たまさかの逢瀬

とある宿館(やどや)に一組の男女が現れる。

二人とも一見すると派手さはなく、落ち着いた色目の衣装を身に纏っているが、

よくよく見ると、一つ一つが手の込んだ仕立ての良い衣装である。

「おっ、これは上客」

宿館の家公(しゅじん)の長年の感は侮れない。

すぐさま、古株の慣れた下男下女を呼ぼうとしたが、この日は年に来るか来ないかの忙しさ。

更にこの中にはご贔屓筋もいて、その者らが無理難題を吹っ掛けて来る。

慣れた下男下女は、その客らに足止めされていた。

致し方ないと家公は、つい先日入った新人を呼んだ。

「お前さん、気立てはいいからね。まだ慣れて無くて、緊張するだろうが頑張るんだよ。

最初はあたしが近くで一緒に対応するからね。わからなかったら、あたしに聞くんだ。

多分、今日お前が接客する客は上客だよ。気に入って貰えれば、お前を指名し、沢山の金銭を

ここに落としてくれる。…いいかい?お前に頼んだからね」

新人の下男は確かに気持ちの素直そうな気立てのいい男だった。

家公は今回それにかけてみる事にしたのだった。

新人の下男は、おずおずと返事をすると家公と供に玄関に向かう。




その男女は、可笑しな位目立つ存在感だった。

余人を超える気と言うものだろうか。

おいそれと近付く事を躊躇させる雰囲気に家公は息を呑んだ。

しかし、男と女がこちらに対して心砕けた柔らかい笑みを投げるので、

家公はほっと胸を撫で下ろす。

そもそも男女一組で現れるのは、大抵そこに色恋仲が匂うものだ。

しかし、男女にはそう言ったものは少しも感じなかった。

どちらかと言えば、長年の戦友のような、気心が知れた仲間のような感じにとれる。

『まぁ、しいて挙げるなら、女が男にある一定の敬意を払っているといった所だろうか?』

家公は揉み手をしながら、その男女に近付いた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、お越し下さいました」

