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尚隆は頭を抱え込んでいた。
「畜生。もう俺は、賭ける物がなくなってしまったではないか」
翁の戦術は見事なものだった。尚隆は、負けて支払いが続いた金銭を取り戻そうと何度も挑み、そして一銭も残らず吐き出す事となってしまった。周囲でこの対局を観戦していた男らは、やいのやいの騒いでいる。
「俺だったら、あそこで、ああはしねぇよ」
「偉そうに。お前は先日、爺さんにこっ酷くやられただろ」
「誰か爺さんを打ち負かす奴はいねぇのかい」
その様子を、翁は満足げな笑みを浮かべて楽しんでいる。
「大体、相手からとった『こま』を自分の『こま』として使えないなんて、やりにくいったらないなぁ」
地団太を踏んでいた尚隆がそう漏らす。
それは、蓬莱の、将棋で使われる独特の『こま』の使い方。尚隆は隠そうとしていた話を思わず知らず吐いてしまった。翁の眉根がぴくりと歪み、静かに返した。
「敵の『こま』を捕らえたという事は、敵陣の兵隊を討ち取ったも同じじゃろ。言わば息の根を止めた様なもんだ。復活は愚か、寝返って相手の『こま』として働くなんて考えられないじゃなかろうか。……お前さん、つくづく面白い事をいう奴じゃ」
翁が『こま』をかき集める。滑らかな玉の感触を楽しみながら改めて口を開いた。
「――お前さんと遊ばせて貰って感じたのじゃが。お前さんただの遊び人じゃないな。兵法の何たるかを、多少は心得ている様に見受けられる。……いかがじゃな」
尚隆は何事も無い無かったかの様に、傍にあった茶器に手を伸ばした。すっかり冷え切った茶をごくりと飲み下すと、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「爺さんこそ。いくら遊びとは言え、ここまで強いのは不思議だろ。……こういう遊びって言うのは『こま』を動かしながら相手の思慮を推し量る。爺さん、あんた昔、何かしら官吏の仕事に関わっていたな。しかも夏官辺りだ。……そうだなぁ、爺さんの感じからすると人に指示を飛ばす事もしていただろう。どうだ、当たっているか?」
尚隆の言葉に周囲の者らも興味を持ったのか、静まり返り翁に注目する。翁は「ほほほほほっ…」と、やや掠れた声を出し面白そうに笑うと、軽く伸びをして目を伏せた。
「……もう、記憶の隅に追いやった話じゃよ」
「今はこんなによぼついているけどな、儂はこれでも昔は腕っ節が強かったのよ。頭もちいとばかり良かったのでな。官吏にはそう苦労することなく入れたのさ。で、配属先はこの国の夏官」
「へぇ、爺さん、上に勤めていなさったのかい?」
周囲の男の一人が、感嘆の声を漏らし空を指し示す仕草をする。上を指し示すは、即ち国を司る王と国府の事であると、そこにいた他の男らは容易に想像がついた。翁はその声が聞こえているのかいないのか、全く自分の喋る間合いを崩す事無く後を続ける。
「上役に目をかけて貰っていて、よく遊びの相手をさせられたよ。そんな訳でこの遊びを知ったのじゃ。これは上役が更に昔、山客だと名乗る商人に教えて貰ったそうじゃが、今となってはそれもよく分からぬ。この遊び、儂には肌が合っていたようでな。すぐに習得し、上役のいい対局相手としてよく借り出されたものじゃった。今思えば、のんびり玉を動かしていたあの頃が、一番楽しかったかもなぁ」
翁の落ち窪んだ目が、郷愁にかられ、聊か柔らかい表情を見せる。
「この上役じゃが……。遣えていた始めの頃は実直なお方であったが、どこをどう間違えたのか、だんだん堕落していってしまった。それを見るに耐えなかった儂は差し出がましい事は承知で、愚見を申し上げたのじゃ。……馬鹿だったな。儂なら上役の事を止める事が出来るかも知れぬと、妙な奢りがあったのじゃろう。儂こそ上役に近い存在だと勝手に思い上がってた。……実際はちょっと遊びの相手を賜っていただけ。それ以上の関係等、ありはしないのに……。結局、上役は儂の愚見には耳を傾けようとしなかった。そればかりか儂を鬱陶しい存在と位置付けてしまったよ。以降儂は役職は与えられているが、それは名ばかり。上役から見放された儂に出世の道は無く、これまであった権限も一切無くなった」
