凍れる果実様 作

     とけてしまいたい。
     好きになれるのなら

     わたしがいなくなって
     あなたをうしなって、

     あの日あのとき、流れていった風にのって、


     どうか、
     わすれてほしい、
     だから、


              わすれるほどにとけて
              あなたを




 かたんと、音がなった。
 わざと鳴らした音なのに、鳴らした自分がその反響にびっくりした。
 再び寝入ってしまった主をそのままに、起きてしまわないことを確認して、起きて欲し かった感情を抱いたまま、こんどは音を立てないようにそっとそっと、僅かに扉を開い て、そのちいさな隙間に細身の身体を滑り込ませ、そして・・・

世界を染め上げる最初の光陰、その先触れの風が頬に気持ちよかった。


「朱衡」
 すこし驚いたような僅かに高い声変わりを永遠にすることのない少年の声が彼の名を呼んだ。
「・・・どうし・・た?」
 そして、僅かに労わるように、ためらうように聞くその言葉に微笑んでみる。
 すいっとその顔の角度をかえると、僅かに光、それが彼の白い肌を朱に染めた。
「それは拙が伺いたく」
 騎獣に乗って空に浮かんだままの少年を軽く睨み、それでもその瞳の奥はやさしげな光をうつしたまま彼は聞いた。
「おかえりなさいませ、と申し上げましょうか?それとも、いってらしゃいませと、申し上 げたほうがよろしいでしょうか?」
 すいっと彼の瞳が細められたのは金の鬣にのぼる日が煌いたからだろうか?
「・・・ただいま・・帰りました」
 叱られたわけでもないのに、うなだれてしまうのは何故だろう?

 きっと、それは・・・

 いつか、
 願い、
 それを、この彼に告げたこの場所だから、
 押し付けて
 誰にも出来ぬことを押し付けて、
 見えぬ枷になってはくれぬかと、そう、願った。

    勝手な願い。
    この人を縛ってしまった。

 揺れる風、途切れぬことのない波の音、
 それが少年の耳をふさいでもふさげぬあのときへとひきもどす、


                    朱衡、朱衡、お願いだ、
                    お願いだから・・・


   押し付けた、
   あの男の闇を、罪を、深淵を、
   罪深い、それは、それは、


 勝手な願い・・

「台輔」
 呼ばれた
「台輔、」
 見ると、綺麗な瞳、
「さあ、台輔」
 細くて長い腕がさしのばされて、
 包むように両の掌が少年に開かれていた。
 抱いて騎獣からおろしてくれた彼の首筋から香る二つの香に、胸が痛んだ。
「台輔?」
 胸が痛い、
「しゅこう・・・」
「はい?」
「・・・・ごめん」
 しがみついて離れない金色の頭が彼の胸元で微かに震えていた。

    やまぬのは波の音、
    塞いでも、
    どうしようとも、
    寄せて返すその波に、
    痛むこの胸が痛んでいたんで、それでも、
    願わずにはいられなかった。

        この綺麗な瞳にすがりつく、こいねがう。
        いつか、いつか、消えてなくなってしまっても、
        失ってしまっても、波に攫われる、風に攫われる
        時の狭間、取り戻せない、その思いに、

    この人を押しつぶした。

        どうか、どうか、一緒に・・・
        一緒にきてほしい、
        好きになって、
        お願いだから、おいていかないで、

    もし、何も見えぬときがくることがきたら、
    先に行ってしまうだろう自分では、かなわないそのことを

                     この人に押し付けた。



「台輔、どうなさいました?」
 くすりくすりっと笑う振動が伝わって、切なくなる。
 きゅっと、音が鳴るほどにしがみつく、
「しゅこう・・・」
 背をなでられる、鬣をなでてくれる。
「台輔、どうなさいました?」
 やさしい声、いつまでもこうしていたい。
「台輔?」
 やさしい人、あたたかなぬくもり、
 昇る日、朝になって、
 この人の顔をみたいのに、見られない。
「台輔、ほら、朝ですよ」
 なでてくれる手にうながされて、見ると、光、
 そして、ゆれる振動が彼が笑っていることを伝えてきた。
「朱衡?」
 くすり、くすりっと彼は笑う。
「いえ、朝だなって、思いまして・・」
 何かを思い出したかのように彼は笑う。
「朱衡?」
 いぶかしげに聞く少年に、
 いつも、眠っておしまいになるのですよ。っと、彼は言う。
「朱衡?」
 くすりっと笑う気配が伝わる
「朝日を、」
「あさひ?」
 ええっと、うなずく彼のしぐさが、香る
「ともに、見たい、そう仰せでしたのに、」

    やさしい彼、

「一度も、」

    この人を、

「お目覚めにならない」

    縛り付けた

 くすりくすりと笑う声、

         やさしい声、やさしい瞳、
         この人を手放したくない、
         おいていかれたくない、
         誰がいなくなっても、
         誰に去られても、

             せめて、
             おねがいだから、
             せめて、
             いかないで、
             いかないで、

    やさしいこの人を縛りつけた

「朱衡・・」
 ぎゅっと抱きついて、
 ずっと、だきついて、
「だから・・・台輔?」
「しゅこう・・・」
「台輔、ほら、朝ですよ」

  のぼる日に、
  いつか消える、

     好きになって、好きになって、
     尚隆を、尚隆を、俺たちを、
     お願いだ、だから・・・
     好きになって

     過ぎていく、時の中でどうか、忘れないで、


お願いだ
朱衡
好きになって・・・


風の音を聞きますか? 「  」
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2004.5.31 凍結果実にて掲載
2005.9酔訛楼にて再掲載
素材提供 篝火幻燈さま
禁無断転写