梨の花は雪の如く 

「おはよう」
 梨雪はふわりと花の香りがする柔らかい唇が、自身の唇に触れたその僅かな温かさで目が覚めた。梨雪は藍滌の傍で眠る事を許されている。藍滌はいつも暖かく梨雪を迎え入れ、優しく包み込み、心地よい気持ちにさせてくれた。
 朝の光が眩しい。梨雪は衾褥の中に潜り込もうとするが、藍滌が、覆い被さるようにしてそれを止める。
「……まだ、もう少しだけ、いいでしょう?」
 もぞもぞと小さな抵抗をする彼女に、ふっと笑みを零す藍滌。そのままするりと梨雪の隣に横たわると、丁寧に丁寧に柔らかな髪を撫でた。
「そんな顔をされたらつい許してしまうであろ。じゃがそろそろ起きてくりゃるかえ。そなたに良いものを見せよう」
 藍滌の掌が梨雪の額を捉え、彼はもう一度そこに口付けを落とす。
(これは悪くないわ)
 己の心で、すくすくと伸びる若木の末葉(うらば)が、さざめいている。
 今、確実にこの空間が、自分のものだと思える時間を大切にしたい。
(もっとあなたを感じていたい)
 もう、すっかり目が覚めているのに、構って貰いたくて、つい眠い素振りをしてしまう。梨雪は、自分がこんなにも幼かったかと、笑いがこみ上げた。
「……良いものってなあに?」

 梨雪は上目遣いで藍滌を見る。

「今はまだ言えぬ。じゃがそなたもきっと喜んでくれるであろうよ」
 藍滌はゆっくり起き上がると、窓部へと進んでいった。続いて梨雪も藍滌の傍へ進む。
「なぁに、それ?」
「忘れたのかえ。金波宮の庭で一緒に見たであろ。沢山の白い花を咲かせた樹木を」
 それは手頃な鉢に植えられた若い樹木だった。


 先日、二人で慶東国に行った。藍滌の気紛れである。表向きには慶東国に謙譲したい物があるとか何とか尤もらしい事を言っていたが、その為に一体何人の職人が奔走した事か。滞在中、藍滌達はいつもの如く、金波宮は淹久閣(えんきゅうかく)にその身を置く事になる。
「もうあそこはあの御仁専用なのよね」
 慶東国滞在中、藍滌が気に入って必ず世話係を指名する祥瓊が半ば呆れているのは本人は知らない事である。
 さて、淹久閣の園林に、見事な白い花を付けた樹木があった。咲き荒び真っ白に煌くそれは、風が吹くとはらはらと花弁を散らした。見ると、地面はあたり一面、真っ白な絨毯を敷き詰めた様である。
「まぁ、見て!なんて美しいのかしら!」
 梨雪は目を輝かせ、藍滌に飛びついた。藍滌は滑らかな動きで梨雪を懐に入れ、花が散る美しさに見惚れていた。そしてすぐに祥瓊を呼びつけると疑問に思う事を尋ねた。
「これは梨の樹木に似ておるが違うかえ」
「あっ、えーと、すぐ確認して参ります。多分梨ではないかと思うのですが……」
 暫くして祥瓊が戻ってくる。掌舎(しょうしゃ)(天官。宮中の建物を管理)に古くから配属されている者に、詳しく聞いてきたようだ。
「やはり梨でございましたわ。何代か前の王がどこかで見たかとかいう梨の木を殊のほか気に入られたそうで、是非観賞用に欲しいと願ったようです。……しかし、通常梨は花の香りがあまりよろしくないのでございます」
「じゃが、ここはその様な不快な香りはせぬが」
「ええ。花は清楚で清廉にも拘らずそれに似つかわしくない香り。その王は、無味無臭の梨の花を路木に願ったそうです。そして出来たのがこの樹木」
「見て、主上。ほら又白い花が舞った。くるくると踊っているみたい」
 藍滌の懐で、梨雪は無邪気に喜んでいる。
「梨雪も心躍るかえ。わらわはそなたの笑顔が見れて嬉しいよ」
そう言って藍滌はゆったりと腰を屈めると、梨雪の頬に口付ける。
「……!……」
 毎度の事ではあるが、二人のこの光景を見ると祥瓊は一瞬どうしていいか分からなくなる。
(別に私がどきどきしなくていいのよ。氾主従はこれが当たり前なんだから。でも……。やっぱり慣れないのよね)
 心の動揺を絶対に悟られまいと一人誓い、祥瓊は何事もなかった様に淡々と身の回りの世話を続けた。
「ねぇ、庭へ降りていいかしら?もっと近くであの花を楽しみたいの」
 梨雪は甘える様な素振りで、藍滌と祥瓊の顔を見つめる。
「よろしいか?」
 藍滌は振り向いて、祥瓊に、彼特有の艶やかな視線を送る。
「ええ、もちろん」
 祥瓊も、凛とした姿にも華のある、彼女らしい笑顔でそれに答えた。
 庭では、梨雪が舞い落ちた白い梨の花の花弁を両手で掬い空に向かって撒き散らす。梨雪によって舞い上がった花弁が心地よい風を受けて彼女の周りをまさに踊る様に舞い降りる。
 前に藍滌は、気に入りの絵師から梨の木の絵を貰った事がある。その見事な美しさに傍にいた氾麟共々感動しその場で氾麟の字を『梨雪』と変えさせた位である。絵師からは、実際の梨の花は雪の如く白く美しいと聞いていた。それをいつかは見たいと心巡らせていたが……。
(誠、美しき白き花よ。わらわがあれに送った(あざな)がこれほど似合っておろうとは……)
 藍滌はその光景を、満足そうに見つめていた。
「藍滌様。只今我が主がお会いしたいと申しておりますが」
 藍滌の背後で、祥瓊が声を掛ける。
(さて、いよいよ見えるか。陽子と過ごす時間は格別に面白い)
 藍滌の心が更に甘く軽やかになった。それを押し隠し何もない様な表情で藍滌は告げる。
「ああよいよ。ゆるりお話をしようぞ。入ってくりゃるかえ」


