子を望んだ女


昔、惚れた女がいた。

女も男を心底惚れていた。

男は女といる時だけ、男の周囲にあるしがらみから抜け、女の優しさに包まれる事

が出来た。

女も男がふらりとやって来ると、男に対する愛しさと切なさが身体中を覆った。

二人は限られた時間、片時も傍を離れず、同じものを見、同じものを聞き、

同じものに触れていた。




次第に女にも欲が出てきた。

ある日、その欲を男に話してみる。

「風漢様。私、あなたの子が欲しいの」

風漢―下界に降りる時の彼の通り名である。彼には本来の姿がある。

賢帝と謳われている雁国の王。それが彼の真の姿。

もちろん女はその事を知らない。

風漢という名前しか知らぬ、風来坊。女にはそれだけで十分だった。

余計な詮索をしない女だからこそ、風漢も女と長く付き合ってこれたのだが。

風漢はこの女の申し出に戸惑った。

彼は独身で神籍に入った。

そうしてからは、いくら望もうとも、彼に子は授からない。

少し考えてから風漢は話し出した。

「俺はお前を愛しているが、始終一緒にはいられない。これはどうしてもだ。

そんな二人に天が子を授けるとは思えないのだが」

「えぇ分かっています。子が生まれたからといって、あなたにずっと傍にいて

欲しいとは言いません。私は、ただあなたの子が欲しいの」

子は責任を持って育てると言い切る女に、風漢はますます困り果てた。

女の願いは叶えてやりたい。

しかし実際の所、卵果が実る筈がない。

常世(ここ)では、それが当然の事なのだから。

『どうせ実らぬのなら、仮初にも下界にいる夫婦の様にしてやっても

いいのかも知れない。俺はお前をを愛している。愛の証としてお前の言う事に、

付き合ってみてもいいのではないだろうか』

女の真剣な眼差しに、情に絆された風漢は、ついに女の申し出を受ける事に

したのだ。




まず風漢は女と同じ里祠に、自分の戸籍を作った。

本来私事で職権を使用する彼ではないが、今回はやむ終えずそうする事にした。

出来るだけ真剣に忠実に行わなければならない。

そう風漢は思っていた。

女は帯に一針一針丁寧に刺繍を施した。一目で自分の卵果だと分かる様に。

風漢はそれを見るにつけ、結局女を騙している事に心が痛んだが

女があまりにも嬉しそうに、輝かんばかりの笑顔を見せるので、

それで良しとしていた。

『お前のその笑顔が見れるなら、今はそれで良い』

二人は里木に帯を括り付けた。

「丈夫でかわいい子が実ります様に」

女はひたすらそれを願い里木を見つめていた。




ところが、風漢と女が帯を括り付けた里木から、実が育ち始めたのだ。

それはまぎれもなく二人の子。

風漢は訳が分からずにいた。

『俺はもう子を持てないのではなかったか?』

だが実際に自分達の子は育っている。

その実を見て、女は手放しで喜んでいる。

『例外…というものがあるとは思えぬが。まぁ、お前が喜んでいるんだ。

実がなった事を、感謝せねば、な』

そう風漢は独り納得をつけたのだが。




やはりそう簡単に済む問題ではなかった。

しかも事態はさらに深刻だった。

実が大きくなるにつれ、女が病に伏せる様になってしまったのだ。

日に日に大きく育つ卵果と、弱っていく女。

風漢は後悔の念に苛まれていた。

きっとこれが天の下した罰なのだろう。

やはり独身で神籍に入った王は子を持てぬ。

その断りを破ってはいけなかったのだ。

己の浅はかな判断のせいで、今、愛する女が確実に死の旅路へ向かっている。

女はもう起き上がる事もままならなくなった。

そんな女に風漢は「すまない」としか言えなかった。

「…何を…謝る…事が、あるの?…私の病は、あなたの、せいでは…ないのに。

ただ、子供を、抱く事が、叶うか、どうか。…それが、私は、心配で…」

青白い顔でそう言う女に、風漢は聞かずにはおれなかった。

「お前は俺の子を望んで幸せだったか?」

聞いても仕方のない事だった。

女にその答えをぶつけた所とて、女の答えは決まっている。

ただ自己満足の為だけに、自分は質問するのだ。

女の口から「幸せだ」そう言わせる為に。

しかし、女からは意外な答えが返ってきた。


「さぁ?よく分からないわ」


「…今となっては、何故、あんなに、子を欲しがったのか、…私にも、分からないの。

