寒椿

 金波宮では、新年の行事を終え、男達は主上を交え宴に興じていた。その頃、祥瓊は自分の
房室(へや)で物思いに耽っていた。部屋には、朝生けた寒椿が一輪。それを眺めながら、彼女は遠い故郷を思う。
 芳は冬になると雪に閉ざされ、どこまでも鬱蒼な灰色の空に包まれる。沍姆に働かされていた頃の祥瓊は、その空が永遠に光のくる事の無い己の心の様であると思っていたものだった。
「今頃、どうしているだろう」
 けして、懐かしむ訳ではないが、今日の様に慌しい一日から開放された夜は、ふとそんな事を考える。
「入っていいか?」
 不意に、祥瓊の背後から男の声がした。
「どうしたの、桓堆。宴はもうすんだのかしら」
「いや、まだ続いている。主上も随分とお楽しみのようであった。俺は……少し飲み過ぎた様なので先に失礼させてもらったよ」
「そう、じゃあ一緒にお茶でもどうかしら。今、酔い覚ましに効きそうなお茶を入れてさしあげるわ」
そう言って祥瓊は、桓堆に房室に入るよう勧めると、茶の用意に取り掛かった。


(不思議な娘だ)
 桓堆は、祥瓊の 無駄の無いそれでいて上品な立ち振る舞いを眺めながらそう思った。
桓堆が会いたいとここに来れば、会ってくれる。
人肌が恋しいと求めれば、それに答えてくれる。
「俺は他の女を思っているのにな」
 桓堆は 先程まで一緒に酒を楽しんでいた、緋色の髪と翠玉の瞳を持つ少女に心奪われているのだ。どんな時でも、つい目線は彼女を追ってしまう。そしていつも打ちのめされてしまうのだ。彼女の翠玉の瞳には、別の男しか映っていない事に。そして、その男が誰であろう自分が一番信頼している男に。
 今宵も桓堆は、彼女―陽子が、慶国一の切れ者と言われている冢宰のためだけに笑っている事に耐えられなくなり、その場から逃げ出し、ここに……祥瓊に縋りに来たのだった。
 そんな自分の浅ましさに独り溜息をつくと、窓際に生けてある一輪の寒椿に目をやる。
「寒椿か。主上によく似ておられるな」
思わず出た言葉に はっとする。
(見破られただろうか?自分の秘めた思いを)
 すると、湯飲みに茶を注ぎながら祥瓊はくつくつ笑う。
「あら、私の房室に来て、他の人の事を思っているのねぇ」
「いや、その、深い緑の葉と真っ赤な花が、主上のお姿に似ているだろう?」
「それだけ?」
祥瓊は桓堆がうろたえているのを楽しんでいるようだった。しかし桓堆はそれに気付かず、慌てて次の言葉を探している。
「それに、以前、内宰らが主上を襲った事があっただろ。その時主上は『…当の民がいらないと言うのなら在り続けようとしても仕方がない』と一切抵抗なさらなかったではないか。あの時は焦ったが、今思うと誠に潔いと思うぞ。まるであの椿の様に、乱れる事無く終わらせようとなさったのだから」
 そう言った桓堆は祥瓊の様子がおかしい事に気付く。
「どうかしたか?祥瓊」
「あなたは本当にそう思っているの?」
祥瓊は桓堆を立ち上がらせると、入り口まで連れて行く。
「そう思っているなら帰って頂戴。そして、二度とここには来ないで」
 突然の成り行きに、桓堆は訳が分からずにいた。確かに陽子の事を褒めはしたが、それは今に始まった事ではない。いつもなら祥瓊はさらりと聞き流してくれていた。
それが今宵はどうしたというのだろうか。
しかし、このままでは今までの関係が終わってしまう。
それだけは避けたい。
 桓堆は、陽子に心奪われておきながら、祥瓊を失うのが恐ろしかった。それ程、桓堆は祥瓊が必要なのだ。
「祥瓊」
 いうがはやいか、桓堆は祥瓊を抱きすくめると、強引に唇を奪った。そして臥牀に連れて行くと、なりふりかまわず祥瓊を押し倒した。