 その頃陽子は緊張していた。毎回の事である。
 これから陽子は、賓客を持て成さねばならない。その賓客とは、範西国国主、呉藍滌。
 別に彼が苦手というのではない。むしろ、彼のたおやかな動き一つ一つに見入ってしまい、共に過ごす時間が心地良くも感じている。しかし、会うまでのこのひと時が、何故か緊張してしまうのだ。

「はぁー」
 普段は好んで着る事のない女性の正式な衣装を身に纏った陽子は溜息を一つ零す。そしてまだ慣れぬ着物の裾裁きに苦労しながら淹久閣への長い回廊を歩くのだった。
「何が緊張するってこの姿を見られる事なんだよなぁ」
 最近女官らは陽子が藍滌に挨拶をすると聞くとこぞって衣装選びに余念がない。もちろん藍滌の好みを一番把握している祥瓊が先頭にたって仕切るのだが。
 着物のあわせの色目から装飾品の形、個数、髪型に至るまで、細心の注意を払って陽子を飾り立てる。陽子も女性であるから美しくなる事はけして嫌いではないのだが。
「どうも毎回厳しい審査を受けている気がして落ち着かないんだ」
 陽子はぼそりと呟く。
「――主上、今回は必ずや氾王君がお気に召すと思いますの。だってこんなに美しいんですもの」
 先刻、いささか鼻息も荒く女官らに言われ、期待一杯で送り出された事を思い出す。
「さて、今回はどうなる事やら」
 大きく深呼吸をすると、藍滌が滞在しているという客堂の重い扉をそっと開いた。


