今回はいつもの跡文スペースでは収まらないほど、いろいろと申し上げたい事が…。
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            2004.10.初稿


          素材提供 ぐらん・ふくや・かふぇ さま
          禁無断転写

蓮花 

楽俊は玄英宮にて、ある日の早朝、ひっそりと息を引き取った。老衰だった。

彼は最後まで、雁国・慶国の官吏の推薦を拒み続けた。

「おいらはこの生活が好きなんだ。ここで、下界で唯人として暮らせるだけでいい。」

青年の頃から、ふっくらとした笑顔を見せ、そう言ってのける。

彼は博識で聡明だった事もあり、延王尚隆は、楽俊を気に入っていた。

諸国を巡らせる用事を与え、そこで見聞きした事を自国の国に反映させていた。

その後、楽俊も年齢も重ね、体力的に外に出る事が出来なくなる。

そうすると、時々楽俊に書物を纏めさせる事を頼み、官吏の負担を少しでも和らげる事も

した。

「お前が纏めた書物は、本当に使いやすいんだ。なぁ、楽俊。今からでも、いいから、

昇仙しろよ」

たまらず、延麒六太が口を滑らせる。

「だから、それは言わない事に、なっているではありませんか。儂は今の生活が性に

合っている。こうして、穏やかに暮らしていけるだけでも、感謝しなければ」

顔に幾つも人生の年輪を刻み、自分の事も《おいら》から《儂》と言いかえる様に

なっても、楽俊の、あのふっくらとした笑顔は変わらなかった。




唯人として暮らしていれば、どんなに健康だったとしても、次第に死の影が忍び寄って

くる。もちろん楽俊にも、とうとう恐れていた事が訪れた。

数ヶ月前、彼が、もう長くはないと察した延王尚隆は、反対する官の意見など無視し、

半ば強引に玄英宮に招きいれた。

「愚か者が!お前らは楽俊の功績を踏みにじるのか。あれは、確かに一介の民に過ぎぬが、

どれほどの事をこの雁国の為にしてきたか。それが分かるなら、無慈悲な真似はするな!」

ある一室を用意し、できる限りの手厚い看護を行う。

そして、すぐに慶国の、彼にゆかりのある者達に、連絡しようと申し出た。

しかし、それを楽俊は拒んだ。

「ありがたい事ですが、それは遠慮しておきます。儂は往生際の悪い男です。

この身が滅ぼうとも、あの人達には忘れられたくない。儂は永遠に、あの人達には、

元気な頃の、・・・そう《おいら》と自分を呼んでいた頃のままで記憶に留めて欲しいの

です。だから、止めておきます」

皺くちゃの、しかし、何もかも悟った穏やかな表情の楽俊は、薄く笑った。

「もうひとつ、無理を言えば、もし儂が死んだら、雁国で埋葬してもらえませんで

しょうか?儂には、頼る家族がいねぇ。閑地で客死として扱って頂ければ・・・」

「それは、無理だな」

静かに言い放つ、尚隆に、楽俊は、きゅうとうなだれた。

「それではお前が、七年で棺ごと掘り上げられ、冢堂で墓士に棺ごと骨を砕かれる。

砕いた骨は府第の宗廟に納められ、それで終わりだ。お前が、この世界で生きていた、

はっきりとした確証がなくなってしまう。それは、俺が許さん。お前の事は、俺が責任を

持ってさせて貰うよ。お前が、大事にしていた、両親の塚もろともだ」

楽俊の目に涙が溢れた。

「おや、この老いぼれの乾いた瞳にも、まだ涙が残されておりましたぞ」

それを尚隆は、なんとも言えない表情で見ていた。

「もう一度聞く。お前は、常世にもう、未練がないのか?今ならまだ、俺の権限で・・・」

思わず口走るが、楽俊が、弱々しく、しかしきっぱりと首を横に振るのを確認すると、

それ以上は言えなくなった。

「とにかくゆっくり体を休めろ」

