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Fight like a brave
松山瑠璃さま




 陽子は町の中心を通る大途を弾むような足取りで雑踏を掻き分け進んでいく。特に当てがある訳ではなく、食べ物を並べた屋台の親父に商品の説明を聞いたり、装飾品を売る出店で簪や耳飾を手にとって眺めてみるかと思うと、ふと路地裏に引っ込んで道行く人々の様子を満足げな表情で見渡している。

 赤楽王朝は今年二十年を迎えた。陽子は信の置ける官を集め、朝は整い、政は軌道の上をゆるゆると加速をつけながら走っている。

 実際として陽子には巧くやっている、と言う自信がない。官は皆陽子を褒め称えるし時折やってくる隣国の王と宰輔も労ってくれるが雲の上に座って書類を書いて御璽を押す、それだけのことで本当に国が潤ってきたか、民が笑っているか実感を得ることが出来ない。

 そうぼやくと冢宰と台輔が半日尭天に降りることを許可してくれた。


 均し敷石を引き真直ぐに伸びる広途。道の端にある雨水除けの溝には木ではあるが蓋がしてあり、子供が足を取られて転ぶこともない。少し小さな途に入ると塀の連なる道端には等間隔に街路樹。そして上下左右の広途が交差するその場所には広い公園。別に何があるわけではないが木々を植え花壇を作り木作りの榻を置いた。陽子の目論見では雁から技師を借りて噴水と時計塔を建てる予定だ。


―――形になっている。
 陽子がこうしたいと言った青写真。そこに識者の意見、民の要望を組み込んで一つの街を作り上げた。今はまだ首都尭天だけだが州都の整地も各州候に打診しているところである。
―――そして、人々の顔。
 行き交う人、飛び交う声。時折子供の高い笑え声が響く。門の辺りに溜まっていた浮民、荒民らしき者達の姿は気になるが取り敢えず街中の人々の表情は明るい。
―――焦っちゃ駄目だ。今出来ることを、一つ一つ慎重に行わなければ。
 田畑では丁度収穫期だ。地官によると米は今年も豊作だと言っていた。義倉を少し開放して荒民に・・・いや、施しはいけない。彼らも何時か自国に帰り再び働き自らの生計を立てなければならないのだ、施しに慣れて堕落してはいけない。
―――公共工事を増やすか。
 帰ったら浩瀚に相談しよう、と建物の間から広途に足を踏み出した時だった。


 きいい、と耳が鳴る。
 日の光がまるで自分ひとりだけを照らすかのように熱く眩しい。
 それにも拘わらず背を冷や汗が伝いさあ、と額が上から冷たくなっていくような気がする。
 足から力が抜け滑稽なほどにがくがくと震える。
 視界に黒い斑点が一つ現れ、二つ現れ、やがて全てを覆い尽くす。
 咄嗟に左手にある塀に縋りついたが身体は重力に負け地面との距離を無くしていった。



「あれ?」
 牀榻から間の抜けた声がした。
 下男から受け取ったばかりの冷水の入った水差しを持って牀榻の傍に行くと主は大きな瞳を瞬かせていた。
「気が付かれましたか」
「ここ何処・・・?」
「ご気分はましになりましたか」
「何で浩瀚がここにいるんだ?」
 陽子が起き上がろうとするので浩瀚は失礼を、と呟き彼女の背に手をやり半身を起こすのを助ける。先程より随分顔色がよくなった。玻璃の器に水差しから冷水を移して口元に持っていくと彼女は危なげな手つきで器を受け取った。



