とある州で聊か不穏な動きをする犯罪組織があると秋官から指示を受け、軍が動く事になって数週間。わりに早く決着がつくかと思われたが、思いの他てこずる事となった。その為、結局桓堆がその制圧に向かう事になる。
 相手は剣術に多少覚えがある者らしく、その刺客の一人と桓堆は打ち合いになった。甲冑(よろい)で身を守ってはいたが、その覆われていない僅かの隙を別の刺客が援護射撃で見事に射抜く。利き腕ではなかったが肩に負傷をしてしまった桓堆は、その傷を庇いつつも何とか打ち合いに競り勝つ。
 彼ら軍の働きにより、慶東国に又平安が戻る事になった。


「今回は又深い傷だねぇ。おぬし、最近生傷が多いぞ。いくら放って置けば修復される身体とはいえ、これでは……」
 仙籍に属しているとは言え、怪我をすれば、傷は痛い。瘍医は痛みを和らげる生薬を練り合わせた物を、負傷した桓堆の肩に塗り込みつつ、そうぼやいた。桓堆は瘍医の指先が傷に触れると僅かに肩を震わせ渋い表情で片目を瞑る。
「おぬしはその性格上、自ら大立ち回りを行っているようだが。万が一の事があった場合如何するんだ。おぬしは軍を率いる立場に居るのであろう。もう少しその意味を考えてもよかろう」
細く裂いた綿布を、手際よく傷口にくるくる巻きながら瘍医は、幾分諭すような口調で言った。
「……余計な事かも知れぬがな」
「首は落とされぬよう気をつけてはいる。……だが。……確かに……。……多くはなったな」
 桓堆は傷ついた肩を軽く擦った。血液がそこに集中するような錯覚が起こる。
「しかし、これが無いと、俺が困る」
「え?」
「……いや、なんでもない」
 瘍医は桓堆の言動をいぶかしんだようだった。しかし、何も無かったかのように話を続ける。
「あまり無理をするでないぞ。今日はゆっくり休むがいい」
「ああ、そうする事にする。世話になった」
 桓堆は傷を庇いつつ軽く衣装を調えた。


 その日は熱が肌に絡み付く夜だった。
 じっとりとした汗が滲む桓堆は、濡れた手巾(てぬぐい)でそっと身体を拭き清める。静寂が横たわる独房(へや)に人の気配を感じた。
「誰だ」
 思わず近くにあった戈剣(ぶき)を持ち、身を構える。と、扉の向こうでは、小さな声、だが桓堆が最も欲する声を聞く。
「私だ」
 明かりを落としていた桓堆は、入り口に佇む陽子を眩しく眺めた。
「主上でございましたか」
「うん。又怪我をしたと聞いて。大丈夫、か?」
 陽子はさっと桓堆の独房に入ると、辺りに一言二言呟き扉を閉める。
「……使令ですか」
 桓堆は立ち上がろうとゆっくり身体を動かすと
「そのままで」
言って陽子は桓堆の傍に歩み寄った。
「何かあっても桓堆がいるから大丈夫だからと言うのだが。……その、景麒が……」
「心配なのですよ」
 桓堆はどんな時でも主の御身を守ろうとする景麒を至極当然の事だと理解し緩く笑う。
「お気持ちは分らなくも無い。ですが……。気配を極力消して下さってはいても、その……。やはり……」
 武人たる男の(さが)か。想い人が傍にいても誰か控えているという事はやはり落ち着いていられないものである。
「だろう?私も居たたまれない。だから居たければ外で待っていろと言ってやった。それで主人に面目が立つだろうと付け足してな」
 翠玉の瞳がくるりと輝く。
「ああ、だから」
 桓堆は先ほど陽子が辺りに何かを呟いている事を思い出し得たりといった表情をした。気付けば周囲の気配は陽子一人きりである。二人きり等陽子との間にはめったに無い事である。桓堆は頬の緊張を緩め、自身が座る臥牀(しんだい)傍の椅子を指差し
「座りませんか」
と促した。


「痛い……だろうな」
 陽子は桓堆の手当てを施されている部分を、心配そうに見つめた。
「あまり、無茶をするな。お前がそうだと……その、生きた心地がしない」
「……陽子……」

――どくん。

 桓堆の負傷した肩が疼く。
 それは、痛みからなのか?目の前にいる女が魅せる艶やかな眼差しによるものなのか?
 陽子は徐に椅子から立つと、臥牀の桓堆のより近くに座りなおした。そしてもじもじとした表情で桓堆を上向き視線で見つつ呟いた。
「やっと言ってくれた」
「何を?」
 桓堆が不思議だと小首を傾げると、陽子は小さく笑い、桓堆の腕を取る。
「『陽子』と。やっと、名前で読んでくれた」

