金盞銀臺(キンセンギンダオ)
―銀の盆に金の盃か…
浩瀚は窓際から見える水仙を目でながら 酒を飲んでいた。その花は 白い花弁と黄色い花冠を見立てて「金盞銀臺」とも呼ばれている。だが浩瀚は、最近この花が
厳しい冬でも 一つ一つ しっかり自己主張を持って咲いている様に思い始めていた。小さくとも
己の頭に 金の冠を被っている、美しい花。民が目指すべき花があそこに咲いている。陽子が印象的な初勅を出してから
月日は過ぎ去り、国もようやく安定したかに思われたが……。
「浩瀚……入っていいか?」
消え入りそうな声のする方へ振り向くと、陽子がひっそりと立ちすくんでいた。
「主上から房室へお見えになるなんて、珍しい事ですね。どうかされましたか?」
驚いた風を装ったが、浩瀚は陽子が 今宵 ここへ 来るであろう事を予測していた。思いが通じ合って、もう何年にもなる。普段は、浩瀚が陽子の正寝へ向うのだが、どうしても辛い事、一人ではいたたまれない程寂しい事があった日は、決まって陽子は浩瀚の房室へやってくる。今日は、ある州から
州侯の圧政に憤りを感じた民が、乱を起こした という事件が報告された。安定していると思っていた州だっただけに、陽子の落胆ぶりは計り知れないものがあった。
―だからこそ、酒を用意して待っていたのだが……
あれだけ供に夜を明かそうとも、陽子は浩瀚の房室に入るのに いささか躊躇う所がある。入口で
もじもじしている陽子に
「今回の州侯の処分について、内容をゆっくり聞いておきたく ここにお見えになったのでしょう。わざわざのご足労、痛み入ります。書類は用意してございます。どうぞ御覧下さいませ」
外にまで聞こえる様に大きい声で浩瀚は話す。
「うん、こんな夜更けに……すまない」
そう言って陽子は 思い切って 浩瀚の房室に入って行った。
「あんな大きな声でわざわざ言わなくてもいいのに。かえって不審に思われはしないだろうか」
二人きりの時だけに見せる 幼い顔で 問い掛ける陽子に 浩瀚は
「不審に思われては困る事でもなさるのですか?今から?」
わざとからかう様に言ってみる。
「べっ 別に そう言うわけじゃないけど」
慌てて言い淀む陽子を見、くつりと浩瀚は笑う。
「冗談ですよ。しかしながら、主上。仮に私との仲を いたずらに囁く者がいて、それが一体なんだと言うのです。主上は
予王の事を 台輔からお聞きしている事もあってか、臆病でいらっしゃる。すべき事を行なっていれば、本来恋愛とは自由なもののはずですよ」
「うん、分かっている。分かっているけれど、何かあった時『これだから女王は』と、言われるのが、ね。それに、相手がお前じゃあ……その、お前に迷惑が、掛かる、だろ」
卓子に、用意していた酒を注いでいた浩瀚は、ふいにその手を止めると 冷たく言い放った。
「主上、今、理由をすりかえましたね」
そして陽子をしっかり見据えると、尚も続ける。いつもの柔和な表情は そこにはない。
「あなたは結局 周囲の評判が 心配なだけなのですよ。私に迷惑が掛かると言うのは、そんな自分を誤魔化す為の、大義名分。そんな事の為に
引き合いに出されては、かえって迷惑でございます」
「……なっ。私は、けして、そんな……」
「ほら、顔が朱色に染まった。人は言われたくない事を はっきり指摘されると、頭に血が上るものでございます」
そして、ついっと浩瀚から逃げようとする陽子を、無理やり引きとめ 抱きしめる。浩瀚の胸に突っ伏した形になった陽子は、浩瀚の香を嗅ぎ、浩瀚の規則正しい鼓動を聞き、次第に
心落ち着ける様になる。