それだけを言い残して去って行った。




楽俊が玄英宮で世話になって、幾月が立とうとしている。

その日は、ことの他、寒い夜だった。

臥牀で一人横たわっていた楽俊は、既に動くこともままならず、来る臨終の時を静かに、

静かに待っていた。天井を凝視して、彼は人生を振り返る。




最初、儂は唯人としても扱って貰えなかった。

仕方のない事さと諦める心の誤魔化し方も、遠い昔は自然と身に付けた時もあった。

しかし、陽子に会って、変わった。

何もかもが、夢のようだ。

唯人でも経験出来ない事を、儂は体験できた。

一生会う事もない人とも、出会う事が出来た。

この幸せが永久に続けばいいと思う。

陽子を見守り続けたい。

でも、永久に見守るだけで、儂は満足出来ないと、思い始めてしまった。

まさか、そんな事と笑うがいいさ。

だが、思い始めたら、それは、どんどん儂の心に黒く広がってゆく。

陽子と会って、いろんな事が実現した。

望んで努力すれば、何とかなってきていた。

その喜びを知ってしまったから、儂は怖くなった。


―儂は、いつか陽子を求めてしまう。―


陽子は王で、慶国皆のもんだ。

そんな大それた事はしちゃならねぇ。

陽子は、そんな儂を、又しかりつけるだろう。

「私と楽俊のあいだには、たかだか二歩の距離しかないじゃないか」

とか言ってな。

では、もし仮に儂と思いが通じ合ったとしよう。

儂はその後、王である陽子の悩みや憤りまですべて受け入れ、それでも完全に分かり合えぬ

と分かっていながら、永久につきやってやる覚悟に躊躇するだろうな。

慶国からの誘いは嬉しかったよ。


「慶で官吏として働いて欲しい」


数えるほどだが、金波宮にも伺わせてもらった。

しかし、そこで感じたんだ。

浩瀚様の並々ならない決意に。

儂は浩瀚様ほど強くねえや。

あの方は、陽子を想っている。

あの人なら、すべてを承知で包んでくれる。

陽子はいつか、身も心も、あの人無しでは生きてゆけなくなる。

あれを見たら、儂はかなわねえ。

・・・浩瀚様にはかなわねえ。

そして、それを横目で見ながら、残り、陽子と共にする永久(とこしえ)の時間を、儂は平気で

見ている自信がねぇ。


だから、すまねぇ。儂は先におりる。


・・・楽しかったよ・・・ああ楽しかった。


陽子、いい国を作ってくれ。


それだけを今は望んでいる。




金波宮はこれまでにない位、深い悲しみにくれていた。

尚隆からの突然の訃報に、皆、息を飲んだ。

「あいつの頼みだったんだ。臨終を見送らせなかった事。・・・分かってやってくれ」

誰もが記憶の隅に押し隠していた、大切な人の死というものを、まざまざと

見せ付けられた。

「楽俊・・・。・・・ああ、楽俊・・・」

祥瓊は泣き続けた。泣き腫らし、その美しい瞳は、赤く滲んでいる様にも見えた。

「祥瓊・・・」

鈴が心配して、祥瓊の肩を抱く。祥瓊は嗚咽が止まらなかった。

「・・・うっ、くっ。あの人は・・・楽俊は、私に心からの《ありがとう》を・・・教えて

くれた人なの」

遠い昔、楽俊と共に初めて慶に入った時、楽俊の行為に、祥瓊はたまらず頭を下げた事が

ある。

これが、彼女にとって、初めて人に心から感謝をした瞬間だった。

祥瓊は真の感恩(かんおん)(人の行為や恩義に感謝する)を知らなかった。

同時に心から詫びた事もなかった。

「・・・あの人は・・・ひっ、私の、私のねっ・・・うっ・・・価値観を大きく変えた人

なの。あっ・・・あの人がいて・・・今の私が、在る」

「もう、いいから。・・・分かっているから・・・」

鈴は祥瓊の震えを、身体全体で受け止めていた。

祥瓊のこんなにも取り乱した、力を加えれば、今にも崩れてしまいそうな姿を、鈴は