――どくん。

 傷は更に深く疼く。
 桓堆は、取られた腕が小刻みに震える事を止められないでいた。
(いつも感じる。今、起こっている事は幻なのか?)
 桓堆の身体が傷口付近から熱く火照っている事を知っているのかいないのか。陽子は構わずに先を続ける。
「私を名前で呼ぶ者は殆どいない。だからお前が私を『陽子』と呼ぶ時。私の心は、至極粟立つ」
 翠玉の、幾分潤んだ(まなこ)が熱を帯び、より近付く。
「愛されていると。心からそう想える瞬間だ」
 陽子が火照っているのが桓堆にも伝わった。今宵は熱が肌に絡み付く。
「……離して、下さいませんか」
 喉がからからに渇いた桓堆は、掠れた声でそれだけ漸く言えた。
「すまない。痛かっただろうか」
 陽子は直ぐ腕を話し、しゅんとうな垂れる。すると陽子の頬に、生薬の独特の香りが放つ白き綿布の生暖かい感触があった。気付けば桓堆の腕は陽子の背中に回されている。

――どくん。

「こうしたかったからですよ」
 傷が疼く。
 疼きの中、桓堆は、知らず確認しているのだ。
 陽子は間違いなく桓堆を、今必要としている事を。
 陽子と思いが通じてから、いつも不安が纏わりついていた。


「お前が支えておやりなさい」
 桓堆をいつも前に押し上げてくれた浩瀚は、言葉少なげながらもきっぱりと言い切った。


「あの方はいつも張り詰めた気持ちの中にいる。私では如何しても和らげられないものを、あなたが(ほぐ)して差し上げて欲しい」
 普段は口数も少なく表情も乏しい景麒がそう願い請うた事は、けして忘れない。


 それでも感じずにはいられない。
(今、目の前に起こっている事は夢ではないのだろうか)
 叶う筈等無いと思っていた。
 想い焦がれている女は、自国の母となるべき遠い存在。
 それが、今、傍にいる。この手で熱く抱擁を交わしている。
 桓堆は陽子の背中に回した腕を少し動かし、目がさめるほど赤く揺らめく髪に指を這わせ、目を閉じた。
(傷があれば陽子が俺を構うのではないか等と。つくづく俺はどうかしてしまった……)


 この所桓堆は確かに傷が多くなった。
 防御をしない訳ではない。が、傷が一つ増える度心の片隅でそれを待っていた自分に桓堆は驚いていた。
(傷……か。そんなものにまで頼るほど俺はもう陽子がいないと駄目になってしまった)
 陽子が桓堆を想い心から心配できてくれているのは分っている。しかし、陽子が桓堆を想っている確証を感じていたい。
 傷が疼く。
 だがその苦い痛みが、同時に魅惑的な味となる。
「ねぇ」
 陽子の口籠(くごも)った声で、桓堆ははっと我に返った。
「呼んで欲しいの。名前を……。『陽子』と」
(この方も同じなのかもしれない)
 桓堆はそんな事を思っていた。
 陽子は桓堆が自分の名前を発する時、桓堆に愛されている事を感じている。
(そして俺は。陽子が縋りつくこの瞬間が欲しくて。俺は……。オレハ……)
 又、傷が甘く疼き出した。
 鈍い痛みがじわじわ身体に拡がる度、桓堆は恍惚とした顔になる。
「愛している。……陽子」



きっかけは、「KANTAI Collection」のkiyomiさんのご作品を拝見してなんですけど。えーと、それは、黙っていた方がいいですか。
kiyomiさんのご作品は甘さ満開の大変美味しい「桓陽絵」だったんです。見ていて幸せになったもの。
それから、脳内刺激されて「桓陽作品書くぞ」と、うきうき妄想を繰り広げたら…。あら、あらら…。
これ読んだ皆様は、いろいろご意見もあると思うのですが。その、何だ、かんだ言っても、初桓陽モノですし。
お、多めに見てやってほしいなぁぁぁあああ。
→追記。過分なるお言葉をkiyomiさんから頂戴し、しかもそのご作品を特別頂戴致しました。
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そして。「桓堆が傷を負うまでの成り行きが、凛のSSだけでは、イマイチなんだよなぁ〜」とお嘆きの皆様。
ふへへ…あるんですよ。それを深く掘り下げて頂いた、頂きモノが。是非、こちらもご覧頂きたい。
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実は、前から桓陽は、いいと思うんだけど、恋人同士になる間での過程の捏造が、私の力量では上手く考えられず、撃沈していました。
一個私の頭の中でネタはあるけど。
でも、kiyomiさんのご作品を拝見したら、あまりの激燃え(ああ燃えたさ。萌えぇ〜所の騒ぎじゃないよ)に「んなもん、如何でもいいかぁ〜」と爆走してしまって。
それをすっ飛ばしたら、いやぁ、仕事速かったです。自分。
本当は桓堆が陽子を思いっきり男前にハグしていて、陽子はその胸の中でうっとりなんて言うのが書きたかったんだけど…。
それから。本当は、二人が恋人になる過程って重要だと思ってるんで、ちゃんと考えを纏めて、次回、チャレンジします(あ、勢いで言ったけど、何時やる気なんでしょう、アタシ;;)
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2006.6.初稿

素材提供 ぐらん・ふくや・かふぇ さま
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