「あぁ、やはりよく似合っておるわ。それなら普段つけていても邪魔にはならないであろ」
 陽子は藍滌に送られた、耳環(みみかざり)(輪状の耳飾り)をつけていた。小ぶりな大きさのそれは、けして華美ではないが、これまでに見た事もない新しい技術が施されていた。
「ええ、こんな斬新な形は見た事がないと祥瓊等はしげしげと眺めておりました。……あっ、まずかった、か、な?」
 陽子が思わずそう告白すると、後ろに控えていた祥瓊が顔を真っ赤にして隅に隠れようとする。
(ちょっと陽子!そんな事わざわざ言わないでよ!)
 毒づきたい気持ちにかられる祥瓊だが、大事な賓客を迎えている手前大きな声では反論出来ない。そんな祥瓊の様子を、藍滌は面白そうに見ていて、涼やかに笑う。
「よいよい。わらわも祥瓊ならこの耳環の良さをわかってくれるものと信じておったわ。流石わらわが見込んだだけの事はあるの」
「……恐れ入ります……」
 祥瓊は小さくなりながらも、あの美的感覚に煩い藍滌に認められた事を光栄に思い硬い表情にも笑みが零れた。
「何が良いって陽子のこの髪型であろうよ。そなたらの、わらわに対する持て成しの心がよく分かるわ。耳環が際立つ様御髪(おぐし)には一切の装飾品を挿さず目立たない細い組紐で結い上げておる。これはこれで味わい深く感ずるよ。……じゃが、少々あざとすぎはしないかえ」
 藍滌が扇をゆらりゆらりと仰ぎながら視線を祥瓊に向ける。
 祥瓊は一瞬固まったが、はっと弾かれた表情を見せると近くの女官に耳打ちした。
「すぐ、御庫(ぎよこ)へ行って頂戴。そして前回氾王君から頂いた(かんざし)を持ってくるのよ」
(私とした事が迂闊だったわ。この耳環は他のどんな装飾品がこようとも邪魔にならない。それを藍滌様は見たかったのよ。この耳飾だけでは地味なのかも知れない。これでも不味くはないが華やかさに欠ける。あれを挿せば、一気に華やぐ。より陽子の美しさが際立つわ)
 祥瓊は、耳環が目立つ事を優先にした、今回の装いを後悔した。
 古来、男女共に装飾品を身につける事は呪術的なそれによって災いから身を守る意味合いからきているものだという。しかし長い年月が経つに連れ、こと女性にはそれ以外の位置付けが加えられてきたと祥瓊は感じている。そして、その位置付けは大切な事の一つではないかとも思うのだ。装飾品はそれをつける者が最高に美しく見えなければつけた意味を半減させる。装飾品が美しさを主張するのではない。つけた者が更に美しく輝く様装飾品は手助けをするのだ。
(これでは陽子が耳環の引き立て役になってしまう所だった。ああ、まだまだ私も駄目だわ。毎回藍滌様に何かしら教えられる。やはり遥かに長い年月をしかも王という重責に座り続けるこの方は、私とは違う所を歩いておられるお方なのだ)
 祥瓊は今更ながらに藍滌という者の底知れない器を感じていた。


 暫くして、実に趣味の良い飾り箱が届けられる。中身は陽子の緋色の髪を引き立てる様計算された細やかな細工物が施されている釵。
 藍滌は釵を手にとると、
「陽子、その椅子に座りじっとしていてくりゃるかえ」
 そう言って陽子の背後にまわった。
「ふむ。せっかく美しく整っている御髪じゃ。このまま使用させて貰うよ」
 藍滌は暫く考えると陽子の整った髪に手を触れた。陽子は何故か息をのんでしまった。藍滌が動く度に、しゃなりしゃなりと僅かに彼の身に付けている物の音がする。その音色が陽子の心を捉える。
(何故こんなに心が粟立つのか?しかも、けして不快ではない。……妙に心地良い、不思議な感覚……)
「さぁ、出来た」
 陽子がぼぉーっと藍滌の動きに身を任せるうち、釵は一番落ち着くべき場所に収まった。
「……あ、りがとう、ございます」
 藍滌が手を加えた事によって、陽子の様子が又美しく華やいだ。
「わらわも、お陰で様子の違う陽子が沢山見れて嬉しいよ」
 藍滌はいつの間にか、陽子の目の前に立ち、ゆっくり微笑む。つられて陽子も笑顔になった。

(なんなの。この疎外感)
 遠くでこの様子を窺っていた梨雪は胸の鼓動がやけに煩かった。
 梨雪は始め庭で梨の花が舞い落ちる様を飽く事無く見つめていた。しかし気が付くと陽子が挨拶にきていたのですぐ客堂へ戻ろうとした。だが、なんとなく入るきっかけを失った気がしたのだろう。そのまま庭より、藍滌、陽子、祥瓊のやり取りを見ていた。
(声をかければ皆はすぐに気付いてくれるだろう。だがこのまま声をかけなければ?すごく近くにいるのに、なんだか……遠い)
 梨雪の心に言い知れない不安が纏わりつく。それに耐えられなくなった彼女は、この気持ちを自ら払拭しようと客堂に向かって声をかけた。
「こんにちは陽子」
 梨雪はこの上も無いほどの可愛らしい笑顔を見せた。梨雪の存在にようやく気付いた陽子は、慌てて声をかける。
「楽しまれておりますか?梨雪殿」
「ええとても。でも喉が渇いたわ。そちらに行って宜しいかしら?」