見た事が無かった。鈴はゆっくり口を開く。

「私は…今、幸せなんだと思う。日常が穏やかで、皆が元気で過ごしていて。そして、

この幸せが永遠に続くと思ってしまう。ここにいるとね、たまに忘れそうになるの。

生きとし生けるものには限りがある事を。こちらが非日常で、下界では確実に誰かが

亡くなっている事を」

鈴も思い出していた。

清秀という少年。鈴の人生を大きく変えた人物。

彼もまた、死というものを、避ける事が出来なかった。

『人が亡くなるとは、なんと悲しく、辛い事なのか?』

鈴の瞳からも、涙がとめどなく溢れた。




陽子は呆然としていた。何も手に付かなくなってしまっていた。

涙さえも出ない自分が不可思議に思えた。

「泣く事も忘れたのか、私は・・・」

思えば、日々王として君臨する為には、殆ど必要のないものだった。

そういうものを置いていって、気付けば、自分はどんどん、人として当たり前の事が

出来なくなるのではないか。ふと陽子は、碌でもない事を考える。


「楽俊。とうとう、お前は逝ってしまった・・・」


心から信頼し合える友だった。

陽子が何かに迷うと、あの柔らかい物腰で、ただ聞いてくれた。

始めは、官吏となり傍にいて欲しいと願った事もあった。

しかし、この頃は王宮の複雑な構造や人間関係に、巻き込まれて欲しくないと思う自分も

いた。

「楽俊とは、全く違う次元で話をしたい」

楽俊は、陽子のそんな望みを汲み取ったのだろうか、又別の理由からか。

今となっては確認も出来ないが、他の者が誘っても、最後まで昇仙を拒んだ。

その楽俊の行動に、ほっと安堵する自分に、陽子は驚いた。

そして、楽俊が唯人でいる事を選べば、必ず、(つい)の別れ、が訪れるという現実に、

悩む事も知っていた。

「考えない様にしていた。それには目を背け続けてきた。しかし、私はとうとう直視

しなければならなくなった・・・」

大切な者の死。

陽子は王でいる限り、この先何人も見送る事になるのだろう。

それを陽子が止める事は、即ち死する事。

「・・・いっそ、止めるか・・・」

手にした水禺刀を徐に首に持っていった。

すると、突然光りだしたので、止めて、水禺刀をじっと見る。

水禺刀は様々な画像を見せ付けた。


荒れ果てた大地。

妖魔が跋扈(ばっこ)する重苦しい空。

必死に崩壊を最小限に食い止めるべく、体を張る慶国の臣下。

いつ幸せが見えるとも分からず、やもすると闇の中、一生を終えるかもしれない

恐怖を抱えながら、それでも生きる勇気を選ぶ多くの民。


「こんなの、見せないでくれよ・・・」


陽子は笑った。乾いた声で笑うしかなかった。




陽子がぼんやりとしている内、あたりはすっかり暗くなった。

人気(ひとけ)が少なくなった金波宮は、何時もより寂しかった日中より、更に静まりかえっていた。

陽子はふらふら歩き出した。

どこをどう進んでいるのか、陽子自身分からなかった。ただ、心に突き上げる何かに、

追い立てられる様に進むばかりだった。

気付けば冢宰府にいた。

「何故、ここなのだろう」

陽子は、自分の行動に吃驚していた。

「もう、誰もいる筈もなし」

そう思い、踵を返すと

「何をされているのでございますか?」

耳に心地よい低い声がするので、陽子は立ち止まり、そして無表情で口を開く。

「あっ、いたんだ・・・」

「ええ、まだやり残した仕事がございまして」

「私がこんなだからな。お前も、大変な事だ」

人事の様に言う陽子に、浩瀚の表情が哀しげに曇った。

風が吹き抜けると、陽子は思わず身震いをした。

思えばあまりにも軽装でここに来てしまった。

「ここは冷えます。どうぞ、中へ」