「忙しそうだな。房間(へや)(小さく粗末な部屋)は空いているか?」

男が良く響く声で家公に聞く。

「お陰様で、本日ばかりは忙しく商いをさせて頂いております。いつもでしたら、

好きな所にお泊まり下さいと言いたい所ですが、そんな訳で、生憎とこちらの

房室(へや)(房間よりランクが上。少し豪華な部屋)になります。宜しいでしょうか」

男女は趨虞をつれてやってきた位である。

そこそこの身分である事は確実であったので、少し値は張るが、この宿館自慢の房室に

案内しても問題ないだろうと、家公は奥へと一行を連れて行った。

実際、本日は忙しいとはいっても、所詮、名も無き宿館。

宿賃との折り合いがつかぬと、ここの房室だけは空いていた。

「そう、か。出きればこ狭い方が落ち着くんだがな。忙しいとあっては仕方が無い。

それでもよいか?陽子」

男はそう言って、傍にいた女に目を向けると

「そうですね。尚隆殿」

と女は微笑した。




房室に一歩踏み込み目に飛び込んだのは、大きな窓だった。

そこから臨む庭園は、今時期、柳の葉が青々と茂っていて、清清しい。

「これは凄いな」

尚隆と陽子は暫し、その柳の緑に見惚れてしまった。

「さようでございましょう。お客様、春にお越し下されば、もっと良い物が見れますよ」

ささっどうぞ、と家公は二人を案内する。

新人の下男は、とにかく邪魔にならぬようにと、隅に控える事にした。

尚隆は両手を腰に当て、窓から望む庭園を楽しみながら、家公の話に興味を示した。

「ほう、春とな」

「はい。春になりますと、一斉に柳の種子の白い綿毛が飛び漂うんですわ。

それは季節外れの淡雪が風に舞うようでございます。

ここを建てる際、こんなに大きな窓は流行ではないと、笑われたのです。小さな透かし窓を

いくつもつけて、見る角度によって、一つとして同じでない構図を楽しむ方が趣があると。

…確かに、それは流行でございますよ。しかし、あたしは、この柳の自然の美しさ壮大さに

圧巻しまして。もう、これは下手な小細工はいらぬと無理を言ったのですわ」

家公は、言いたくて堪らないと、堰を切ったように話をする。

「それに、かえって手入れも楽でしてね」

そう家公が言うと、陽子がくつりと笑う。

『学校の掃除の時間、窓拭きをしていた頃を思い出したわ』

「如何した、陽子」

尚隆は、笑みを零している陽子の肩を豪快にぽんぽんと叩く。

「いいえ、何でも。…しかし、本当に目の覚める様な緑で、見事な柳ですね」

陽子が家公に伝えると

「そうでございましょう」

家公は満足げな表情をしていた。

と、そこへ別の下女が家公を呼ぶ。

何でも、どこだかの房間で、揉め事が出たようである。

家公はちっと舌打をしつつ、すぐ表情を人の良さそうな笑顔に戻すと、尚隆と陽子に告げた。

「申し訳ございませんが、あたしはこれにて失礼致します。後は、この男がご説明致します故、

どうぞごゆっくりとお寛ぎ下さいませ」

そして新人の下男には「後は頼んだよ」と言い残すと、そそくさとその場を後にした。




「―――以上でございます。ご用の際には何なりとお申し付け下さいませ」

新人の下男は何とか一通りの説明を終え、房室を出て行った。

二人きりになった、尚隆と陽子は窓辺に佇む。

「まこと、この房室は開放的で気持ちがいいな」

尚隆は、広く庭園を見渡す事が出来るこの部屋を気に入った様である。

暫くそこから離れようとしない。

「しかし、人目を憚るには聊か…その…不利ですね」

陽子は道中で多少崩れた衣装を調えつつ、尚隆の傍らに控える。

「見せ付けてやればいい。俺は一向に構わぬが、お前は嫌か?」

尚隆はそう言うと、陽子の腰をぐっと引き付け様とするが、陽子に難なくかわされる。

尚隆はふっと苦笑いを浮かべたが、すぐに気を取り直して次の話をする。

「そう言えば、今日は又、珍しく趣の変わった衣装だな。よく似合っている」

「これは…その…景麒から贈られたのです。久しぶりにあなたにお会いするのであれば、

女性らしく多少着飾った方が良いと」

陽子は頬を染めながら、説明をする。

「ほう。あいつも、随分と柔らかい考え方になったものだ。今日は使令もつけていないでは

ないか。長い年月の末に漸くお前の半身も《気を利かす》という事を覚えたらしい」

「…」

「ん?如何した、陽子?」

満足げに語った尚隆だったが、陽子の何か言いたげな視線に気付くと彼女の瞳を

覗き込んだ。

陽子は、尚隆の視線に自身の視線を合わせると口を開く。

「尚隆殿。してやったりとお思いでしょうが、私には何となくこの辺りの裏事情が

想像出来ておりますよ。あなたは六太君を使って、その様に仕向けた。最近、景麒は六太君に

何くれと無く、私とあなたの事を相談している。それを知っていて少々利用した。

この衣装もあなたがご用意したのでしょう。そして、六太君に渡し、いかにも六太君が

景麒に指図をしたように仕向ける。こうすれば、私が喜ぶとか何とか、六太君から景麒に