「主上、考えて見て下さい。主上が、仰ったのです。我が民は、一人一人が 己と言う領土を治める唯一無二の王になれと。それは、人に流されず、媚びへつらう事なく、己が己の確固たる自信を持てと私は解釈致しましたが、違いますか?」
陽子は浩瀚の顔を見上げると、ほうっと溜息をついた。
「やはり、浩瀚にはかなわないな。そして私はまだ、あちらにいた頃の自分を引きずっている。……情けないな」
そう言って、浩瀚から離れると、榻に腰を落ち着けた。
「失礼致しました。主上が 又 弱気な事を言うものですから つい、きつい事を申し上げてしまいました」
浩瀚はゆっくり微笑むと、注いだ酒を「どうぞ」と陽子に勧める。
「うん、いいよ。当たっているから。それに、今はどんな優しい言葉よりも、うれしいと、そう思えるから。ところでこれはお酒?私はお酒はちょっと……」
「忘れたい事がある時は、これが一番でございます。明日に支障をきたさない程度ならよろしいでしょ」
そう言って浩瀚は、片目を瞑った。
「じゃあ、頂くとしよう」
少し酔いもまわった頃、浩瀚は陽子を窓際に案内した。
――見せたい物がございます。
中庭には、小さくもしっかり根を下ろし咲いている水仙が一輪。
「水仙は別名『金盞銀臺キンセンギンダオ』とも言います。花の形が、銀の盆に金の盃を乗せた様に見えませんか。だから
新春等のおめでたい時には生けるのですよ」
陽子の背後より手を回し、腰を抱くようにして浩瀚は囁く。
「へぇ、言い当てていて、面白いな」
耳元に浩瀚の吐息が当たり、くすぐったさを感じた陽子は、冷静さを保つのに必死だった。
「でも私には、あれが 金の冠を被る民に 見えるのです。きっと主上の初勅の影響ですね。慶は
この様に まだまだ厳しい。しかしながら あの水仙は、小さいながらもどうどうと咲いているではありませんか。あれこそが
主上の目指している 民のあるべき姿なのではないかと、そう思うのです」
「水仙が慶の民の花。……しかし、浩瀚。あちらでは、花には一つ一つ意味が込められていて、水仙には確か『ナルシシズム―自己愛』だったと思うぞ」
慌てて振り向くと、浩瀚はそれがなにかと言いたげな顔をする。
「『なるししずむ』という言葉は 全く存じ上げませんが、自己愛なら 言い当てているではございませんか。民はもっと、自己を愛せねばなりません。自分を愛する事が出来る者は、人にも優しくなれる。自己否定からは何も生まれません」
そうして陽子の腰をぐっと引き付ける。
「主上も 私も 自分を愛して初めて 人の痛みや 優しさが 分かり合えるのではございませんか」
浩瀚はそう告げて、まだ酒の香りが残る己の唇を 陽子のそれに押し当て、優しくそして
深くついばんでいった。
酒のせいか、それとも浩瀚の熱い抱擁のせいか、熱に浮かされた様な心持になった陽子は、浩瀚の口付けを受けながら、記憶のかなたでこう思っていた。
「ナルシシズムで言う自己愛は、自己を異常に愛して 他人を顧みない人の事を言うのだけれど……。こんな……自己愛の解釈も……いいな。……やはり…浩瀚には…かなわ…ない…な」
了
こちらは、「凍結果実」様と「…13℃」様共同主催の「雪フェア」に、参加したものです。「寒椿」で、やるせなーい二人を書いたので、今度はラブラブをと頑張ったんですけど。私のラブラブは、こんな程度です。
ここでは蓬莱と常世の感覚の違いも匂わせたら楽しいなと思いました。原作で楽俊と陽子が「雲海」について語っているシーン。あれ、結構好きなんですね。それらしき感覚を二人に当てはめようと試みましたが……あえなく玉砕の模様で、す;;
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2004.3.初稿
2005.8.改稿
素材提供 十五夜さま
禁無断転写