その日を迎えるにあたって・・・1 〜お蝶夫人独白〜 武熊珠喜様 作
皆さんお気づきのことと思うけれど、わたくしは見られることが好き。
華やかな容姿とたぐいまれな才能で、いつも注目を浴びてきたわたくし。
憧れるように、羨むように見詰める視線は、いつもわたくしを奮い立たせてきた。
ひろみ──。あなたとここまで深く関わることになったのも、元はと言えばあなたの眼差しから。
一年生の時おずおずとわたくしを見上げてきた眼の、可愛らしかったこと。
その視線を手放したくなくて、きっとわたくしはあなたに手を差し伸べたのだわ。
宗方コーチ──。あなたは氷のようにわたくしを射抜いてこられた。
今まで慕う眼しか浴びてこなかったわたくしには、それはショックでもあり又刺激でもあった。
もっともっと、わたくしを貫いても構いませんことよ?
わたくしは、心で叫びながらラケットを振るっていた。
でも、コーチの視線の先にいたのはひろみ。あの痛いほどの穂先を受けたのは──。
いいえ、それはいい。藤堂さんの熱い視線を得たのもひろみ。でも、それもいい。
今になってもわたくしを見上げてくれるあなたが可愛いから。それはいいのです。
多分、わたくしがそんな試練に耐えてこられたのは──。
ひれ伏すはずの男性に視線を外されても、テニスの女王としての注目を奪われても、それでも微笑んでこられたのは──。
決して失うことのない眼差しのおかげだったかも知れないと、今は思うのです。
以前は鬱陶しいとも思っていたのですわ。あれしきの恋慕は当然のことと。
あんなあからさまに思いを寄せるなど、十年早くってよ?などと癪に障ったことも。
でも、今になってみれば──。宗方コーチを失い、桂コーチの力を知った今となっては。
ひろみも、わたくしも、そしてテニスそのものもここまで成長した今に至っては、思い知るのです。
わたくしは、あなたの眼差しに支えられてきたことを。
ご存じかしら?いつも知らぬ顔をしながら。
「送ります」という申し出をけんもほろろに断りながら。
わたくしはいつも密かな喜びを感じていた。
あなたのうっとりとした眼差し。切なげな溜息。
決して厚かましくなることなく、それでいながら思いは強まるばかりで。
尾崎さん──。あなたの恍惚とした視線は、そう──、まさしくわたくしを恍惚の境地に押し上げてくれたのです。
強いものに憧れる──。それは等しく女性が持つ願望でしょう。
でも、心優しき男性こそが真に強い男なのだと言ったのは、『ベルばら』のオスカルだったか──などということは、漫画を読まないわたくしにはどうでもいいことだけど。
やはり、いつもそこにいてくれる眼差しが得難いものとは、真実には違いないですもの。
尾崎さん──。可愛い方。わたくし、あなたの赤らむ頬が見たくて、時に悪戯をしますのよ。
あの海のことを覚えていらして?
本当は、いつだってあなたに送っていただくのは構いませんでしたの。
でも、お断りしたときに洩らされる溜息。
お聞きするたびに嬉しくなってしまったわたくしを、どうぞお許しになって。
だって、あれがあったからこその海でしたもの。
ああ、あの時、岩の上から手に触れさせて差し上げましたわね?
高みから見下ろすわたくしと、恭しく手を差し出すあなた。理想的だとは思いませんこと?
あれは、恋い焦がれて下さるあなたに対するご褒美。
震えていらしたあなたの手の、なんて可愛らしかったこと。
多分、あの時からわたくしは少しずつ歩み寄ることを覚えたのです。
わたくしが不名誉にも肉離れを起こして、あなたが入院先まできて下さったときもあった。
息せき切ったあなたに、笑い出さないでいるのは大変でした。
わたくしは、ほら、いつでも蝶と薔薇に囲まれていなくてはならないのですもの。
ひろみみたいに、素直に笑ってしまえればと思うことありますけれど。
でも、悪い気はしませんでしたわ。
海のことを言いだしたとき、尾崎さん、あなたの頬がぱっと赤らんで。ああ、これだけのことで、こんなに喜びを感じて下さる。お見舞いの薔薇よりも、華やかな気分でしたわ。
気のせいか、あなたの周りにまで花びらが見えたほど。
だから、尾崎さん。わたくしは決意いたしましたの。
わたくしは人に見られるのが好き。あなたが魂を奪われたように見詰めて下さるのが好き。
今夜──、この静かな別荘で──。私はあなたの視線を浴びようと思います。
いいえ、この揺れる縦ロールにではなく。最高級テニススコートにでもなく。
バックに舞う蝶にでもなく。ええ、わたくしのすべてにあなたの視線を──。
いいですこと?これは、一度も、生まれてこの方どんな男性にも晒したことのないもの。
お父様でさえも、わたくしがスコートを履くようになった3歳からは知らないもの。
これをあなたに捧げようと言うのです。
あなたのうっとりとした眼に、わたくしの肌を差し上げようと決意したのです。
何故あなたを選んだのかなんて、聞いてはいけません。
もっと好ましい男性がいたはずだなどとも言ってはいけません。確信いたしますもの。
テニスで培ったこの肉体。鍛錬と修業が創り上げたこの肢体。
あなたなら感嘆して下さるでしょう。憧れを一分も弱めることなく──。
いいえ!それどころか、幽玄の境地で酔いしれて下さることでしょう。
わたくし竜崎麗香が今ユニフォームを脱いで、蝶と羽ばたくその姿を──。