諍えぬ
運命(さだめ) 第二話


 時間を持て余すだけしか出来なくなってしまった景麒は、あの麒麟が何処の国の麒麟か考えてみる事にした。
(隣国を貶めると言っていた。それに該当するのは、雁州国と巧州国。雁州国の麒麟は雄だから……あの者は、塙麟)
 景麒は、溜息をついた。
(では塙王が主上を狙っているのか。しかし、何故そんな事を……)

――景台輔。あなたは今の私を『愚か者よ』と、お笑いになるのでしょうね――

(愚か者……か……)
 それは今まで何人も見てきたものだと、景麒は目線を遠くに向ける。一番心残りなのは「堯天に女はいらぬ」と言い放った、痩せこけた昔の主の事。
(あの方は愚かで、そして哀れだった)
 幾日が使ううち、すっかり馴染んだ柔らかき布に(くる)まり、景麒は振り返る。


 その者は舒覚と言う。初めて対面した時、舒覚はけして王に向いてないだろうと直感的に思った。舒覚では駄目だと思うのに目をそらせぬ。天啓というものはかくいうものかと、景麒は己の運命に一応の納得をつけたものである。名君として君臨させるには、多くの犠牲と確固たる努力がいる。けして平坦な道ではないが、景麒は舒覚について行かねばならぬと心に決めた。
 予想通り、舒覚の王としての道のりは困難を極めた。舒覚はよく言えば繊細な女性、悪く言えば気が弱すぎる所がある。それでも最初は彼女なりに、景王としてあろうと懸命に努力していた。政務について教えを乞い、彼女なりによく吟味して意見を出したこともある。しかし周りが取り合ってはくれぬ。

「主上はまだ政にお慣れではないから……」

 一見すると主君を気遣うような、しかし実の所、舒覚の思慮などあてにはしておらぬと言いたげな、官吏の含み顔が何とも口惜しい。何はどうあれ、景麒は舒覚に離れがたき情を感じ始めていた。官吏の嘲笑を払拭したいと、景麒は舒覚に再三に渡り舒覚に諫言する。もう少し王として覇気を出して欲しいと。正論を伝えている筈である。それを素直に行っていれば、舒覚はもっと王としての気質に近付く筈なのである。
(天が選んだ王なのだから……)
 しかし景麒の思いは、空を切るだけ。日に日に舒覚は萎縮し、しまいには政務を放り出し、王宮の奥へ隠れてしまった。混乱する景麒は何とか舒覚に政務に戻って欲しいと舒覚の元を通う。だが舒覚は、景麒を明らかに疎んじ対面をも避けていた。そして帰ってくるのはいつもこの言葉。

「景麒はいつも、『頑張れ』としか言わないのね」

 舒覚とのぎくしゃくした関係が続く中、ある時景麒は蓬山へ呼ばれる事となった。正直、舒覚との関係を修復する事もままならぬのに、何故慶東国を離れなければならないのかと憮然として臨んだものだったが、蓬山にて戴州国の幼き麒麟と出会い触れ合った事で、景麒の心に変化が起こる。
(玄君が仰っておられた。まずは相手の心を酌んであげる事だと)
 それからというもの、景麒は手探りながら、自分の表現の仕方を考えてから話す様に心がける。蓬山から戻ってきた景麒が舒覚にかけた言葉は

「主上はこれまでご自分の責務を果たそうと努力されてこられたから、今は休息されているのでございましょう。しかしいずれかはお戻りになられる筈。それを私は信じております」

 一旦舒覚がこれまでしてきた事を全て受け入れ認めた上で、彼女に戻って欲しいと願おうとした言葉だった。しかし言われた舒覚は始め驚いた顔をし、そのまま泣き崩れてしまった。

「……そう。あなたは、あなただけは分ってくれたのね」

 舒覚の涙の真意が掴めぬまま、それでも、これでこの先上手くやっていけるのではないかと、景麒は束の間の安堵を得たのだが。
 自体は思わぬ方向に転換した。舒覚が政を完全に放棄してしまったのである。官吏の一人から献上された園林。そこは彼女が夢見た穏やかな風景があった。もはや、舒覚の目に映るもの聞こえる声は、自身に都合のいい事ばかり。舒覚にとって景麒は、己の常楽を満たす上で必要な弄び物になってしまった。

「ここでね、私は大好きな景麒を想い刺繍をし、景麒は私の傍で笑っているのよ」

 そう夢見がちに語る舒覚は、目を背けたくなるほど余りに哀れだった。現実に立ち返って欲しいと政の話をすれば、一切を拒否してしまう。恐らく彼女はこれまでの間に、相当な心の傷を追い、戻れぬ所まで追い込まれていたのだろう。そして景麒の一言で何かが弾けてしまった。もう休んでしまってよいと、舒覚は景麒の言を取り違えてしまったのだ。
 足繁く園林に向かう舒覚を、何度も乞い願って王宮に戻した。その度彼女は子供のように駄々をこね、泣き脅す。

「だって、景麒は私に休んでいろとそう言ったわ!!」

(如何して、そう解釈なさったのだろう。それが不思議で仕方が無い)
 それでも無理矢理王宮に連れ戻す事も多々あった。何とか目を覚まして欲しいと景麒は働きかけたが、舒覚は景麒の目の前で迷走を続け、そして彼一人を残して斃れていった。
(誠、愚かで哀れな人よ。そしてそれを止めて差し上げる事が出来なかった私も又……)
景麒は包まる布に顔を埋めた。


