夏、避けたい手

 身体中を纏わりつく嫌な湿り気が今宵も陽子の眠りを妨げる。雲海の上とはいえ夏の慶東国は蒸すような暑気が澱んでいた。
 生ぬるい風が陽子の束の間の安らぎを奪いへきへきとしたある夜。これまで幾度か身体を重ねあわせ陽子にとっては特別の仲となった尚隆が、気まぐれに彼女の寝室やってくる。そして尚隆によって陽子は良いように悶え踊らされた。お陰で陽子は適度な疲労感を貰いはしたがどこか釈然としない。それは陽子の都合等お構いなく強引に自らの欲求を満たす尚隆や、その実付き合わされる事をやぶさかでないと感じてしまっている己に対して困惑しているからだった。
 確かに釈然としないのではあるが、それよりも身体的だるさの方がこの時は勝り、とろとろと浅い眠りに身を預けようとすると、今度は汗ばんだ背中に尚隆の気配を感じた。
 勝手気ままな男を少々困らせてみたい気分にかられた陽子は、咄嗟に尚隆手からすり抜ける。すると尚隆の苦笑いが聞こえた。
「……つれないな」
 陽子はここぞとばかりに恨みがましく尚隆をねめつけた。
「だってあなたの手は熱い」
 言って陽子は先刻尚隆の手によってもたらされた自身の変化を思い出す。
 その手でなぞった唇からは瞬時に温められた吐息。
 その手で触れた身体からはうっすら滲む汗。
 何より陽子が悔しいのは……。
 その手で弄ばれた胸の奥が、急速に熱を帯び一向に冷めない事。
「……あなたと同衾するのは、この季節には不向きです」
 悔し紛れに陽子は精一杯の捨て台詞を言って臥牀に身を投げ出した。

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「俺と寝るのは、この季節には不向きなのだそうだ」
 そう言って尚隆は藍滌の太腿にごろんと頭を預けながら無防備に目を伏せていた。
 藍滌は俯いたままか細き匙で尚隆の耳を執拗に弄りつつ
「……ほう」
とだけ呟く。

 ここは玄英宮のとある一室。近年夏になると藍滌はここを訪れる。何でも夏でも涼しい雁州国で暑気払いをする事が目的のようである。勿論表立ってはそんなふざけたものでは成り立たぬから尤もらしい外交理由をつけているが、中身は人払いをさせ欲望のまま戯れるのみ。
 振り返れば藍滌から仕掛けられ半ば無理矢理結んでしまった関係だったが、肌が馴染んでいくとこれはこれで手放すには惜しくなり、なんのかんのぼやきながらも藍滌との戯れに付き合っている。
 そして只今は
「玄英宮におる小蝿がやいのやいの俺に煩い事を申すのでな、耳が痒うなったわ」
と尚隆がうそぶくので
「どれ見せてみよ。世話になっている代価に耳掻きでもしてやろうかえ」
という具合になったのだ。

 藍滌からもたらされる心地よき微睡みの中で尚隆は口を開く。
「俺の手が熱い故夏の閨は辛いらしい。お前もそうか」
 何気なく聞いてみたが藍滌からの返答はかえってこない。どうやら尚隆の耳掃除の虜となり集中しているようである。
 背筋がそわそわするような快感は確かに気持ちがいいが何やら自分が手持ちぶさになった気がする尚隆は、徐に藍滌の白い脚を問題の熱き手で擦ってやる。するとしっとりとなめらかな肌が僅かに反応した。
「これ。悪戯が過ぎよう」
 藍滌は匙を尚隆の耳から離し彼の耳朶をぐいと強く掴んだ。尚隆は渋い顔をしたがすぐに
「漸く真剣に聞いて貰えるか」
と不敵な笑みをこぼした。
 相変わらず尚隆に太腿を占領されている藍滌はふと思い出したように微笑する。
「そうだねー。お前の『中』は確かに熱くはあるねー」
 からかう様に視線を流せば、尚隆の顔は瞬時に朱に染まり先刻藍滌にいたぶられ藍滌自身を呑まされた所がせつなく疼いた。
「ばっ……お前っっ……」
「だからこうしてわざわざ来てやっておる。ここは夏だというのに涼しいであろ。だから快い」
 妖艶な表情を見せる藍滌は羞恥心で固まる尚隆を面白そうに眺めながらこう続けた。
「陽子もこちらに来れば良いのに」
 冷水を浴びせられたような心地になった尚隆は、がばっと飛び起き瞳を大きく見開いた。
「……知っていたのか」
 乾いた声で呟くと藍滌は
「見縊るでないわ。とうの昔に気付いておったよ。わらわが大事に大事に想っておった子であったのに。お前はさっさと喰ってしまいおった。きっとあれはお前に操を立てる故、今度は殊更手出しが難しい。それが少々口惜しゅう感ずるわ」
と恨み顔を作ってみせた。
「それはすまなかった」
 謝罪の言葉を述べつつ少しも悪びれていない尚隆の手が藍滌の腰を這う。陽子が熱いと抗議した温もりだ。
(あれも結局この温もりに酔わされておるのにのう)
 そう考えた藍滌は己の心に染み出した複雑な感情が交錯する。それを察した尚隆は
「妬けるか」
と人の悪い笑みで藍滌の顔を覗き込んだ。
「そうだねー」
 藍滌は艶然として尚隆が近付くのを待つ。
「俺か、陽子か、どちらにだ」
 淫らな思考が混じった笑みを浮かべる尚隆が空いたもう片方の手で藍滌の肩を捕らえた。
 己が目をつけた女を一足先に寝取られた男に対する悋気と。
 己が気に入りの愛妾に散々喜ばされている女に対する悋気。
(絡まった二つの悋気に身を焦がすのも悪くない)
 強烈な色を放つ麗しい表情で藍滌は瞳を閉じ質問に答えた。
「決まっているであろ。そのどちらにも比べられぬ程妬けておる」
 尚隆が艶やかな藍滌の唇を奪うと二人はその場に倒れこんだ。



2008年夏。昨年に引き続き今年も暑苦しい散文をお届け。←嫌がらせ?
お気づきの方はほぼおられないかと思いますが、前半は2007年に期間限定に出した暑中見舞い散文を修正したもの。実は私が最初で最後のアンソロ本に参加致しました『嫦娥-jouga-』をご購入のTRcatさんから「尚隆の手は温かそう」とコメントを受け取ってからこの前半ネタが浮かび出来上がりました。 (どうしてそのコメントになるのか?は、皆様適当に想像してくださいませとしか申し上げれませんが;;;)

2008年7月。我がサイトも7万ヒットを迎えました。
その御礼として当方では標準仕様の藍×尚(逆じゃないの)をお届けいたします。…ええっと、当サイトに収まっている「予測不能の男」地味に面白がられているようです。私は特に声高に推したいCP故非常に喜ばしく、いつか追加で何か書きたいと思っていました。欲言えば裏設定がしっかりしているものといきたい所でしたが、リアルの茹だる様な暑さに又も雰囲気と萌えばかりのモノをこしらえてしまった;;
こんな感じですけどね。もしお気に召しましたら貰ってやってくださいまし。「酔訛楼」3歳のお誕生日である2008年9月9日まで配布します。

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2008.7 初稿

素材提供 薫風館さま
2008.9.9まで配布その後禁無断転写