 午前の政務を終えて着替えに私室に戻った陽子の書卓の上を見ると街に降りるときにいつも持っていくらしい旌券が残っていた。慌てて人を遣ると既に指令に乗って禁門を出たという。どうしてあの方は官府を通って正門から尭天に降りないのだと溜息を吐いたが、自分も主に合わせて午後は休暇の身、偶には街に降りるのも悪くないと手早く着替えて降りてきた。旌券を手渡すことは出来ぬかもしれないが滅多なことがない限り旌券を使うことはないだろう。そもそも延王の裏書のある旌券など事を荒げることはあってもごたごたを穏便に済ませようとして役に立つことはあるのだろうか、と疑問に思う。
 浩瀚は街の中心部から外に向かって歩く。陽子は妖魔に乗っている以上門から中心部に向かって歩く心算だろう。出会える確立としては三分の一、悪くない賭けだ。自分の物見湯山も兼ねてのことなので浩瀚は中央を通る一番広い広途を選んだ。人通りは多くすれ違ったとしても気付かない可能性もあったが浩瀚は自分が彼女に気付かない筈がないという妙に強い自信があった。
 果たして遠目にも目立つ紅の髪を人混みに見出したのは一刻後。浩瀚はこの五百とも六百とも思われる人の中から狙い過たず探し人を見つけ出した自分に少し呆れる。
―――本当に私は主上に関しては運が良いらしい。
 それは自分自身の運なのかそれとも主の運気に引き込まれているだけなのかは定かではないが。


 紅い髪が塀と建物の壁の間に入った。裏路地に行かれては困る、浩瀚は足を速める。
 目標が隠れたと思ったのは数瞬、再び広途に現れ歩を進めるかと思ったが今度は下に向かって隠れる。
 思わず人目も憚らず主上、と叫びそうになり浩瀚は歯を食いしばり人の波に逆らって今では半円を描き人の居ない空間を目指す。
 漸くその空間に飛び出すと中年の女性に上半身を抱き起こされ頬を軽く叩かれている主を視界に収めることが出来た。




 その女性は直ぐ近くの宿館の女将で快く部屋を貸してくれた。豪華ではないが小ざっぱりした房室、華美ではなく質実剛健な家具、清潔な褥。宿館の中では中の上と言った所か。首都の広途に面した宿館がこの程度とは、やはり慶はまだ貧しいのだと言う事を浩瀚に痛感させる。
「体調がお悪いのでしたら街に降りるのは控えて頂かないと」
 思わず説教たらしくなる浩瀚の口調に陽子は口を尖らせる。
「だって久し振りの休暇だよ?それに体調が悪い訳じゃない。ただ普段余り日の光を浴びていないし体がびっくりしたんだと思う」
 言いながら牀榻から這い出そうとする彼女の肩を押し戻し、その手に触れた骨格の感触が余りに細くて浩瀚は一瞬動揺したが直ぐに顔を引き締める。陽子は彼の顔に走った表情の変化には気付かなかったらしい。



「見て」
 顔色が良くなり漸く牀榻を出ることを許すと陽子は窓辺に椅子を引っ張っていき窓枠に肘を突いて外を眺めたまま動かない。浩瀚が榻に座り部屋に備えられていた茶器でお茶を淹れ窓辺の陽子に手渡すと振り返った陽子は言った。
「物理的にものを施すのは簡単だけど、気持ちを届けるのは難しい。私は、今日初めて自分の心が民に届いていることを実感できた」
「左様でございますか」
「うん」
 擽ったそうに肩を窄めて笑うとこの年代の少女特有の照れたような笑顔が浮かぶ。
「公園を見たか?私は花壇を作るように言ったけど、苗は今奏国に打診中でまだ植えていなかった。それが」
 窓枠に手を掛けて外に向けて開け放すと広間のある方向を指差し笑う。「花が植えてある」


「政は道標でございます」
「うん」
 頷く主の表情はきっと前を見据える王のそれ。
「民は轍を残し自ら進んでいく。王はただ人々が道から外れぬように先頭で行く先を示し民の足元を照らし続ければよいのです―――ですから」
 浩瀚はそこで言葉を切り陽子の顔を見る。不自然なところで途切れた会話に陽子が訝かって窓の外から視線を浩瀚のほうに向ける。
「主上には民がどのような道を歩んでいるのか確かめる機会が必要でしょう。時折街に降りることが出来るよう台輔に交渉してみましょう」
「浩瀚!」
 ぱあ、と明るい笑顔が咲き誇るのを自分は何故この少女にはこんなにも甘いのかという自嘲の念と共に浩瀚は受け止める。


