朝稽古

 外はまだ明かりを灯さないと視界が悪い。桓堆は静寂の中、持っていた堤燈を安定する位置に置く。そして徐に上着を脱いで肩を振るわせた。
「流石に今日は冷え込むかな」
 桓堆は壁に片足を高く上げ、固定するように意識を集中し、挙げた片足に頭を近づけた。そうして冷えて縮こまった筋肉を、彼はゆっくり伸ばしていく。粗方身体を柔軟にすると、桓堆は背丈程ある標槍(なげやり)に持ち替えた。その先は、堤燈の、ほの明るい灯りを受けて、妖しく光っている。桓堆はそれを見下ろし、舌なめずりをして両手に構えた。
 まずは標槍を腰に構えた状態から、槍頭を四方に回していく。腕を使うと言うよりは、腰の力を使って器用に槍先の方向が変わっていくように。静かな動きの中に緊張が張り詰め、桓堆の気持ちも高まっていった。
 次に桓堆は標槍を高く上方に引き上げると、下に向かって一気に振り下ろす。標槍は空を切る。槍の前半部分に力が集まり、その力が外へ吐き出されていくようだった。
 又構えを戻すと、今度は上から下に向けて小さく突き刺す。突き刺すと同時に、槍の下の部分に両手を合わせ、手首を引き上げ止める。確実に獲物を仕留めなければ、こちらが()られる。桓堆の瞳孔が一層厳しくなった。


 決まった型を一つ一つこなすと、次第に汗が噴出する。始めは肌寒かった空気も、今はそれが心地いい。
 一通り標槍を振り終えた桓堆は、背後に人の気配を感じ振り向いた。振り向いたひょうしに、槍頭を気配をする方に鋭く向け、身体全体に緊張が走る。
「……悪い。見惚れていたら声を掛けれなかった」
 槍頭のその先には、翠玉の双眼。
「主上」
 桓堆は目を見開き、思わず標槍を落とした。カランカランと、地面に標槍が転がる、派手な音が木霊する。突然標槍を突きつけられ、息を呑んだ陽子ではあったが、相手が陽子とわかり慌てふためき標槍を落とす桓堆を見て、ころころと笑った。
「こんな時間にお前がいるとは意外だった、桓堆」
 そう言って陽子は桓堆の落とした標槍を拾い、彼の目の前に立てた。
「それはどういう……」
 聊か、いぶかしむ表情を見せ、桓堆が標槍を受け取る。
「いや、何となく。お前は朝が弱そうな気がしていたから」
 言って陽子は「あっ、失礼だったか」と首をすくめた。
「俺、毎日、そんな眠そうにしてますか?」
 桓堆は、わざとぼやいた口調で言ってみるが、その瞳は笑っている。
「……そうですね。実は、努めてこの時間を取っていると言う感じなのですよ」
 はにかみつつ、標槍を大事そうに撫でた。
「夜より早朝の方が喧騒から逃れられ、集中できるものだ。と教えてくれた人がいましてね」
「ふーん」
 陽子は軽く相槌を打つ。それから、目を伏せて告白した。
「私は……ちょっと気持ちが煮詰まってしまったんだ。剣を振って払拭したいと思ったが、なかなかその時間も取れず。朝なら思いっきり出来るのではないかとね」
 言って陽子は、はっと口を噤んだ。
(その訳をと、掘り下げて貰っても答えに困る)
 しかし、桓堆は黙って聞き流してくれた。陽子にはそれがあり難かった。
「しかし、先程のお前の動きは綺麗だった。武器を使って舞うと言うものはああいうものなのだろうか?」
「そんな大層な物ではないですよ。ただ、これは実践の時には結構役に立つんで。剣よりよく慣らすようにしているんです」
 桓堆は標槍を見ながらこう言った。
「間合いを、多くとって戦う事が出来るんで、屋外では有利なんです。でも扱うのに、『こつ』がいりますから」
「離れてください」軽く笑うと、桓堆はもっていた標槍を、目の前でくるくると回した。
 陽子は思わず息を呑んだ。桓堆はその飄然とした姿の、どこに力があるのかと思わせるほど、軽々と背丈ほどもある標槍を持つ。上半身裸である彼から、噴き出した汗がゆらゆら熱気を挙げた。無駄に纏っていない全身の筋肉が、大きく円を描き空気を掻き切る時、躍動的に動く。あくまで静かなその瞳が陽子を捉えた時、彼女はぞくっと身震いがした。この男の前では、黙ってその標槍の先に、己の身体を差し出せねばならないような。それは明らかに恐ろしい事なのに、前に進んでしまいたくなるような妖しげな魅力。