一同は、翁の話に耳が離せなくなった。茶房は、翁の皺がれた声の、淡々とした語り口だけが静々響いている。
「とは言え、儂はそれでもその上役の部下として周りから見られている。儂はそんなもんじゃと思っていたよ。寂しい事じゃけどな。……さて、恐れていた事は突然起きるもんじゃな。上役の不正が、とうとう露見してしまった。その後あっという間に上役は処罰され、部下だった儂も処分は及ぶ事となった」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待てよ。爺さんは、意見したんだろ?だったら処分なんか関係ないじゃないか!!」
堪らず、周囲にいた一人の男が野次を入れる。尚隆は腕組みをし、ほうっと息を吐くと目を細めた。
「そこまで詳しく見る必要はないと言う事だろ。その上役に『遣えていた』と言うだけで、爺さんは処分された」
翁は思い返すも悔しいのであろう。片手拳がわなわな震えていた。だが翁はそれをもう片方の手でぐっと押し留めると、全てを飲み込んだ穏やかな表情となった。
「……まぁ、そういう事じゃ。儂は官を追い出される事になった。仙籍も当然剥奪された。……いろいろあったよ。苦渋を舐めた事がどれだけあったか。だがそれでも儂は生かされている。爺(じじい)にはなったが、こうして若いもんに構って貰うのが、今じゃささやかな楽しみじゃよ」
尚隆は茶をすすった。茶は誰かが足したのだろう。前に残っていた茶と温度が混ざり合い人肌な生暖かさである。そしてゆっくりと口を開いた
「……これは、俺が聞いた話なんだが……」
「雁州国に、院白沢という男がいる。彼はその昔、雁州国は元州の
「ちょと待った。『しゅうさい』『れいいん』ってなんだ?」
周囲にいた男らが、訳がわからぬと言った顔をする。
「ああ、難しいな。何せ直接、儂らには関わりのない事じゃ。簡単に説明してやるかの」
翁が僅かに居ずまいを正すと、周囲の男らも腕を組みかえる等して改めて聞く体制を整える。
「さて。州侯っていう儂らにとって身近に偉いと感じるお方が居られるじゃろ」
「ああ、いるなぁ。いるいる」
「俺らに取ってみれば、州侯様の一声で、生活が一喜一憂するみてぇなもんだ」
翁は周囲の男らの呟きを頷きつつ先に進める。
「その州侯を補佐しているのが、令尹じゃ。州の中に存在する、六官を束ねる役職にある。そして州宰っていうのは、州六官の一つ。州侯らの身の回りの世話を統括するといった所じゃな。なぁ、これでいいか?お前さん」
翁は昔の記憶をたどり、周囲にいる男らにわかるよう噛み砕いて説明する。尚隆はばつが悪そうに少し笑った。
「有難う爺さん。話をせかし過ぎてよく説明もしなかったな。州宰、令尹は、まぁ、そんなもんだ。さて何となく分かった所で話を戻すぞ。普通州は州侯が王の命に従って統括するんだが、令尹の父である州侯は、病に冒されていてまともに
「へぇ、その男、偉く血の気が多いんだな」
又周囲の男らの言葉が飛ぶ。流石、翁との対局を飽きもせずにああでもないこうでもないと、薀蓄を語る男らである。男らなりに話を理解しようと必死である。その空気感が尚隆の心を擽る。ついつい多弁になっている己に苦笑いをしつつ、話を続けた。
「いや、又微妙に違うな。王をどう思っていようが、謀反は大罪。院白沢は、その場で討たれる事はもとより承知。ぜんとある若者らに任せるよりは自分が、と願い出たんだ。王はその心意気と、何を言っても動じぬ肝のすわり具合が印象的だったそうだ」
「で、で、その『はくたく』っていうじいさんは殺されたのかい?」
「王と『れいいん』どっちが勝ったんだよ?」