 ここに来て既に何日か経過している筈だと景麒は考えていた。その間にも気に掛かっていたのは、結局置き去りにしてしまった現景王。
(恐らく斃れてはいないだろう)
 不思議なもので、角を呪で封じられているにも関わらず、麒麟の本能で王はまだ生きているという自信が景麒にはあった。
(しかし状況が掴めぬ)
 焦慮と不安だけが蓄積される闇の中、鎖が弄られる音に気付いて景麒は目を開けた。牽かれるまま、のろのろとついて行くと、塙麟が冷たい面差しで佇んでいた。彼女はちらりと景麒を見やる。精一杯隠しているのだろう。その目には以前見た哀れみの影は残っていない。
 やがて塙麟の遣っている使令とおぼしき獣等に景麒は抱えられた。それを確認して塙麟は別の使令に跨り、景麒を含めた一団はふわりと闇に飛び立った。


 ついた所は寒々とした山道。目を凝らしてみれば、その先には黒い人影のような塊がある。塙麟はその塊の少し手前に降り立ち、続いて景麒等も地面に下ろされた。そして一人黒い塊の元へ歩き出す。塙麟の足元が何となく覚束無い。だが強力な力で引き寄せられる様に彼女は前へ進み出た。
「お許しを」
 黒い塊に向かって塙麟が縋りつく。彼女は堪らないとばかりに顔を覆った。
「それはもちろん、儂に対して言っておるのだろうな」
 黒い塊から声が聞こえ景麒がそのまま見守ると、するりと暗い布がその塊から滑り落ちた。それは確かに人。景麒からは丁度後姿だけしか見えぬが随分と体の大きな男の様である。
(あれが塙王)
 確信に近いものを景麒は感じていた。塙王の肩には色鮮やかなオウムが止まっていて、先程からこちらをせわしく盗み見ている。正常とはおよそ言いがたい景麒は、目の前のやり取りをぼんやりと見ている事しか出来なかった。塙王の淡々とした声音にのって、時より漏れ聞こえる「娘」の話。それは景麒が一番知りたい情報であった。
(山で野垂れ死ぬか、里で捕まる……か。口惜しいが確かに主上のあのご様子では、塙王の言うとおりになる可能性が余りに高い)
 そう思うと景麒は一層の陰鬱さに辟易とし塙王の後姿を見つめている。すると塙王は無表情の面構えで振り返り、景麒を嘲弄する言葉を発した。

「よくよく主運がないと見える。のう、景台輔」

 景麒は思わず苦みばしった表情になる。景麒自身さえ完全に潰す事の出来ない現主への不安。それをあえて塙王に言われる事が何より腹立たしい。
(自身の麒麟に罪を課せようとする恥知らずなどに……)
 声に出して塙王を罵りたかったが、言葉を奪われた景麒には叶おう筈も無い。
「小娘とおっしゃるのなら、捨て置けばよろしいのではありませんか」
 涙声が聞こえたので目を移すと、塙麟が痛々しい表情で訴えていた。これまで溜めていた憤りが堰を切って一気に塙王にぶつける力になる。塙王と塙麟の小競り合いが暫く続いた。だが何を言っても聞く耳を持たない塙王にとって、塙麟の訴えは無常にも空を切るばかりだった。
(まるで舒覚(あのかた)を必死に止めて差し上げようと躍起になっていた私を見るようだ)
 景麒の目の前で口論を続ける塙王と塙麟。二人の様子は滑稽でもあり哀しくもあった。
「それで景台輔をどうなさるおつもりです」
 自分のこれからが引っ張り出され、景麒の身体に僅かばかりの緊張が走った。
「景麒は舒栄にくれてやる」
 塙王が冷たく言い放った言葉。身の心も疲れ切っている景麒は、その意図を瞬時に把握する事が出来ないでいた。しかし、続けて塙麟が抗議した話で景麒にも漸く事態を掴み始め嘆きに沈む。
(舒栄。何を血迷ったか知らぬがこんな茶番を始めた偽王。そんな女に良いように使われるのか、私は)
 景麒は自身に許された最大の抗議として、目の前にいる自分勝手な男を瞬きもせず睨みつけた。その間目に映るのは、塙麟が強く自身が主の愚かな行動を止めさせるべく食い下がる姿。しかし彼女は最後には声にもならないほど落胆し肩を振るわせ俯いていた。


 景麒は塙麟に促され別の場所へ移動した。そこには豪奢な衣装を身に纏った女が待ち構えていた。
(舒栄)
 随分試して無駄だと思い知らされてはいたものの、景麒は舒栄に向かって思わず言葉を発しようと喉に力を加える。しかし出た声は無残にも獣独特の唸り声だけだった。舒栄はその様子を高圧的な眼差しで見下ろし、それから張りのある声で景麒をなぶる。彼女は景麒の屈辱に満ちた姿を見たいのであろう。聞かされた言葉はいちいち癪に障るが、否定しようも無かった。
 舒栄はこう笑った。
「言葉を封じられた獣に何が出来る」と。
(この女の言う通りだ。私は人形になる事も叶わず喋る事も出来なくなった。使令も呼び出せぬ私は、もはや木偶(でく)
 景麒は目の前に突きつけられた現実に軽い眩暈を起した。


実は私の今回の最大萌え所が「上から目線の景麒」でして。しかも上から目線で言ってる割りには相手の真意は完全に分りきっていないという所。この頃の景麒はまだまだ堅物なのではないかなぁ〜、そうだったら面白いのになぁ〜と思った結果、こんな話の流れになりました。
「景麒のイメージが……」と景麒ご贔屓の方から、お嘆きお怒りがあるかも知れないですけれど、何卒御容赦下さいませ。
BACK | NEXT
書庫へ戻る

←その一押しが励みになります
2007.3.初稿
素材提供 MILKCAT さま
禁無断転写