吹き込んだのでしょう。景麒は六太君に言われた通り、衣装は自分が用意したと言って、

私に渡す……。全く、手が込んでいるったらないですね」

陽子は恨み言を言ってはいるが、その顔は少しも怒っているのではなく、寧ろ楽しんでいる

といった具合である。

こつりと尚隆の胸に顔を傾け、艶やかな表情を見せる。

先程まで彼女には、見えない鎧でも背負っていたかの様な緊張感が漂っていたが、

打って変わって今は、目の前の男に全てを預ける幸せに浸っている。

「さあ、如何だったかな」

尚隆は小さく笑うと、漸く陽子の腰に手を回す事が叶った。

「どちらにしてもだ。気に入りの女が綺麗に着飾るのは、見ていて飽きぬものだ。

そうだろう?」

尚隆は陽子の肩をもう片方の手でぐっと引き付け、陽子の鍛えられていながらも柔らかな

身体の感触を楽しんでいる。

「俺はお前と出会って、面倒くさい事が好きになったのだ」

言って尚隆は陽子の頭に顔を埋め、彼女の髪から発せられる香りを堪能し様としていたが…。




バタンッ

急に大きな音と供に、入り口では先程の新人の下男が立ちすくんでいた。

新人の下男は、目の前の尚隆と陽子の様子に目が釘付けである。

彼が驚愕の内に固まっていると、尚隆と目が合った。

尚隆が微笑し下男に語る。

「そこな下男よ。見世物にしてはまだ導入部分。これから一晩中、観客であるお前を

飽きさせぬ自信はあるが、お前はそれに付き合うのか?」

「し、し、失礼致しましたぁああ〜〜〜!!」

新人の下男は一目散にその場から逃げていった。

足早に帰る中、彼は興奮のまま泣き言が頭をぐるぐる駆け巡る。

『やべぇよ。旦那様に、どやされるじゃねぇか。おいら、ただ夕餉の時刻を聞くのを

忘れたもんだから、確認に行っただけなのに。

だって、だってさ。あの二人、房室に案内するまでは、あんな色っぺぇ雰囲気、

出てなかったじゃねぇかよ〜〜』

この下男の不幸は本日の忙しさと、家公からの思わぬ期待、そして家公の喋り過ぎだった

事であろう。

案内した際、家公が柳の薀蓄等とうとうと語らず、確認すべき事をやってしまえば

良かったのだ。

思いがけず、その場を離れる事になり、接客が中途半端になってしまった。

新人の下男は、独りではまだおぼつか無い接客を、彼なりに一生懸命行おうとしたのだろう。

聊か舞い上がった新人の下男は、うっかり夕餉の時刻を確認し忘れた。


―今日お前が接客する客は上客だよ。―

―いいかい?お前に頼んだからね―


家公の言葉が頭をよぎる。

新人の男は確認漏れこそいけない事と、そればかり考え、後の事はすっぱり抜けてしまった。

そして現在に至る。

『おいら間違いなくあの二人の邪魔したかなぁ〜。邪魔、したよなぁ〜』

気付けば、聞きたかった夕餉の時刻も頭に無かった。

しかし、戻る事はもう出来ぬ。

それが野暮な事くらい、新人の下男にも流石に想像がついた。

「あーあ、旦那様になんて言おうかなぁー」

がっくりと肩を落とすと、彼はとぼとぼ歩いていった。




「尚隆殿、お人がお悪いですよ。あの子、あんなに慌ててしまって…」

陽子が尚隆の胸に身体を預けつつ、苦笑いを浮かべる。

「そうか?半分は本気だったがな」

尚隆は陽子に向き直ると、肩に回していた手を徐に陽子の形の良い顎にかけた。

陽子はその先を期待し、そっと瞳を閉じる。

尚隆はくつりと笑みを零すと、陽子の期待に答えるべく、徐々に陽子との密着の距離を

縮めていった。

たまさかの逢瀬は、まだ始まったばかり。




まともに書いた初尚陽です。実はこれ、夜紅虫様の「逢瀬」という尚陽絵に感想を書いた時、
尚隆がこんな事言ってそうですねと「見世物にしては導入部分〜」を思わず呟き。感想のつもりだったので、
挿し文で宜しかったらと、お誘いを受けた時は吃驚と供に、構って貰えるという喜びで嬉しかった。でも、絵のイメージを私の駄文が邪魔しないかなぁとか、いろいろ悩んだんですけどね。お優しい夜紅虫様の後押しの元、こういう話で落ち着きました。
絵をご覧になりたい方は、「燈虫花想」様へ行って見て下さいませ。陽子を抱いて、自慢げにこちらを見ている、俺様尚隆様にお会いできます。
折角、夜紅虫様の絵でお話が書けるという光栄を授かったので、私が夜紅虫様の絵で感動した、柳の清清しさや、衣装の雰囲気、二人の表情等を、話の中に盛り込むよう努めました。(だから無駄に長いの、です)
柳を見て最初に思ったのはとある庭園。
私、一応頭の中で庭園とかを妄想するときは、その場所を参考にしてるんですけど。
夜紅虫様も、同じ所を参考にしているとお聞きし、狂喜乱舞。夜紅虫様、同じ所に萌えを感じるなんて、感無量だ。
とある場所につきましては、その内どこかで語れればいいなと思ってます(あっいらない?)
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2005.6.初稿


素材提供 篝火幻燈さま
禁無断転写