周囲の男らは、早く早くと尚隆をせかせる。尚隆はそれに押される様に話を進める。
「その時、天はまだ王に何かをさせたかったんだろう。天意は王にあった。院白沢も又、この後令尹の爆走に一抹の不安と疑問を感じ、ほれ爺さん、あんたのように進言したんだけどな。令尹には汲み取って貰えなかったようだ。そして、謀反は失敗に終った。その後院白沢は、処分がどうこうと言う前に、官吏を捨てる覚悟をしていたらしい。だが……」
「だが、何だよ。勿体つけないで教えろよ」
周囲がどよめき立つ。
その中心にいる尚隆は、それをぐっと見渡すとゆっくり話し出した。
「王は院白沢の処分は愚か、国府で働くよう促したそうだ。そして今じゃ、国の中核を担う役職についている」
ひゅぅっと、口笛が周囲の男らの中から聞こえた。
静かに聞き入っていた翁は、目を伏せたまま動かない。が、暫くして重い口を開く。
「確かに院白沢という男、ものの道理を見極めるのに たけた男なのかもしれん。じゃが仮にも一旦敵だった男。普通なら考えられん。逆賊として処罰されぬどころか国府に来いだなんて……」
「奴もそう言っていた『騒動を起こした者に遣えていた自分をかように重用する等と、私には王のお考えが想像つきかねます』と。俺はこう返してやった。『見所のある者を、敵だった味方だったというだけで使えないとは、つまらんと思わないか?』と。丁度この『こま』みたいなもんだよ。敵からぶんどった『こま』を、使いどころが必要な時は、味方の『こま』として遣う。それが結果的に良い働きをする事がある。……そんなやり方も、俺は悪くないと思っている」
周囲の男らが口々に言い出した。
「いよっ、あんちゃん。いい話聞かせて貰ったよ」
「俺はさぁー、今まで政なんざぁ、ちっとも興味がなかったけんどよ。王様って奴はやっぱすげぇな」
そんな中、翁だけが、尚隆の言葉に違和感を感じていた。
(『奴もそう言っていた』って。『俺はこう返した』って……。まさか、こやつ……。いや、このお方は……。……ははっ、まさか。そんな筈はあるまいて)
翁は芽生えた疑問を無理矢理ねじ伏せ、改めて尚隆に語った。
「それにしてもやはり雁州国。大王朝を統括する王である故、器が違うという事か」
「いや、ただ単に風変わりなだけかもしれんがな。それでも天が良しとしているのだから、きっと良いのであろう」
翁の疑問に気付いているのかいないのか。尚隆はにやりと不敵な笑いを見せ残った茶を豪快に煽った。
女と尚隆の子が行方不明になり、女の店の者らは店を直ちに閉め使用人らを総動員して捜索にあたった。馬子も血相を変え探す事になるのだが、彼は少々心辺りがあった。それを信じ市井を足早に駆けていると、一際騒がしい茶房を見つけた。馬子はどこか胸騒ぎを感じ、その茶房を覗いてみる。
「ああ、風漢さん!!」
馬子はいても立ってもいられなくて、周囲の男らをかき分けて尚隆の近くへ行く。
「何、のんびり茶なんか飲んでんですか!お嬢が、お嬢が、いなくなった!」
その途端尚隆の顔に緊張が走る。
「何。あいつが、攫われたって言う事か」
「そうは言ってないだろ。だが可能性も少なくない。風漢さん、そんな更に怖い事考えんなよ。とにかく一刻も早くみつけねぇと。旦那様は狼狽してしまって手がつけられねぇよ。風漢さん、何で最近来ねぇのさ」
馬子は尚隆に会って泣き言が言いたくなったのだろう。つい尚隆をなじってしまう言葉が口から滑る。
「……悪い、悪かった」
尚隆は暗い表情のまま小さく呟いた。
と同時に馬子が、がくっと膝をついた。
「おい、どうした!」
尚隆が駆け寄ると
「いや、なんでもない。……ははっ、歳はとるもんじゃないな。俺は……はぁ……体力には……はぁ、はぁ……自信があると思っていたんだけど、な。……んっはぁ……それとも風漢さん、あんたの顔を見たら……はぁ、はぁ……緊張の糸でも切れたかな」
馬子は肩を上下に酷く揺らし、荒い呼吸を繰り替えす。
