素晴らしきかな人生 十一話
 
「そう……か。それが、お前達の決めた事なのだな」

 女の父親は娘が尚隆の元へ行かないと決めた事を複雑な表情で聞いていた。
 正直な所、どこかほっとしていた。何がどうという訳ではないのだが、娘が王の寵妃になるという事はそれまで想像だにしていなかったので、恐れ戦いていたのだ。
(普通に婚姻し独立するのとは訳が違う。娘が私の知らぬ所へ行ってしまう。そして全く違う時間の動きを歩む事になる。それを受け入れる度量を……私は持っていないらしい)
 女が努めて明るくしている様子が痛々しい。その笑顔が苦味みばしった作り笑いにも取れ、改めて娘可愛さに犯してしまった自分の行為を後悔してしまうのだった。思えば女が尚隆と出会う前女の父親は女の恋愛について干渉する事はなかった。
「ゆっくり、探せばいい」と。
 ところが女が初めて心惹かれる男性と出会いそれが魅力的な好青年であった為、女の父親は欲が出た。娘の子が見たいと。この手に抱いて、頬に、指に触れたいと。だから多少無理をしたが二人を結ばせた。街で遊ぶ子供をどこか羨望の眼差しで見ていたがすぐに自分達もと思うと楽しみで仕方がなかった。実際女と尚隆の間に卵果が育ちつつあると聞いた日、女の父親は手放しで喜んだものだった。
「だがそれと引き換えに、娘は心底惚れた相手と離れると言う……」
 女の父親は何と言って良いか、いまだに女にかけてやる言葉が見つからない。
 女はこの先一人で子供を育てるのであろう。
 よき伴侶の傍らで。ささやかながらの幸せを。そう望んでいたのに結局この先女に持たせてやる事が出来なかった。女の父親はそれが、心残りであった。


 ある日、突然雁州国から親書が届いた。女の父親はその内容を確認すると、大きく息を吐き出した。
(尚隆殿は私に一体どうしろと言われるのか。……もう忘れてしまいたい事なのに……)
 女の父親は傍にあった硬い木の実を二つ手に取り、くるくると掌の中で転がす。そうして重苦しくなった己の心を落ち着けようとしていた。これまで彼は、人生において大きな失敗もなく過ごして来た。どこか事なかれ主義な所が彼を支配し、めったに無茶な事はしてこなかったからだ。
 唯一大胆だと自分で思うのは、尚隆に無理やり戸籍を与えた事。娘可愛さ故にした行動を、女の父親はずっと気に病んでいたのだった。
(だがあの位の事、商売をしてゆく上では多少目を瞑る事だろう。あいつら慣れた風だった。という事は他にも大勢そうして無理やり戸籍を取得する奴はいるんだ。……皆しているのだろう。黙っていればいいではないか。私がとやかく言う事でもあるまい。もう忘れたいんだ。なのにこんな事……)
 弄んでいた木の実が、掌の中から弾き飛んだ。木の実は勢いよく飛び出し床に無機質に転がる。それを見て女の父親は、再び大きく溜息をもらす。親書の最後の数行にはこう記してあった。

   柳北国の気候が少し乱れていているのが気に掛かる。
   不安要素は少しでも解消した方が、身の為だ。
   我は天の断りが阻んで、直接動けない。
   お父上の協力が必要である。
   どうか早急に行動に移して欲しい。

(国が沈む危険が迫っているというのか。そんな……)
 しかし実際昨年度は気候が少し乱れていた。よって作物の収穫が思わしくないと誰かがぼやいていた事を思い出す。
 女の父親は床に転がった木の実を拾うと、元あった場所に戻した。そして書卓の前に腰掛けた。
「まさか私が、こんな大それた事をする羽目になるとは……思わなかったよ」
 小さく呟くと硯を丁寧にすり始めるのだった。


 柳北国、芬華宮(ふんかきゅう)では、劉王、助露峰がある親書を読んでいる所だった。読みつつ、訝しんだ表情を見せる。
「延王君とは殆ど面識がない筈なのだが……。一体、何を思ってこんな文章を送ってきたのだ?」
 露峰が手にしていた親書は、尚隆が書いたものであった。その内容は「近日中に柳北国の玉泉の管理を任せられている民から文書が送られる。それを必ず確認して欲しい」というものだった。
「わざわざ書いてよこすんだ。それ相当の理由があるのだろうが……。とにかくその文書が、こない事には、な」
 そう言って玉座の手摺に手をかけると、そこに顎を乗せた。
「恐れ入ります。只今、卓朗君がお会いしたいとお越しになりましたが」
 臣下の一人が平伏のまま声を掛けると、露峰は眉を僅かに動かした。
「利広殿、が?今日は思いもかけない事が多いな。まぁよい。すぐにお通ししろ」
「しかし、恐れながら……その……非公式で急過ぎるのでは?」
 その臣下は平伏したままではあったが咎める様な声をあげた。
「国の威厳が……」
 それをぴしゃりと露峰が静止する。
「では何か?お前は十二国一大王朝である奏南国を軽んじて良いと申すか。それこそ、恥ずかしい事だと私は思うが。太子が直々にここに来られるのだ。何か急な事やも知れぬ。宗王の遣いかも分からないではないか。私がよいと言うのだ。すぐ準備にかかりなさい」
「……かしこまりました」
 臣下はしぶしぶ下がって行ったが、去り際「柳もなめられたものだ」と吐き捨てるように呟くのが聞こえた。
 露峰は瞬間血が登っていくのを感じたがそれをじっと押さえ込んだ。
「芬華宮に来て30年余り。まだまだ私の気持ちを汲み取る者は少ないわ。地方にいた頃とは、やはり勝手が違うという事、か……」
 誠、人を動かす事は難しい事よと、露峰は入り口をぼんやりと見つめていた。


