝えなかった。子可愛さにした事とはいえ、真実を聞いた時の女の気持ちを思うと全ては語れない。世の中知らなくていい事は多々ある。尚隆は、自分の素性についても今急いで語る事では無いような気がしていた。女はこう語っていた。娘には当たり前の幸せを、と。それが上手く機能している現在、わざわざ波風を立てなくてもいいのではと尚隆は思っているのだった。
(まぁ、俺の素性を知ってこの子がどう思うのか。それが怖くて語れないというのが本当なのかもしれないが。とにかく今はその時期ではないと思う)
 尚隆は思い巡らし苦笑いする。
(本当に子の事となると父親は、普段しない行動を起こしてみたり、反応が怖くて臆病になってみたりと忙しい生き物だな)


 暫くして娘はくすりと小さく笑うと、小声で話し出した。尚隆は娘の告白に少々眉根を寄せたが、そのまま聞き入る事になる。

「私、好きな人がいたの」
「……そうか」
「でも、振られちゃった」
「その男は今頃心底後悔しているな」
「そんな事無いわよ」
「いや、している。なにせお前は俺の自慢の女だ」
「また、お父様ってば」

 二人は心行くままに、隣にいる相手との時間の共有を楽しんだ。


 尚隆が玄英宮に戻る日の朝。帰り際尚隆は見送る娘に尋ねた。
「なぁ」
「ん? なにお父様」
 いつもと変わらず華やかな表情が、尚隆に向かって笑いかける。
「お前は俺をどれ位愛しているのだ?」
 娘は、きょとんとした。尚隆を見返すと、彼は腕組みをし真剣な面持ちで娘の答えを待っている。何ともおかしな光景だと娘は思った。
 それから娘は今日も美しい螺旋状の巻き髪の後れ毛を、人差し指でくるくると気にし出した。娘が考え込む時の癖である。彼女はこの答えをどうかえそうか考えを巡らした。暫くして尚隆にぎゅーっとしがみつく。
「そうねぇ、この位、かな」
 娘からの思いがけない抱擁に、尚隆はいまだかつてないくらいにや付いた顔になる。つい調子に乗って言ってみた。
「で、お前が好きだったとか言う男はどれ位愛していたんだ?」
 途端に娘はぽーんと手を離し尚隆を突き飛ばすと、見る見るに真っ赤になっていった。
「……分っていた事だが、その慌てぶりを実際見ると正直凹むな」
 尚隆は大げさにがっくり肩を落とした。が、娘の成長をしっかりと見届ける事が出来たと尚隆は十分な満足感に浸り、玄英宮へと帰っていった。

蛇足
尚隆に花弁をばら撒くネタを提供した御仁は利広です。
相手は珠晶。当然ですが、これは私が勝手に作った捏造です。
その捏造話は「」と言うお話で書いております。

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2006.2初稿
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