利広と尚隆は数十年おきに、お互い示した訳でもなく出会う事がある。会うのは大抵、危うい国の都かそれに類するような所。興味深い情報を持って来るので、この男と会うのは悪くないと尚隆は思っている。しかし、この国で会ったという事実に、尚隆は一抹の寂しさを感じた。
(やはり逃れられぬ事実らしい。――どうやら、
それは利広も同じだったようである。実は利広は、尚隆を同じように現劉王登極三十年の頃、この国にきた事がある。柳のあちこちを見聞し得た印象はひどく良いものだった。利広はこの国の王に一定の評価をしていた。だが、それが軋んでおりもう止まらないのだと言う。大王朝になる予感がしていたから、気落ちしたと利広は語っていた。二人は夜遅くまで柳北国のこれからと、考えても仕方の無い自分達の未来を肴に酒を飲んだ。
さてその日、まだ夜も明けない頃。深酒をしひどく喉が渇いた尚隆がむっくり起き出し、傍にあった水差しに手をかけようとすると、覚えのある気配を感じた。その方角へ目を向けると、金の毛並みを纏った一角獣がこちらをうつろいだ目で覗いているのが見えた。
「六太……」
呼ばれた獣はこう返す。
「そっちに行っていいか?」
そして、ふと思い出したように付け加えた。
「あと……。落ち着いたら、服も貸してくれ」
転変し人形に戻った六太の身体には大きな
「悩ましげな姿だなぁーおい」
「言ってろ馬鹿」
のんびり椅子に腰掛けにやにや腕組みをして眺めている尚隆に、六太は恨みがましく睨みつけた。
「報告を聞いて飛んできた。一応俺等麒麟が一番足が速いからな。尚隆。お前が何を考えているかは大体知っている。俺はそれを止めにきた」
ちっと舌打ちをする尚隆。六太は肩からずり落ちそうになる衾を両手で引き戻し、ぐっと尚隆を見据える。引き戻したひょうしに、白い脹脛が覗いている。
「これ以上の滞在が無理な事くらい、お前にだって想像がつくだろう」
尚隆が六太の様子を盗み見ると、憮然とした表情で、かけられた衾を握り締める彼が見えた。
「しかしなぁー」
頭を掻く尚隆に、尚も六太は言を被せた。
「隣が危ないからこそ、お前は自国にいなけりゃならんだろう?冷静になれよ尚隆」
言われた尚隆はぐっと黙る。六太は更に念を押した。
「この件に関しては別の方法を考えよう、な?」
尚隆は無言のまま、窓の外を見やった。六太の言う事は最もな話だった。尚隆には尚隆のやらねばならない事がある。暫く無言の後、尚隆は観念したかのように口を開いた。
「……一つ、行きたい所がある。そこが済んだらおなしく帰る。それでいいな?」
六太はこくりと頷いた。しかし、そのすぐ後
「俺もついていくからな」
と付け足した。
「見張りは必要だろう?」
朝になり、舎館の主人に頼んで子供の衣装を取り寄せた。房室の中、起居の奥、臥室の扉が僅かに開かれ、人の気配を主人は感じる。
(たしか、旦那は夜遅くまで別の客と酒を飲んでいた筈だったが……。なんと、まぁ、お盛んなこって)
不埒な妄想を人好きする面の下に隠し、主人は早速子供の衣装を用意させた。
「長い布を忘れないでくれ」
臥室から少年の声が聞こえ、尚隆は思い出したとばかりに付け足す。
「そうだった。ご主人悪いが長い布も頼む」
主人の顔が一瞬引きつった。彼のの妄想は益々激しくなる。
(中から聞こえたのは、少年の声じゃなかったか?って事は……。おいおい女好きかと思っていたが、嗜好範囲が広いなぁ。で、長い布は何に使うんだ。ま、まさか、手足を縛ってそのう……)
「何だ?」
留まる所を知らない妄想でぼーっとなった所を尚隆に声をかけられ、主人は殊更吃驚した。
「うわぁああ。えーと、はい、確かに、畏まりました。ではすぐに」
早々にその場を立ち去った主人の後姿を尚隆は眺め、
「朝も早くに叩き起こしたからな。本調子ではないのだろう」
そう納得をつけた。
用意された衣装に着替え六太はほっと息をついた。長い布は丁寧にその頭に巻きつかれている。これで、彼を麒麟だと気付く者はいない筈だ。
二人は舎館を後にした。向かったのは、かつて尚隆の娘が住んでいた家の近く。そこにもう一度立ち寄る為であった。
尚隆の娘が住んでいた家の近く。ここには小さな祠が存在しており、立派に育った梓が風にゆれていた。
「この冢墓は?」