浩瀚は滑る様に冢宰府の奥へと陽子を案内した。




「身体がすっかり冷え切っておられる様に、お見受け致します。宜しければこちらをお飲み

下さいませ」

慣れた手付きで、茶の用意をする浩瀚を見ながら、陽子は呟いた。

「お前はこういう事はしないのかと思っていた」

「しては可笑しいですか?これでも、一人で茶を嗜む事は、間々あります。女官らよりは、

味が落ちるかも知れませんが」

浩瀚はそう言って、静かに、茶の入った温かい茶器を陽子に差し出した。

香りの良い茶が陽子の喉を次第に暖めていく。

浩瀚は書卓に戻り、仕事の続きをしていた。紙に筆を走らせる音が小さく聞こえる。

時より、明り取りの炎が、ちりっ、ちりっ、と耳についてきた。

陽子は、浩瀚の姿を眺めていた。綺麗だ、そう思った。

浩瀚を包む、穏やかな、落ち着いた雰囲気が、陽子の心を幾分慰めた。

不意に浩瀚の手が止まり、陽子は思わず目を背ける。

「何か仰りたい事があって、ここに来られたのでしょう?」

浩瀚は静かに立ち上がると、陽子の座っている椅子の向かい側の椅子に、

腰を落ち着けた。

「さぁ?何故ここに来たのか、私にも分からないのだが」

自嘲気味に陽子は笑う。

それを、ゆったりとした物腰で見つめていた浩瀚が、口を開いた。

「楽俊殿が、逝かれましたね」

陽子の顔が固まる。そして、重苦しい声で話し出した。

「楽俊は私の掛け替えのない友だった。出来れば、ずっと一緒にいて欲しかった。

そうするには、楽俊を仙籍に入れる様、働きかける事だった。それをしなければと思い

つつ、このままの状態を満足している私もいた。その結果がこれさ。私はとうとう大切な

者を一人失ってしまった」

陽子に後悔の色が伺える。

「あの方は望んでそうされた。それを止める事は出来ない。彼には彼の思いがあったので

ございましょう」

浩瀚は陽子を優しく宥めた。

「今、まざまざと思うんだ。私はこの先、人を見送るばかりなのだと。どんなに寂しく

とも、私が先に逝ってはならない。なぁ、浩瀚。死ぬ事が許されないとは、実は歯痒い

事なんだな」

浩瀚は黙って聞いている。

「何があっても、私は王で居続けなければならない」

そして、口には出さずこう思う。

『どんなに誰かを想っていても、手放しでその者の腕に飛び込めない。しかも、それが永久(とわ)

続いていくとは。なんと、もどかしいものなのだ』

「いっそ止めてしまえるなら、どんなに楽なのだろう」

「それはなりませぬ」

浩瀚はそれまでの、穏やかな表情から、一転して強い表情に変わる。


『あなたがこの世界からいなくなる事は、私が許さない』


浩瀚の瞳に熱く滾るものを見て、陽子は如何してここへ来たのか分かった様な気がした。

『私は、今、お前が必要だから、ここまで来たんだ』

陽子は椅子から立ち上がった。そして、窓辺へ一人歩き自身の肩を抱いた。

「私を放さないでくれ」




浩瀚は、陽子を冢宰府の奥へ招き入れている時から、彼女の周りを取り囲む気に、恐れを

抱いていた。

『これほど、この方を恐ろしいと、悲しいと、遠い存在だと思った事はない。あなたの

闇があなたを覆って、押しつぶされそうだ』

浩瀚は政務の続きをしている素振りはしていたが、実の所は全く進んでいなかった。

二言三言話をした。浩瀚は、自分はどうしたらいいか考えあぐねていた。

そんな時、陽子に求められた。

「私を放さないでくれ」

一瞬耳を疑った。これは「あやかし」なのかとも思った。

しかし、目の前には、それまで触れたくとも叶わなかった、眩しいばかりの(ひと)がいる。

浩瀚は焦慮(しょうりょ)(いらいら気をもむ)に駆られていた。

何故陽子はそんな事を言い出すのか?