「今年も見事な椿が咲いたな」
 峯王仲韃は、鷹隼宮に咲いてある椿を満足げに眺めていた。
「椿の葉は、濁る事のない深い緑。そしてその花は一切乱れる事無く最後を迎える。これ程はっきりとした、潔い花も そう無いぞ。誠に美しい花だ」
「でも、私はあまり好きではありませんわ。なんだか、ある日突然、終焉を迎えるようですもの」
王后佳花は、仲韃の傍らに立ち「ねぇ、祥瓊」と娘に返事を求める。
「あら、お母様。私はそうは思わなくてよ」
仲韃と佳花が掌中の珠と尊んで溺愛している娘は、華のような笑顔をみせた。
「だって椿は最後まで美しいまま最後が迎えられるのよ。それよりも、私は桜の方が嫌い。桜の散り際といったらないわ。はらはらと花弁を散らしてしまって。かわいそうよ」
「はっはっは。祥瓊は面白い事を言う」
仲韃は祥瓊を抱き上げた。
(華のように美しい我が娘。どうかこの先美しいものだけしか、その瞳に映らぬように…)


 永和六年、鷹隼宮に十万の兵が殺到する。
 恵州候月渓は、後宮の最奥にある房室に踏み込むと、無言で佳花の前に仲韃の首を投げた。それはまるで椿の花が枝からこぼれ落ちる様だった。
「峯王の最後はそれは潔いものだった。一切抵抗もしなかった。さぁ、峯王は我らが弑したてまつった。王后も公主にお別れを告げられよ」
月渓が手を挙げると背後の兵が佳花に駆け寄り、その腕から祥瓊をもぎとる。そして祥瓊の目の前で――首を刎ねた。
 佳花の首は叫びの表情を凍らせたまま、ころがり、仲韃の首に寄り添った。
(ああ、潔いというのは、けして美徳な事ではないのだ)
 祥瓊は以前自分が言った言葉を恐怖の中で思い出す。あれは自分だけは永久に終わりが訪れないと たかをくくっていたから、言う事が出来た。残されたものの苦しみ、憤りを考えると、どんな理由であれ 潔く終わらせる事は少しも美しい事ではなかったのだ。
 祥瓊の瞼も喉も、佳花の首が刎ねられる瞬間に凍りついたが、意識はぼんやりと違う事を考える。
 仲韃が登極したばかりの頃、月渓は仲韃を尊敬し、祥瓊に優しかった。祥瓊はそんな月渓を好ましく思っていた。
 それなのに、今の彼にはその面影が無い。
 祥瓊は月渓の顔を目に焼き付けようとした。
(あなたの事は、けして忘れないわ)
 それからいろいろな事があって、祥瓊の心にも変化が起こる。それは苦しい中にも甘く小さな炎。その炎を祥瓊は何度も何度も隠そうとするが炎は勢いを増し、もう自分を誤魔化す事が出来ぬ所まで きてしまっていた。


桓堆は祥瓊の髪を優しく撫でながら、今宵 自分の熱に浮かされた様な行為を後悔していた。
「すまなかった。祥瓊」
「いいえ。私も今日はどうかしているの」
 祥瓊は桓堆の胸に顔をうずめると、ゆっくり呼吸を整えた。
 桓堆が陽子を思い、その道ならない恋に苦しんでいるのは気付いている。それをどうすることも出来ず、祥瓊を抱く事で何とか均衡を保っている事も。
 しかしそれは祥瓊とて同じ。
 父を母を鬼神にする事でしか、諌める事が出来なかった彼を。もう二度と戻る事が出来ない国に住み、ゆっくりと崩壊に向かう国を支える彼を―愛してしまっている。
 祥瓊は桓堆の背中に手を回し、きつく抱きしめた。桓堆もそれに答え、二人は無言で ただお互いの身体と心を暖め合う。
「許して…」
 祥瓊が呟く。それは、目の前の男に対してか。父や母に対してか。
 (お願い。今はただあなたの胸を借りて―泣いてしまってもいいかしら)





こちらは、「凍結果実」様と「…13℃」様共同主催の「雪フェア」に、勢い余って参加したものです。
思えばこれが全ての始まりだったんだよな〜。恐れ多くも管理人様から「良かったら参加してみれば?」とお誘いを受けたのでございます。それまで私、創作をする事は皆無だったんですが、憧れの管理人様のお誘いを、さっくり無視は失礼だろうと、搾り出した話がコレ。
処女作から、お互い想いを秘めた相手がいるのに、身体だけの関係を続ける桓祥をもってくるあたりが、いやはや、何とも…。
まぁ、私はいいとして「雪フェア」は、両管理人様はもちろん、至極の作品が多く掲載されておりますので、まだご覧になっていない方は、是非行って見て下さいませ。リンク集にございます。
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2004.1.初稿 2005.8.改稿 2007.11.再改稿

素材提供 十五夜さま
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