…口では、あなたがいなくともいい、…そう、理解のある事を、言ってみたけれど。

きっと、あなたを繋ぎ止めたくて、…半ば意地で子を欲しがったのかも知れない。

…そんな私に、…天は罰を下した、のよ。《お前に子を育てる資格はないと》」

時より肩で大きく息をしながら、か細い声で女は話す。

風漢は「もういい」と言って、水を差し出した。

しかし女は水で少し喉を湿らせると、涙を浮かべながら続きを話し出した。

「…私は、あなたの前では、いい女でいたかった。

…すべて理解している、…あなたに、媚びない、縋らない

…そういう、…女でいたかったの。

でも無理だった。あなたを愛すれば愛する程、あなたを欲しくて、

…繋ぎ止めたくて…」

思わず風漢は女の口を自分の唇で塞いだ。

女が気に病む事ではないのだ。

これは女を騙し続けた自分の罪。

天をも騙し切ろうとした自分の罪なのだ。

『そんな俺を、俺なんかを、愛していると』

なにも聞かぬ女に、甘えたのは自分。

帰らないでと言わぬ女を、利用したのは自分。

「すまない。すまない」

風漢は女を抱く腕に力を込め、それだけを何度も何度も繰り返した。




卵果が熟した。

風漢はそれをもぎ取ると、すぐさま、実を軽く石で叩いてひびを入れた。

早く生まれて来いという、常世独特のおまじないの様なものだった。

『この子が生まれれば、あいつは死ぬのだろう』

風漢は恐ろしいほど、確信めいたものを感じていた。

だがもう後戻りはきかぬ。

ならば、せめて女にこの子を抱かせてやりたい。一刻も早く。

一晩置いて、子が誕生した。

風漢は子を湯につける事もままならぬまま、急いで女の臥室へ向かった。

「…まぁ、私の…私達の、子」

女は震える指先で、子の頬を撫でた。

「そうだ。俺とお前の子だ」

風漢は、もう力も入らない女の腕を抱える様に支えてやり、子を抱かせてやった。

「あぁ、今、はっきり…言う事が出来る。私は、あなたの子を望んで幸せだった。

この子は…私が生きてきた証。あなたを…愛していたと。

この子は、私の、すべて…」

「分かった。分かっているから、もう、喋るな」


『天よ。どうか、この女を連れて行かないでくれ』


風漢はただひたすら願った。

無駄と分かっていても、願わずにはいられなかった。

しかし、時は無常にも過ぎてゆく。

「私、幸せ、だった、わ」

女は涙を一筋こぼし、それでも極上の笑みを浮かべると、

そのまま冥界へ旅立って行った。

冷たくなっていく女の腕の中で、子は元気に泣いていた。

風漢は、いつまでもいつまでも、女と子を抱きしめていた。





















































































































































































































































































それから尚隆は大博打を打つ時は天帝にお伺いを立てる事になりましたとさ。……ウソです;;;

これはAlbatross様の「子連れやもめフェア」に投函した物です。独身で神籍に入った尚隆が、子供を持つには如何すればいいのかなぁと考えたのが、この話。
こんな設定にしましたけどね。多分天帝は尚隆だから、子供を持たせてやろうとしたのかなぁと思っています。他の王なら、願っても卵果は育たないだけで済んだかなと。しかし、天が尚隆には厳しいとしたら、如何でしょう。…楽しい展開じゃないですぅ?(そうでもない、か)「子は持たせてやる。だが、その代償は必要だから、女は冥界へ連れて行く」なんてね。
あいも変わらず、陰気な妄想に走りがちです。でも、その後、同じく尚隆で別バージョンも書いているんだから、縁は異なもの味なものです。
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2004.5.初稿
2005.8.改稿

素材提供 篝火幻燈さま
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