「但し今回のように突然倒れられては困ります。もっと普段からお体を鍛えられませ。主上は軽すぎます」
「・・・浩瀚がここまで運んでくれたのか?」
 主の頬にゆっくりと朱が上るのを見てこの年若い外見をした少女が肌同士の接触を妙に嫌がるのを思い出し浩瀚は思わずふっと笑んだ。
「まさか護衛につけてある兵卒に運ばせる訳には参りませんでしたから。ちなみにお寝かせする時に帯を緩め襟元を少し開けたのも私ですよ」
 これを契機に少しでも異性視してもらえれば、と少し意地悪く言ってやると益々頬が紅くなり口をぱくぱくと開ける。
「更に申し上げればこの宿館の女将は貴女と私は待ち合わせをしていた恋人同士と早とちりしているようでご覧のように牀榻が一つしかない房室に案内してくれましたよ。当然泊まって行くと思い込んでいる様子ですし痩せ細った貴女に食べさせるのだと今息巻いて夕餉の準備をしている所の様です」
 敢えて露骨な表現をし追い込めるところまで追い込んでみると獲物は呆気なく陥落した。
「御免なさい」


 華奢な身体を更に竦め首を窄めて潤んだ瞳で上目遣いに見上げてくる様は可愛らしいが浩瀚の矜持としがらみで雁字搦めの心が年端も行かぬ小娘の無意識の媚にぐら付く筈はない。軽く溜息を吐き微かに残る媚態の残滓を振り払うと念の為窓から差し込む光が作る影へ入り自分の表情を見え難くする。
「どうする?」
「女将には悪いですが金額を上乗せして今日のところは帰りましょう。主上のお体も心配ですし」
 陽子は少し眉を寄せて考え込んでいる風だったが、何かを決意してきっと顔を上げた。
「駄目だ。自分の民から向けられた好意をお金に物を言わせて無碍にするなんて私には出来ない。泊まっていくぞ、浩瀚」


 矜持と。
「私の体調だって大丈夫だ」
 しがらみと。
「一晩休んだら直ぐに良くなる」
 年端も行かぬ。
「牀榻だってこんなに広いし端っこに寝たら」
 小娘の。
「浩瀚は寝相が良さそうだし私だってそう悪くないと思うよ」
 無意識の。
「浩瀚は理性の人だし何処ぞの盛った猿みたいなえろ親父と違って大丈夫だよな!」


―――無意識か。
 浩瀚は悟った。一番怖いのは無意識の媚態だ。自分はこの何処までも無垢であくまでも鈍感な少女を煽るべきではなかった。彼女は自分に向けられた好意と同じだけの好意を返すことが出来ていると信じている。自分に向けられた感情の内実がどんなものかを理解しないまま。どんなに緻密に張り巡らされた理性であろうと切れる時は切れるのだという事実に目を向けずに。
 きらきらと輝く瞳に込められた信頼に応えなくてはならない。
 彼女が自分を理性の人と言うのならば自分は気が狂おうとも理性を繋ぎ止めていなければならない。
 それが今浩瀚に出来る唯一の彼女を喜ばせる術。



浩瀚はまるで何処ぞの麒麟のような長い深い溜息で主の無意識の命令に応えた。

(了)

松山瑠璃さまから当サイト二周年のお祝いに貰ってしまいました。
普段は尚陽を増産していらっしゃる松山瑠璃さま初挑戦の浩陽だそうですよ。んふっ特別って素敵vv
生真面目陽子さんだぁ~(お仕事限定)とほくほくしながら拝読致しました。
実際街に降りて国づくりを確認できた陽子。民が進んで公園に花を植えていた事に感動する陽子の所が私は心に残りました。
そして。無自覚に男心を振り回すという私の大好きシチュを。さり気無く察知してくれた松山さま。あなたはひょっとしてエスパー?
浩瀚は理性の人だし何処ぞの盛った猿みたいなえろ親父と違って大丈夫だよな!」
このさらっと牽制した一言。あれ?無自覚かなぁ?
苦笑いを浮かべる浩瀚が見たくて言ったんじゃねぇのと一人薄気味悪くほくそ笑んだ私でございます。
松山さま。この度はご提供有難うございました。

2007.10掲載
素材提供 ぐらん・ふくや・かふぇさま
禁無断転写