ついてきた六太が声を掛ける。
「ん?ここにはあいつが眠っている」
尚隆は愛しげに揺れる梓を眺めて呟いた。
「『あいつ』って……ああ……」
六太もすべてを察したらしく神妙な面持ちで祠を見つめていた。
「おそらく娘が建ててくれたのだと思う。それにしても不思議だな。思ったより手入れが行き届いている。最悪朽ち果てているかと思ったが……」
「誰かが面倒を見ているんだろう。でも誰が?」
六太が思慮を巡らせる。
梓が墓標の代わりである常世では、祠のようなものがあってそこに梓が植えられている時点で、誰かの墓であるという事が分る。よって、誰かが故人に気を使い墓守をしているのかも知れないとも考えられる。
だが、六太には違う思いが湧いていた。
「なぁ、その世話をしている奴って……」
呟き尚隆の様子を伺うと、尚隆も目を細めそれに答えた。
「分らぬ。だが俺は、そうあって欲しいと夢見ていたい」
――きっと、娘が世話している
娘の行方は結局分らない。
見つける手がかりさえも今となっては皆無である。しかし娘が常世のどこかで暮らしているかも知れぬ。そう思う事が、尚隆にとって僅かな励みのように感じていた。
「お前は知っているのだろう。だが、わざわざ教えてくれなくてもいいぞ。俺は、そう思いたいんだ」
静かにゆれる梓を繁々と眺め、尚隆はその前で小さく語りかけた。
「積もる話もあるんだろ、二人でゆっくり語ってこいよ。俺は、たまと一緒にあそこで待っている」
六太は祠近くの大きな岩を指差しにっこり笑った。たまとは尚隆が使っている趨虞の愛称。六太は、趨虞の五色の毛並みを柔らかく撫で上げた。尚隆は無言で頷くと、くるりと踵を反し祠に近付く。祠を取り巻く空気はとても冷ややかだった。
「お前が大事にしていた国がもうすぐ沈むぞ。俺はそれを見届けなければならぬ。……今思えば、お前の選択は間違っておらぬかもな。お前は幸せのうちに逝く事が出来た」
はるか昔、常世とは全く違う世界で逼迫した状況に身をおく事があった。沢山の民がまるで屑のように尚隆の目の前で死んでいく。魂の単位をただの数でしか、数えられぬ現実。
「……まぁ、それは今もあんまり変わらないか」
尚隆はつくづく自分の天命が難儀なもんだと思う。
「正確には、初めからそうなる
それから身をもって感じた。
確かに身体の衰えはなくなった。しかし、己の勝手で自らの人生を終らす事も出来なくなった。自分の運命から逃れるには、あまりに多い犠牲が必要となる。
「一国の。何万と言う民の犠牲が」
際限なく王として君臨しなければならぬ重圧感。仕方のない事と割り切ったつもりでいても、ふと頭を
「なぁ、お前は『人』でいる事を選んだ。ひょっとしてお前は、こんな俺に付き合いきれぬから先に降りたという事なのか?……だったら、お前も水臭い女だな」
――くす、くす、くす……
どこからともなく感じた忍び声に、尚隆のこめかみが僅かに動いた。見ると、梓は風を受けさわさわ音を立てている。尚隆はすっくと立ち上がった。梓を前に独り語る。
「暫くここにはこれないだろう。何年掛かるか俺には分らぬ。この国が如何いう最後を向かえ、どう変化していくのか、俺も見ていてやる事にする。お前もせいぜい壊されぬよう無事でいろよ。縁があったら又会おう」
六太が待っている岩に向かう。彼と趨虞は尚隆の顔を見ると幾分表情を明るくした。六太も
「じゃぁ、行こうか」
尚隆が号令をかけ、趨虞に飛び乗った。続いて六太も飛び乗り、しっかり尚隆に抱え込まれる。尚隆が軽く合図をすると、趨虞はぐんぐん天空へ舞い上がった。すぐ下は趨虞によって一気に起こされた突風に、梓は殊更ゆれ散り埃が辺りを掻き回す。がしかし、それも落ち着きを取り戻し又辺りは静寂が戻る。
柳北国は人知れずゆっくりと崩壊の道をたどっていく。
冢墓は静かにその行く末を見る事になった。
了
なにせ原作に全くないオリキャラを、尚隆の人生にさらっと通過させる為に、いろいろ画策したつもりであるこのお話。エンディングを含めて突っ込みたい部分も多々あるかと思いますが、一応私の妄想の行き着いた答えはこんな感じで落ち着きました。
尚このお話は元々「albatross」様の企画に乗っかって書いたものを、こちらで加筆修正して掲載しているモノであることを付け加えさせていただきます。