蓮花―第三夜

どうしてそうなってしまったのか、今となっては計り知れないが、陽子の治める治世は、

今まさに大きな局面を迎えていた。

今回はこれまでに無いほどたちが悪く、場合によっては国が沈む恐れもある。

まだ景麒が失道していない事が、唯一の救いではあるが、それも危ういものである。

国の端で反乱が起きた。

禁軍はそれを抑えるべく奔走しているが、一向に沈む気配がない。

陽子は悩みに悩んだ結果、皆の反対を押して、民を静めるべく、戦火に向かう決断をした。

これ以上無駄な血を流さぬ為に。




その夜、陽子は浩瀚と綿密な打ち合わせをしていた。留守を預かる事になる景麒の補佐を

する為に必要な事である。

景麒は陽子が心配なのだろう。この所気分が優れない。失道かとも騒がれたが、本人が

違うと断言していた。

悲しい経験だが、景麒は一度失道の苦しさを味わっている。それとは遥かに違うと、景麒

自身ほっとしていた。

陽子は、これ以上景麒に余分な負担をかけたくないと思っていた。

と、同時に陽子はある決心を抱えていた。




陽子には思い入れのある花がある。

その花は、開いた後、数刻後には硬く花弁を閉ざしてしまう。限られた時間の中で、

その花は精一杯美しさを表現する。

浩瀚によって、自分が呆れる位、女だったと思い知った陽子は、以降その花が自分に

とって重要な位置をしめるものとなった。




初めての夜は、陽子が浩瀚の何かに縋りたいと必死にもがいた結果だった。

そして得られた事は、陽子にとって浩瀚がなくてはならない存在だったと言う事。

しかし、それは秘めなければならないと陽子は思い込む。

そして、花は硬く閉ざされた。




二度目は何時だったか。

触れた肌の暖かさに、お互い抑えたものを一気に吐き出した。

陽子は、初めてよりも更に香しいまでに甘い香りを放つ。しっとりと馴染んだその肌は、

浩瀚を捕らえて離さない。

陽子が美しい花となり開花を始めると、浩瀚がそれを押し開き、滲んだ雫を舌で受ける。

ほんのりと赤みを帯びた陽子は思わず上ずった声を発し、浩瀚の髪に深く己の指を差し

込んだ。

浩瀚の腕の中で、初めて味わってから忘れる事が出来なかった、一時の夢を陽子は見た。

そして怖くなった。

―その花は三日開いて、散り行く花。ならば、三度満たせば、私は、ド・ウ・ナ・ル?―

埒もない強迫観念に駆られた陽子は、自らに呪いを掛けた。


『私に、三度目はない。仮にあるとすれば、それは・・・それは・・・』




その呪いを、今宵、陽子は破ろうとする。

『明日どうなるとも分からぬこの身体。ならば、今一度。私が唯一女として花咲ける、

あの人の懐の中で』

書簡を開き、一つ一つ確認していく浩瀚の声が聞こえた。

淡々としたそれは、陽子の心を迫り上げる。

壁に揺らめく二つの影。それは、いつしか惹き合うように、ひとつの影となって溶け込んだ。




二人は己を一切隠さない姿で、臥牀に寄り添っている。

陽子はこれまでにないほど穏やかな充足感に浸っていた。

失う事に怯え、必死に守り続けた何かから、解放される気分だった。

『もう、思い残す事は、何も、ない・・・』

陽子は少し身体を起こすと、浩瀚の程よく引き締まった胸板をぼんやり見ながら呟いた。

「幸せだ。こんなに、安らかな気持ちは、お前とこうしていなければ、

今まで知らなかった。有難う、想いを受け取ってくれて・・・有難う」

陽子の心地良い重みを感じながら、天井の一点を見ていた浩瀚は、切なげな微笑を浮かべ、

少し低めの落ち着いた声音で話し出した。

「あなたは、これが最後だと思っているのですか?ならば、私がした事は何なのです?

今宵の事は、あなたに生きる執念という足枷を付けさせたかった。

・・・お待ちしております、あなたのお帰りを。どうか、もう一度私にあなたへの愛を、

その身体に刻ませて下さいませ」

そして彼は、陽子の髪を、絹糸を触るように優しく梳いた。

その言葉に、陽子は、はっとした。そして、浩瀚の想いが嬉しかった。

蓮の花に拘るあまり、碌でもない呪縛に自ら取り込まれていた。

だが、陽子は陽子である。

己の意思で生きようと心に誓えば、この先運命は如何様にも変化するのだ。

『まだ決まった訳ではない。天はまだお見捨てにはなっていない。浩瀚の言葉を胸に抱き

戦火へ向かおう。諦めないで先に進もう』

陽子は思った。もう何も思い残さないようにとした事が、かえって自分を生かす

足枷になる。


『生きたい。生きて、お前と、又、共にありたい』


「こう、か、ん・・・」

僅かに動く陽子の唇を、先程まで髪を梳いていた長い指先でなぞり、更に浩瀚は続ける。

「現状は厳しいですからね。少し時間が掛かるでしょうが。これが落ち着いたら、私は

官職を降りても宜しゅうございますか?そして、残りの時間をすべてあなたに捧げたい。

あなたがいいと言えば、あなたを待つ間、私はその準備を致しましょう。これからは、

あなたに安らげる場所を私が差し上げましょう。だから、主上、希望を持って、どうか

生き抜いて下さいませ」

陽子は思わず、浩瀚の胸に頬を寄せた。

暖かい鼓動を感じる。

空も白々明るくなった。

こうしていられるのも後僅か。

浩瀚は陽子の背中に手を回すと、そのまま身体を反転させ、陽子に口付けた。

陽子は新たな甘い呪いを、泡と消え行きそうな儚い幸せの中、受けるのだった。






























































































































































































            蓮にはこんな習性があるんです。
            蓮は三回朝開き、午後には閉じる。そして、それが終わると散ってしまう。
            この習性がすごく印象的で、ずっと頭から離れなかった。それを昇華した形に今回はなりました。
            もう明日がないという二人がこれが最後と抱き合うのは、そそられるツボです。
            しかし、簡単に死んでしまうというオチは、実はあまり好きではないのです。
            …散々書いている癖によく言いますね、私。あれもね、悩んで、じたばたして、結局
            そっちに逃げるのかいと、反省の日々で。
            やっぱり好きな人には生きていて欲しいでしょう。
            陽子さんは、どうもそのあたりが潔い気がしています。(それが彼女の魅力なんでしょうけど)
            でも、残された人はたまらないかなと。「待つ男」浩瀚は、身を呈して(喜んでという意見もありそうですが)
            それを止めたいとしたのでした。
            浩瀚も不安で仕方がない。しかし、どんな姿でも生きていて欲しい。
            その一念で、いろいろと陽子に言ってます。
            私は陽子がここでは何とか持ち直して欲しいと願っています。ほらっ景麒も失道ではないと言ってるし…。
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            2005.1.初稿


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