『私を試そうとされるのか?』


「私はあなたをお慕い申し上げております」

「うん」


『簡単に納得しないでくれ』


浩瀚はついと陽子の傍へ近付くと、陽子の腕を乱暴にとった。苛立ちを露にし、口角を

上げて薄く笑う。

「それを承知の上で、夜な夜なここへ来られると言う事は、お覚悟が出来ているので

ございますね」

陽子は浩瀚の瞳をじっと見据える。

とられた腕に浩瀚の熱を、そこから伝わる想いを感じる。


『今だけ・・・それで私を暖めて・・・』


「・・・私はお前が好きだよ。お前なら、いいと思う。だから、どうか」


『なんて顔をされるのだ!』


浩瀚は身の竦む思いだった。そこに陽子の計り知れない闇が見える。

その中心に立ち、細い身体で、がちがちに震えている陽子を見た。

乾いた瞳は、助けて欲しいと、救って欲しいと、浩瀚に叫んでいる。

浩瀚は陽子を抱きしめた。

最初は遠慮深くその肩に触れ、陽子が嫌がらないのを確認すると、腰をひきつけ、強く

強く抱きしめた。

陽子の首筋に、浩瀚の熱い吐息がかかる。緋色の髪の香りが、浩瀚の鼻腔を擽る。

箍が一気に外された気がした。




陽子が浩瀚を頼ってくれた。

それが、悲しいかな、どこか喜んでいる自分が、浩瀚はおかしく思えた。

『あなたは私を好きだと言った。だがそれは、私が心から欲している言葉ではない

のだろう』

陽子は少々疲れていた。

彼女の周りを取り囲む、言い様もない、暗い闇に怯えている様に見えた。

陽子は縋った。

他の誰でもなく、陽子は浩瀚に縋ってくれた。

『ならば、私はついて行こう』

浩瀚はゆっくりと陽子から離れると、彼女の両頬を、真綿を扱う様に挟み、切なくも甘い

声音で話し出した。

「私があなたの闇を取り去ろう等と、そんな大それた事は思っておりません。ただ、一人

ではお寂しいでしょうから、どうぞこの身を存分に・・・・・・利用して下さいませ」

浩瀚は、陽子の闇を少しでも誤魔化す為だけに、自分があると分かった上で、それに

付き合ってやる事にした。


―共に、一時、憂き世に目を瞑りましょうぞ―




陽子は軽く意識が飛んだらしい。

気付けば浩瀚の腕の中だった。

おそらく、彼がかけてくれたのだろう。

剥がされた衣服が、幾重にも陽子の身を包み込んでいた。

脳が覚醒し始めると、陽子は小さい頃、母に教えて貰った歌を思い出した。


ひらいた ひらいた

なんのはなが ひらいた

れんげのはなが ひらいた

ひらいたと おもったら

いつのまにか すぼんだ


「あの頃は《れんげ》が蓮華草だと思っていたんだっけ。後で、蓮の花と知った時は

驚いたな」

ふと、そんな事をお思い、忍び笑う。

蓮―泥沼に根を下ろし、茎は泥水の中を潜る。しかしながら、まっすぐに伸び、一切の

穢れを纏わず咲く、清らかな花。その花は、朝、開花すると、午後には閉じ、四日目には

散る、儚き花。

その時陽子は、はっとした。

『私は、まさに先ほど、花が開いたのだ』

王になってから感情を押し殺す事が多くなった。泣きたい時に泣けなかった。

泣かない内に、その感情まで退化していくかに思え、怖くなった。

喜怒哀楽が自由に出来ぬ者など、咲く事を忘れた、花の様だ。

『しかし、私は浩瀚によって泣く事が出来た。私は人だった。女だった。全身で泣ける

女だった』

数刻前、陽子は浩瀚によって、瞳も下肢も潤んでいった。潤んだ所から涙が零れると、

それさえも浩瀚は「愛しい」と口付けた。確かに、陽子は女としての大輪の花を咲かせた。

それが今、閉じようとしている。




陽子はそっと身体を起こそうとした。しかし、全身を覆う脱力感と、無理な体勢で眠って

いた疲労感が、それを許さなかった。

陽子が起き上がる様子に気付いた浩瀚は、思わず放さないとばかりに、その腕に力を

入れたが、すぐ陽子を解放する。

「まだ辺りも、くろうございます。お足元など、どうか、お気をつけ下さいませ」

送って行くなど、してはならぬ。

もし、誰かが二人を見かけ、そのただならない様子に気付けば、余計な気を

揉ませる事になる。

折角、落ち着きだした、(ちょう)だ。波風は、なるべく立たせたくない。

続いて浩瀚もその身を起こすと、多少乱れた髪を、簡単に手直した。

陽子もすべてを承知の上か、手早く衣服を整え始めた。

「お前も朝が早いだろう。気を付けてお帰り」

「・・・かしこまりました」

浩瀚が低く消え入りそうな声で呟いた。

その様子を見ながら、陽子は苦しそうに微笑んだ。


ひらいた ひらいた

なんのはなが ひらいた

れんげのはなが ひらいた

ひらいたと おもったら

いつのまにか すぼんだ




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