 暫くして、露峰は卓朗君利広と面会する。
 露峰は落ち着いた表情でゆったりと利広に話し掛けた。
「これはわざわざ、遠い奏南国からのお越し有難い事でございます。宗王におかれましては、お変わりございませんか?」
「ええ、こちらはあいも変わらず、のんびりと時が刻まれております。劉王におかれましても、お元気なご様子。何よりでございます」
 利広は淡々と挨拶を交わすと、ふっと顔の表情を緩ませた。
「そろそろ、硬い挨拶は終わりにしないかい?露峰殿」
 すると、めったに表情の変わる事のない露峰が僅かに柔らかい笑顔になる。それは公の場では、殆ど見る事がない表情。
「そうですね。久しぶりにあなたにお会い出来たんだ。もっと砕けた状況でゆっくりお話したいものですね」
「久しぶりだね」
「ええ、久しぶりです」
 二人はお互いの顔を見合わせ、ふっと表情を緩ませた。
 露峰と利広は、露峰が王として登極する前に出会っていた。
 当時、露峰は一地方官吏だった。
 彼は特別際立った者ではなかったが、よく仕事の出来る男だった。そして前の劉王が崩御してから二十数年。国は確実に荒れていた。国が荒れ始めていても、彼の担当する地方は、よく持ちこたえていた方だと思う。そんな所へ何時もの如く身分を隠しふらりと立ち寄った利広と出会った。露峰は荒廃していく自国の国を憂いでいた。
「新王がつけば、多少は落ち着くだろうに」
 そう利広に零していたものだった。
 二人は顔見知り程度の知り合いとなった。
 だから露峰が劉王として即位し、利広が宗王の用事で卓朗君として露峰と会った時はお互い驚き、そして思わず笑ってしまった。それからの再会である。
「事前の連絡もなく急に来たんだ。その……少し手間取っただろう?かなり礼儀を外してここに来てしまったからね。迷惑かけなかったかい?」
 利広は、先程の臣下とのやり取りを容易に想像出来たのだろう。詫びる様に、深々と頭を下げた。
「王というものは、こう見えて自由が利かない者です。私の動き一つにおいても、ああでもないこうでもないと、煩い事を騒ぎ立てる輩がいる。私はあなたが行動的で頭が軟らかいのに感謝しています。でなければ又いつ会えるか。こちらこそ、余計な不快感を持たせてしまったのではないかと恐縮至極です」
 露峰は静かな声でこれに答える。その声は彼の真摯な人柄が溢れるていた。露峰は少し砕けた口調で、更に続ける。
「それにしてもあなたは急にここまでお越しになった。何か思う事でもおありですか?」
 露峰には分からない程度だが、利広は少し目を泳がせていた。
「……あ、いや。……露峰殿が即位してもう随分経つだろ。様子をね伺いに来たんだ」
 確かに様子を見にきた。
 利広は呆れるほど長い間生きてきて王朝の滅亡を見て来た。それ故に思う事柄がある。

