恭州国は霜楓宮(そうふうきゅう)
 ここは二十七年主の不在が続いていたが、この度漸く主を迎えることになった。
 その主は利発な風情を全身に漂わせているが、若干十二歳のまだあどけなさの残る少女。字を珠晶と言う。
 珠晶が従える家臣は彼女より長く生きてきた者らが大半で、一応平静を装ってはいるものの心落ち着かないという事がありありと感じられた。
 それは珠晶が王に納まって一年以上たった今でも燻り続けているらしく、彼女の心を少々沈ませている。
 供麒は珠晶を心配し幾度となく声をかけているのだが、肝心の珠晶から「何でもない」と言い切られてしまうと、そこから先はもう何も言い出す事が出来ずに悪戯に気をもむばかりだった。


 珠晶は自分を心配してくれている供麒に対して上滑りな言葉しか自然に流れない現状に苦みばしった思いをしていた。
 だが今供麒がもっとも知りたい珠晶の本音を語ってしまえばどうなるというのだろう。
 元々は周囲に対するやり場のない怒りに任せての昇山だったから。実際に一国を背負わされる事になって途方にくれているのだと白状すれば、優しい供麒はどうする。共に落ち込み悲哀の色が増すばかりなのではないだろうか。
 そう思うから珠晶は弱音を吐かない。だが閉じ込めた不安がそのまましぼむ筈もないのは明らかだった。


 奏南国の太子利広が面会にきたのはそんなある日の事。 
「この前こちらに来た時は慶賀の使節としてだから……半年という所かな。で、その後はどう」
 人好きのする細工をもった顔が更に爽やかに微笑み珠晶に訪ねる。珠晶は返答に困ってしまった。
(だってなんて答えればいいのよ。まさか供麒にさえ打ち明けてないのにこの人に言えるわけがないでしょう)
「どうって言われても……」
 目の前にいる利広が望むであろう模範的な答えを画策しようとしているのに、心がそれを拒否している。そんな気分に陥っている為か珠晶の口内から唾液が引いていく。傍で控えていた供麒は珠晶がなんともいえない面持ちで固まっているのに、どうしてよいか分からずおろおろとした表情で見ているばかり。
 不安定な沈黙が漂い始めた頃、ふいに利広が満面の笑顔を貼り付けて口を開いた。
「星彩だよ。お利巧にしてくれているかな」
 言われて珠晶ははじかれたように利広を見た。そして触れられたくない話題ではなかった事に安心すると流れるように言葉を返す。
「ああー星彩ね。とてもいい子にしているわ。ここに来てからまだ乗せて貰った事は無いのだけれど。時々様子を見に行っています」
「そう」
 利広は珠晶の返事をさらりと受け流すかのように頷くと、近くに控えていた者に目配せをした。
「私がこちらに届けようとした物を持って来て貰えませんか」
 利広が何を用意してきたのか見当もつかず珠晶が固唾をのんで見守っていると、暫くして珠晶の前に華やかに飾られたくす玉が現れた。
「まぁ、なんて可愛らしいのかしら。どうも有難う。飾らせて頂くわ」
「うん、そうだね。飾って貰えるとこれを作らせた我が妹も喜ぶよ。でもその前にね……少し窓を開けてもらっても大丈夫だろうか」
 言って利広は悪戯っぽく片目をつぶった。
「窓?ええ、別に構わないけれど……。誰か。卓郎君の言われるとおりにして貰えないかしら」
 珠晶が告げると、程なくして窓が開き外からの麗らかな風が舞い込んできた。
「有難う。これで準備はいいかな。さぁ珠晶。このくす玉の先にある飾り紐を引いてごらん」
 利広に言われるまま珠晶がくす玉の先にある飾り紐を引く。
 するとくす玉の中から飛び出したのは薄桃の花弁。珠晶の手には抱えきれないほどの数多の花弁が、先ほど開けさせた窓からの風に舞い踊っている。
 舞い上がる風巻(しまき)に立ち昇る、まさにそれは桜吹雪。珠晶は目の前で繰り広げられる桜の舞に暫し見惚れる。
 利広は小さく笑いながら口を開いた。
「いつだったかな。珠晶が『桜吹雪は見たことが無い』って言っていただろう。だからね妹に頼んで作って貰った。本当は生の花弁を用意したかったけれど運ぶ途中で折角の薄桃が台無しになると言われてね。これは今年散った桜の花弁を乾燥させ色止めをしたんだそうだ。実はこれ、君の就職祝い。桜の花弁が手に入るまで待っていたから少々遅れたけどね。どう、気に入ったかな」
 利広が話している間も桜の花弁はあちこちで宙を舞い、利広の緩く結わえた髪にも花弁がいくつか纏わりついている。それを優美な仕種でつまみあげながら
「でも後で片付けさせるのに苦労するかも」
と肩を軽く引き上げおどけてみせた。

 珠晶は自身の衣装にもついた一片の花弁を丁寧につまむと記憶の糸を手繰り寄せる。
 確かに以前珠晶は利広とそんなやり取りをしている。何かの話のついでに桜の話題が出て、珠晶は生まれてから一度も桜吹雪を見た事がないと利広に語った。
 珠晶が玉座に収まるまで恭州国は二十七年もの長い間、天のご加護を受けてこられなかった。故に花は芽吹くのがやっと。吹雪くほどたわわに花開いた桜木など珠晶が唯人として生きていた頃には皆無だった。

 珠晶は目の前にいる男をまじまじと見つめた。
 きっと利広には今の珠晶の不安など見透かされている。見透かされていて尚わざと気付かぬ振りをして対面してくれている。嘆き哀れむ訳にはいかないから。
 取るに足らない小さな話題を利広は覚えてくれていた。そしてこのような形で珠晶に披露してみせた。きっとこれが利広なりの励ましなのだろう。珠晶の胸に暖かいものが込み上げてくる。


「……馬鹿じゃないの?」
 ぼそりと珠晶は呟いた。
「えっ、何か言った?」
 利広が聞き返すと
「ばっっかっじゃない!!」
と珠晶は精一杯大きな声で毒づき、傍にあった沢山の桜の花弁を利広に投げつけた。しかし丁度その時巻き上がった風巻が行く手を阻み、無常にも花弁は珠晶の元へ。中には数枚彼女の口に収まったものもある。
 今まで黙って見ていた供麒はその様子に、とうとう溜まらず噴き出してしまった。すると
「供麒ぃ!」
と珠晶に睨まれた供麒は小さく消え入るような声音で
「申し訳ございません」
と詫びる。
 二人のやり取りは利広の笑いを誘うのには十分で、彼は大爆笑をすると珠晶と供麒も顔を見合わせ声を上げて笑った。

 利広が届けた就職祝いの餞は、皆の間でいつまでも優美に舞い踊っていた。




夢幻夜話さま主催 2010「十二国」桜祭に投稿させて頂きました。

やっと書けた…。
実はこの話元々は「素晴らしきかな人生」の十七話から派生していて、前からネタだけは仕込んでいたんですよ。でも何だかいろいろ引っかかる部分があって、それを解消できないままずっと書ききれないでいました。
ところが先日久しぶりに桜吹雪をまともに見る事が出来てその美しさに刺激された所、今まで引っかかっていた部分が私なりにこじつけられそうな気分になって参りまして。漸く形になったかな?と言う次第。百聞は一見にしかずという例えとは微妙に違うけれど、まぁね。悩むより一度見てみろというところなのでしょうか。
お陰さまで長年お蔵入りし続けた話がこの度昇華できた事。更には今年も未生さんの桜祭に参加できたという意味では、喜びもひとしおです。
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2010.4 初稿 
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