 茶器から昇る湯気の元、その先で柔らかくも華やかな表情を見せる梨雪に陽子は見入ってしまい思わず呟いた。
「……そこに白い花が咲いた様だ」
 すると藍滌が満足げに妖艶な笑みを陽子に向ける。
「有難う。そなたの所の麒麟も幽玄と言おうか。落ち着いた優美さでなかなか良い佇まいであると見えるが。わらわはあれも悪くはないと思うておるよ」
 たしかに、目の前にいる梨雪とは趣の異なった美しさが、景麒にはある。陽子は景麒の一瞬冷たく見えてしまう無表情を思い出し、忍び笑った。
 不意に藍滌が立ち上がると、踊る様に滑らかな動きで陽子の手をとった。
「こちらへ。とても良い物をわらわは見つけてしまったよ」
 そう言って窓際まで静々と向かう。
「……まぁ!」
 陽子は感嘆の声をあげた。先ほどは梨雪の存在の方が気にかかりその場をよく見ていなかったのだが。今陽子の目の前には、梨の花の白と樹木の若々しい緑が絶妙な色合いで美しく飾っていた。
「そう。こちらには何度か邪魔しておるが、季節がずれていたのだろう。これまで一度もこの様な素晴らしい物は見れなんだ。ここから眺める梨の木の白く美しい事。丁度舞い散った花弁が、雪の如く地面を覆っておる。我が国は雪は降らぬ故珍しいと心が躍ってしまったわ」
 陽子の瞳を覗き込み扇を口元にあてがった藍滌はくつくつ笑う。覗き込まれた陽子は多少吃驚してすぐ視線を庭に向けた。次第に陽子の心が清清しくなってゆく。陽子は久しぶりにゆっくりと落ち着いたひと時を持てるこの時間を楽しんでいた。
「本当に美しいです。この時はほっと一息つけそうなそんな穏やかさがありますね」
 二人は、お互い肩を並べ、庭先を見つめていた。その空気はお互いに纏っている気が何とも言えず交じり合い他の者を寄せ付けぬ雰囲気を醸し出している。

(……止めて。主上の隣は私がいる場所なのよ……)


 梨雪は何故か埒もない事を考えそんな自分を恥ずかしく思う。だが梨雪はこの所妙な胸騒ぎを感じるのだ。
 最近藍滌は目の前にいる緋色の髪を持つ女性を大切に扱う様に話す。その者の話をしている時の藍滌は、今まで見た事がないほど優しい表情をしている。梨雪は藍滌の心が日々の政務の大変さにも関わらずここでは穏やかな笑顔を見せている事を喜ばしいと思っている。
 しかし、誰を思ってそんなに優しくしていられるのかを考えるといてもたってもいられなかった。
(恐れていた事が起きようとしているのかも知れない。主上はあの子に夢中になりつつある……)


「――梨雪。梨雪。聞こえておるのかえ?」
 藍滌の優しい声音で梨雪ははっと我に帰った。
 気が付けば、そこは梨雪が慣れ親しんだ藍滌の正寝。梨雪は先日の、淹久閣で起こった出来事を思い出していたのだ。
「ご、ごめんなさい。……そう、あのお花頂いたの?」
 梨雪はついっと小さな樹木を見る。樹木には小さいながらも一つ白い花が開いていた。他にもいくつか咲き膨らみそうにしている。
「そなたが喜ぶと思うてな。無理を聞いて貰ったわ。……じゃがあまり嬉しくなさそうに見えるが……」
「ううん。嬉しいわ。この樹木、私の字にぴったりですもの。大きくなれば又あの様に咲き荒び、零れんばかりの花が楽しめるのね」
 梨雪はそっと藍滌の隣に並んだ。

(……そう。この場所は私こそがいていい場所だわ……)

 藍滌が気に入って衣装に焚き込める香が梨雪の鼻を擽る。梨雪は少し藍滌にもたれる様な形をとった。藍滌はそれを黙って受け止めている。
 暫くそうしてから梨雪はぽつりと呟いた。
「でもこの樹木、梨の実は成らないのよね。あくまで花を愛でる為に作ったのでしょう。花は美しいけれど実際実が成らない梨は役に立つのかしら?」
 藍滌は答えなかった。それをどこか寂しく思いながら梨雪は更に続ける。
「花を楽しむだけじゃお腹は一杯に成らないでしょう。実をつけてこそ梨は梨の意味を為すのではないのかしら?ただ美しいだけなんて。何だか、今の私みた……い」
 不意に梨雪の唇に、慣れたそして一番欲している者の唇が付けられた。梨雪は最初こそ抵抗したが、すぐに相手の思うままになり梨雪の口内から甘い吐息が漏れた。
 梨雪を抱きすくめた藍滌が、切ない表情で彼女に語りかける。