「少し休まれた方が宜しかろ」
先程まで尚隆の相手をしていた翁は、そう言うと周囲の男達に目配せをした。男らは椅子を何脚か固めた後、馬子をかついで座らせるとこう声を掛けた。
「まずそうだったら横になってもいいぞ」
尚隆もその意見にはすぐ同意し馬子に告げる。
「後は任せろ。必ず見つけ出してやる。なぁ、少し聞きたいのだが。お前は一目散にこの道を駆けて行く様だったが、何かあてでもあるのか?」
誰とも無く冷えた水が手渡され喉を湿らしていた馬子は、一呼吸置くと口を噛む様に話した。
「南東の方角じゃないかと思う。お嬢は多分そこをひたすら真っ直ぐ歩いている」
「……南東……か。よし分かった。一先ずお前の言う事を頼りに探してみる。お前はそこで寝ていろ」
「俺も行くよ。俺はお嬢が心配で堪らないんだ。俺にも行かせてくれ」
馬子の願いに尚隆が戸惑っていると、翁が馬子の肩を軽く叩いてやった。
「そのお嬢ちゃんを早く見つけたいのであれば、ここはこの男に任せるのが、得策だと儂は思うぞ。……そのう……悪いが……。お前さんは、もう既によろよろじゃ。それでは返って足手纏いになる、と、思わないじゃろうか」
落ち着き払った口調でもっともな事を言われてしまった馬子は、後が続かず押し黙ったまま下を向いている。尚隆はその場を立ち上がると翁に頭を垂れた。
「爺さん悪いな。そういう訳でいろいろ火急の用事が出たからこれで失礼するよ。友人はここへ置いていく」
そして茶房の店主を呼んだ。
「すまないが友人を預かってくれ」
店主は無言だがしっかりと首を縦に振って答えてくれた。尚隆はそれを確認すると、飛び出す様に茶店を出て行った。
「そこで控えておるであろう。沃飛」
尚隆は、周りに人がいない事を確認してから地面に向かって命令をした。すると尚隆の感覚にだけ伝わる、明らかに
「……はい。主の命である故」
「六太か。あいつも用心深くなったものだ。……まぁその背後に、別の奴の入れ知恵も見え隠れしていなくも無いが」
尚隆が、口角だけ少し上げて笑う。沃飛と呼ばれた声の主は、尚隆が誰を指してそう言ったのか大体見当がついたが、努めて黙っていた。
沃飛とは、六太が使っている使令である。麒麟は元々血に弱い為、我が身を守る方法として妖魔を使役する。その妖魔を使令と呼ぶ。使令は
以前、尚隆は行方不明になった。その上記憶障害に陥り発見が遅れたという事実がある。その時尚隆には使令は付けていなかった。尚隆が武道にたけている為、多少の事なら何とかなると、たかをくくった結果だった。だがそのお陰ですぐ尚隆を見つけられなかった事を悔やんでいる六太は、以降使令を控えるようにしていた。
尚隆は早口で先を進めた。
「控えていたなら事情は分かるな。すぐ探せ。俺も馬子が言う南東の方角をあたってみる」
「御意」
声はふっと消えて無くなり、地面は通常のまま乾いた土と化していった。
補足という名のうんちくもどき…いや、言い訳かもな
尚隆と翁が遊んだ遊びの元ネタは、象棋(シャンチ)という中国将棋。
でも、私は象棋はおろか、日本の将棋さえも良く知らず、大まかな資料だけで、適当にでっちあげてます。
ええ、又…で、す。一応、そうと言い切らないようにぼやかした表現をしております。
それを一言お断りして、先を進めます。
この二つの遊びの大きな違いの一つに、象棋は取った駒を使うことはできませんが、
日本将棋は取った駒を味方の駒として、再び使うことができるという事があげられるそうです。
これは、日本で現在の将棋がほぼ完成したのが、丁度戦国時代にあたり、その時代背景も受けて、
そういう発想が生まれたと考えられます。因みにこれは、日本オリジナルで、世界にある似たような遊び(チェス等)にはないルールです。
今回この部分が面白いなぁと思い、そこから妄想を致しました。
お詳しい方からお叱りを受けないか、心配な所ですが、何分戯れ言の世界と見逃してやって下さい。