―王朝の存続には、不思議な事に、ある種の節目がある―

 柳北国は丁度その節目に近づいていたので、どんな具合か、つまり節目を上手く乗り越えられるか、検分をしにきたのだ。
「特に変わりはございませんよ。どうにか、ここまで続ける事が出来た。そちらから見れば、まだまだひよっこの国だけれど」
「『どうにか』だなんて。見た所、特に問題もなく進んでいるようじゃないか」
 利広が柳北国をあちこちさまよって得た印象は、ひどく良いものだった。これなら、心配していた事態にはならないだろうと言うのが、彼のこの国に対する評価だった。
「有難う」
 露峰は涼やかに笑っている。そしてこんな事を付け足した。
「そう言えば利広殿は、延王君をご存知か?」
「ああ……まぁ……知っていると言えばそうだな」
「そうですか。実はその延王君から親書が届きまして。突然だったので少し戸惑ったのですよ」
 利広は怪訝そうな顔をした。
「ふうか、ん……あっ、いや、延王君からぁ。なんだろうな。その親書はどう記されてあったんだい。良かったら話して貰えないか」
 露峰は、尚隆から貰った親書の内容を利広に伝える。利広は右手で左肘を支え、左手の指先で眉間を軽く抑えた。
「……とにかく、その民からの手紙を無下に扱うなという事なんだね。……これは意味があると思うよ。あいつは……延王君は無駄な事はしない。必ず確認すべきだね」
「そうですか。あなたが仰るなら、これはひどく大事な事なのでしょう。分かりました。届き次第すぐ確認する事に致しましょう。これ、柳北国玉泉の管理を任せられているという民の文書が届き次第こちらに回すように。よいな」
「はっ。……そ、それが……」
 命令を受けたその官は、しどろもどろに目を泳がせていた。
「何かあるのか?」
 露峰は訝しんで、その者に視線を送る。
 官はおどおどとしながらも意を決して話し出した。
「実は数日前。おかしな文書が送られてきておりまして……」
 告白した官は、最後の方は小さく声を沈ませていった。
「何?来ておるのか?それは私宛だろう?なぜ報告が無い?」
「……いえ、下界の一個人が、王に直接文書を送る等恐れ多いも甚だしい、と……。もし腐心な呪いの言であれば主上に申し訳が立たぬと……そう、判断……致し、まして…」
「黙りなさい!」
 傍で、この様子を伺っていた利広は、思い余って露骨に苛々を露にした。
「それが、王に必要かどうかは、王自身が判断する!あなたが、する事ではない!」
「ひぃっ!」
「まぁ、まぁ、落ち着いて」
 ところが、意外にも露峰は、恐怖でがちがちに固まった官をちやりと見やると、利広を軽く諌めた。
「この者が言っているのも、あながち悪くは無い。何でもかんでも報告し、私に余計な負担をかけさせない様にとの配慮かも知れないし」
 隅で小さくなっていた官は、露峰の言に少し頬の緊張が和らいだ。だが露峰はその官に柔らかい口調だが鋭い指摘をした。
「しかし、私が思うに、君はそれを良く調べもせず、丸投げにしようとした。……違うかな?」
「いえ、そんな事は。私は、先ずは吟味して……私は……」
 官が床に顔を擦り付ける様に平伏し、たどたどしく言葉を詰まらせる。露峰の表情に相手を(あざけ)りなぶるような、 にやにや笑いが浮かんだ。
「ほう。では『王に直接文書を送る等恐れ多いも甚だしい』とは、どう言う意味だ?私は君が、所詮下の者の意見等まともに聞くのも馬鹿馬鹿しいと蔑んでいるとしか思えないのだが。勘違いしないで貰いたい。君らは下界の人間より崇高でもなんでもない。私も含めて、君らは、下界の人間が笑って暮らせるようにつとめる小間使いのようなものなのだよ!」
 最後の方は鋭い目つきで、露峰は官を睨み付けた。
「すぐ、すぐ、持って参ります」
官はばたばたと無様な格好でその場を離れていった。
「……とんだ所を見せてしまったね。なんだか恥ずかしいよ」
 露峰は元気のない微笑を浮かべた。すぐ落ち着きを取り戻した利広は身に付けた衣装を軽く調えた。
「いや私こそ失礼したね。部外者が立ち入る問題ではないのに。私は、かっとなる性格の様でね。つい口を出してしまったが。……でも、なんだか……驚いたよ。寂しい事だがああいった事はままある話だ。ただ本人のもっていき方で些細な事になりえる……露峰殿は……その……上手だね」
「何が、ですか?」
「何って、上手く言えないけど。官を上から押し付けている訳でもなくかと言って傀儡の如く言いなりでもない。その辺りのさじ加減が、鋭いと。そう、思ったのさ」
 そう言った後、すぐ「ごめん。よく分からないね」と利広はおどける様に笑って見せた。露峰は何も言わず、ただはんなりと笑みを浮かべた。
(これと言って派手さはないのだけど。……この王朝は、ひょっとするとそこそこ持つかも知れないな)
 利広はふっとそんな事を考えていた。
(それにしても。そこまでして何を伝えたいのか、検討もつかないが。……全く、あの王は抜かりがないなぁ)
 利広は尚隆の、用意周到な手回しの良さに下を巻いた。尚隆はこうなる状況も視野に入れ露峰に直接親書を送ったのだろう。他国の王の親書はいくらなんでも無視はしない。ここで念を押せば、露峰に彼の思惑が伝わり易くなる。
(あいつらしいと言えば、らしいな)
「忙しくなってきそうだね。私はここでお(いとま)するよ」
 利広は彼独特の人好きのする笑顔を浮かべると、流れる様に颯爽と去っていった。


 さて、そうして届いた女の父親の文書を、露峰は隅々まで読んだ。読み進める内その手がわなわな震えていった。
(何て事だ。私は自国の国をよく知らないらしい)

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2005.5.初稿
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