 もしかすると貫かれた瞬間、この男の前では、恍惚とした顔をするのかもしれない。

「……と、こんな感じかな」
 桓堆の声によって、その場の緊張が一気に解けた。陽子は、ほうっと簡単の息を漏らす。
「凄いな」
「そうですか?」
 桓堆は、又いつもの人好きのする穏やかな表情を陽子に傾けている。
「引き込まれそうだった……」
「何ですか、それは」
 桓堆は軽く受け流し、衣服などが置いてある所まで歩き、汗を拭った。陽子は何かを考えている様で、無言のままだった。陽子が余りに動かないので何故か心配になり、桓堆は一二歩彼女の傍へ近付く。すると
「屋外では有利なんだ」
 陽子の呟きが聞こえ、桓堆は足を止めた。見ると、陽子はしっかり桓堆を見据えている。桓堆は陽子の質問に答える事にした。
「そうですね」
「確かに剣は、かなり相手の懐に入らねばいけないものな」
「そう……です、けど」
 桓堆は目の前の少女の瞳が嬉々としているのを、努めて見ないように視線をそらす。
(何だかこの状況は不味くないだろうか)
 桓堆の不安は的中した。
「……やってみたい」
「え?」
「やらせて貰えないか」
「いや、しかし」
「いいだろう。自身の身を守るのに必要な事だと思わないか」
「そう言われましても……」
 ずいと踏み込んで懇願する陽子に、桓堆は圧倒されそうである。
(又余計な事をと、俺がつるし上げられるのに。あの方に)
 桓堆はその者の顔を思い溜息を零し、詰め寄る陽子の背後を見た。


 一瞬、その者の幻が見えた気がした。
 ……否、幻ではなかった。
「主上。どうやら時間切れのようでございます」
 ぽんと桓堆に肩を叩かれ振り向いた陽子は、目を見開く。
「げっ、景麒!」
日も昇り始め、薄明るい光に包まれた鍛錬場の隅に、無表情にもかかわらず、いやに怒りが凄みを増している景麒の姿があった。
「主上。天官等が大騒ぎをしてあなたをお探ししておりました。内殿では見当たらず、広い宮廷の何処を探せばいいものかと途方にくれ、私に相談に来た。仁重殿の私の私室まで来る事は勿論、それまでにも既に相当な時間と労力が割かれているのですよ。そして私もあなたをお探し申すのにどれほど大慌てしたものか……」
(激しく追い詰めるなぁ――)
 桓堆は景麒の言に苦笑いを浮かべ、陽子を覗くと、陽子はばつが悪そうな表情で舌を出し、桓堆を上目使いに見上げた。
(うわっ、その顔は余りに反則なのではっっ)
 知らず桓堆の頬が高揚し目をそらすと、一層冴え冴えとした景麒の眼差しとぶつかった。すかさず景麒は冷たい一言を放つ。
「これは桓堆が誘ったのでございますか」
「おっ、おれぇえ」
 怒りの矛先が自分に向けられた桓堆は、思わず、すっとんきょうな声をあげる。その様子を、堪らないとばかりに陽子が割って入った。大げさに手を振って声を張り上げる。
「ああ、もう。桓堆を巻き込むな。悪かった。私のせいで皆にいらぬ心配をかけてしまった。すぐ戻る。天官等にも詫びを言うよ」
「そうして下さい」
 淡々と言い切る景麒の言葉は、相変わらず、言われた者の心を震え上がらす。やれやれと桓堆は小さく息を吐くと、陽子がもう一度桓堆の方へ振り返った。

―ごめんね。

 声には出さず、口の動きだけでそう伝え、片目を瞑る。
(だからその顔は……)
 軽くうろたえる桓堆を残して、辺りは静寂となった。
「……参ったなぁ」
 日の光がそろそろと照らし始め、桓堆は眩しそうに目を細めた。



桓陽を目指したつもりだったんですが…。いろいろと締まりがないまま終った感が。もっと桓陽度を上げたかったのに〜。しかし今回は桓堆賞賛、桓堆イケテルを少しでも出そうと捏ね繰りまわしました。本当はバトルシーンを書きたかったんですけど、あえなく玉砕。
でも、これは如何でしょう。
程よくついた二の腕が微妙に動く筋肉って素敵な桓堆。目で逝かす事が出来ちまう、バ○コラン少佐のような桓堆。(比べるには使い方が違ってますけど)くぅぅ〜堪らん(あっ涎)…スイマセン。又私が萌えちゃったのーんを差し込んで喜んでしまいました。
ああ、いつかは上手く書きたいバトルシーン。

追記:実はこれ、「KANTAI Collection」のkiyomiさんから、物凄く心トキメクモノを頂いた(他ジャンルなんですけどね)お礼をどうしてもしたいと、半ば無理矢理お願いして出来たものです。
「では桓陽モノで…」とご要望を受けて頑張ったんですけど…、↑のような呟きを吐く結果だったorzしかしながら、kiyomiさんから暖かいお言葉を頂いたのですが(本当にいい人です)
流石、kiyomiさんvvコメントがいちいち大爆笑です。
>>もしかすると貫かれた瞬間、この男の前では、恍惚とした顔をするのかもしれない。
>この一文を別の意味で捉えてしまったワタシが鼻血ブーしたのは秘密です。
>(根っからドスケベだな、アタシ。。。_| ̄|○)
ぎゃはははは!!
んもう、そんな事を朝から一人妄想する陽子さんのエッチ〜。いやいや、それは冗談ですが。
自覚にその表現を差し込む、私が怖いです。(しかも行間あけて際立たせたね、凛さん)
ええ、もう、そっちの意味でも捉えて頂いて、鼻にティッシュ詰めちゃって下さい。
(ゴメン;kiyomiさん。秘密って書いてあるのに、載せてしまった。私は、kiyomiさんのそのナイスコメントが堪らなく好き)
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2006.11.初稿
素材提供 clefさま 
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