「美しいだけ?それがいけない事なのかえ。十分人の心を慰めるであろ」

 藍滌は梨雪の顎に手をかけると上向かせ自身の瞳を見つめさせる。梨雪は思わず目を逸らそうと試みるがそれは許されなかった。いつになく声に低く力の入った藍滌の言葉が梨雪の耳に振りかかる。
「こう思ってはくれまいか?いつか我が国全ての民が何時でも花を愛でる余裕がある様に、共に力を尽くそうぞ。我が国は、皆の働きもあって少しは落ち着いた暮らしぶりとなっておる。じゃが、そなたの言う通り、隅々までがこの樹木をただ美しいと思える者がいるとも限らない。『実の成らぬ梨など、何の役にも立たぬ』と。わらわはそれが寂しい。人には心の余裕が必要じゃ。その為には先ず、十分な食料と、暖かい住まい、民が明日への期待が持てる国造りを、この先も続けて行かねばならぬがの」
 梨雪の心に、藍滌の熱い思いが染み渡って行く。それが彼女の心を幾分軽くさせた。
 梨雪は、藍滌の胸にもう一度顔を埋めると口籠った声を発する。
「ごめんなさい。主上が折角私を喜ばそうと持ち帰った物なのに。つまらぬ事を申しました為に、興が覚めてしまいました」
 藍滌は梨雪の細い背中をさすると、落ち着いた口調で答えた。
「その様な事まで気を回さずとも良いわ。……それに、そなたは美しいだけではないであろ」
「美しいだけではない?」
「そう。今の様に民の心をいつでも憂いておる。その心が美しい。わらわはそなたがわらわの半身で良かったと思っておる。……心からそう思うよ」
 そうして藍滌はもう一度梨雪に軽く口付ける。それは小鳥がついばむ様に軽く優しく。


「主上。朝のお支度に参りましたが宜しいでしょうか」
 入り口で女官らが、控えている。
「あぁよいよ。待たせたねぇ」
 藍滌はそう言うと、その場を離れ女官らと本日の装いについて相談をし始めた。
 梨雪は先ほど触れられた唇を指でなぞり、想い巡らせる。
 藍滌は傍で眠らせてくれる事を許してくれる。求めれば口付けを交わす事も出来る。だが、それだけである。その先にある未知なる甘美な世界を梨雪はまだ知らない。それが彼女に影を落とす。
(この先どういう経緯が待ち受けようとも。それが、堪え難き事実であろうとも。受け入れる準備を、私は始めなければならないのかも知れない。ならばこのままでいいのだろう。知らなければこれ以上は傷つかずに済む。そう思う。そう納得つけているのに……。魂の奥で燻る願いを私は消し止められない。

――あなたにすべてを捧げたい。

 言ってしまえば楽になるのか?願いが叶えば気が済むのか?そして知ったあなたはどうするのか?……分からない。それを考えるとどうしようもなく怖い。怖いと感じつつそれでも気付いて欲しいと期待する。

愛しいあなた。その先を私は……待っているの)



氾主従でございます。思えば、初めて梨雪に注目した話となりました。しかし、相変わらず傾向は似ております。(それしか、書けないのかと笑って下さっていいですよ。だって実際そうだし…トホホ;;)
しかも、いいかげんな捏造、考察を又しておりまして。
まず、梨雪の字の決め方。書いている内にノリで、そういう事にしてしまいました。
(つまりは今回だけの設定という事も、ありえるわけでございます。いや、今回だけの設定だな、きっと…)
 あっ、でも、あれですよ。字をいくつか変えられたと言う事は、こんな些細な理由で変わる事があってもいいかなぁと。で、何気に収まりがいいから、結構その字が長く使用されているというのでもいいかなぁと。そして、範西国の気候も、雪が降らない事にしてしまいましたが、実際はどうなのか…。資料サイトを探しても、そういう記述は載っていなかった様に思うので、myドリームを入れてしまいました。もし、違っていたらどうしよう。
 装飾品の薀蓄もねぇ、とっても強引なこじつけの様にも見えなくないんですが。
その他いろんな事、多々あるかと思いますが、なんとなーく雰囲気で流して下さい。
氾主従は、平気で人前で抱きついたり、軽くkissしたりしたら、面白いなぁと思いまして、しかもしょっちゅう(笑)
そんな設定の話を作ってしまいました。(これ以外の設定の氾主従も、勿論好きですよ)
でも、二人は恋人同士ではない。
片方はその気がアリアリなのに、片方は、中途半端にフレンドリーで天然って、どうですか?(自分はそうされると凹むくせにね。人事だと鬼ですね)
又も趣味でまくりの話ですが(支持率も低そうなお話ですが)お付き合い下さり有難うございました。
←その一押しが励みになります

2004.11.初稿

素材提供 篝火幻燈さま
禁無断転写