栄達の果て
寝殿の奥深く。
女は、全身を縛る得体のしれない熱の塊に苦しんでいた。
もがき苦しむ女の傍で瘍医はただ傍観している。
来るべくその時を。
静かに待っている。
彼の淀んだ瞳と目が合うとき女は思い知らされた。
もう誰も。
斃れる憐れな罪人を引き留めはしないのだと。
随分と味あわされた事のない屈辱に女は砂を噛む思いだった。焼けつく体より今は感情を表さない瘍医の視線が痛い。
「――退れ」
女は天井を睨みながら口を開いた。瘍医は女が発した言葉の意味が瞬時に理解出来ずにいると
「……お前は必要ないから退れと言ったのだ」
女は大きく溜息をつき念を押した。
「しかし……」
瘍医の眉が僅かに上がる。しかし、女が期待するほど瘍医は慌ててなどいない。それが更に女をいらつかせ、気づいた時には自身が具合の悪い事など忘れる程よどみない言動を発す。
「お前が瘍医と名乗るからには、主の苦痛を和らげようと努力してもよいのではないか。しかしお前はただ見ているばかりで少しも役にはたたぬ。これを無能と呼ばずしてなんと呼ぼう。無能なお前に瘍医は務まらぬ。罷免じゃ。早くここから消え失せるがいい」
「そんな……私は……」
流石に慌てた瘍医の言葉を女は容赦なく遮る。
「勅命であるぞ」
憤りを露わにしつつも女に一言も言い返せず退出していく瘍医の衣擦れの音が聞こえる。その控えめな音が遠くなるのを感じながら女はわずかばかりの溜飲を下げた。
だがすぐ後には遠慮のない痛みが女を襲う。苦痛にもだえ苦しむ女の思考は知らず思い出したくもない昔へと誘い、女は現在の身分が手に入っていなかった頃を思い出していた。
幼少のころより女は自分のすることにさしたる自信はなく、常に周りの反応をうかがって行動をするようにしていた。
女の母はそんな娘が歯がゆく思っていたのだろう。何かと娘を前に出すように仕向けていた。
だから女は、母の期待にも少しは答えないといけないという強迫観念から、無理やり自分の主張を周りに意見する時もあった。
しかし群衆の中では必ず強者と弱者が存在し、やはり女は弱者の部類だった。
勇気を振り縛って述べた女の主張も。女よりはるかに存在感のある者の主張の中に埋没されてしまう。だが女はそれを別段悔しいと思ったことはなかった。母が喜ぶから女は主張してみるのであって、本来であれば他の主張に流される方が女の性に合う。女にとっては自身の意見によって周囲を支配するというよりも、他者の言うなり……つまりは支配される方が楽に息が出来るといった所だったのかもしれない。
――そりゃあ。支配する事に憧れはあるけれど……。
そんな女の前に麒麟が現れたのは青天の霹靂だった。
女の意思が追いつかないうちに周囲は目まぐるしく動き、女を王に仕立てていく。母は女が最高の栄達を極めた事を心から喜び、強い言葉で激励する。
以前はそんな母の期待が重荷でしかなかったものだが、一国の王という並々ならない重責に狼狽し軽く萎縮しかけた今回はかえって有難い。
女は母に後押されるように玉座に収まる覚悟を決めた。
女が一旦腹を括りこの破格の待遇を甘受しさえすれば。慣れるまで左程時間はかからなかった。
女にとって豪奢な装束も、煌びやかな装飾品も、それはそれで魅力的ではある。しかし女が嬉しかったのはもっと別の理由だった。
女が通ると、彼女の前を沢山の人が平伏し、それに対して女が頭を下げる必要はけして無いという事実。
政では常に女の一つ一つの立ち振る舞いや一言一言を、従える百官の者らが尊び崇めてくれる。
――掌握する事がこんなにも快感だったとは……。
こうして女は箍が外れたように思いついたまま自分の要求を強引に押し通していった。それこそ国の行く末をどう作用するか考え吟味する時間を惜しむように。
そうすることが。
本来は己に自信がないにも関わらず国の中心に引き摺り出された女の。
精一杯の虚勢であり、又、身を滅ぼしてもいいと思えるほどの陶酔に耽る行為であった。
結果。
在位二十年余りで女が納める治世は終焉を迎えようとしている。女の半身ともいうべき存在である麒麟は既にこの世にはいない。
女の体がまた一層焼け付いた。女は苦痛に顔を歪める。
――私は馬鹿な王だったのだろうか。
自身が王に収まるなど夢にも思わなかった頃は、民を蔑にする王を「馬鹿だ屑だ」とひっそりと罵ってきた。
――でも。私は私なりにやってきたつもりだったのだ。
満足に持ち合わせていないであろう才知や徳行を総動員して。
――もとより不相応な大役だったのに、母も天も悪戯に私を担ぎ上げたものだ。
女は乾いた瞳で空を睨んだ。
だが。
暫くして彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝う。
――そうではない。私が、母の気持ちも天の思惑も汲み取れなかったのだ。
女の体に激痛が走った。
来るべき時が来た事を女は悟り、本能的な恐怖におののきもがく。
呼吸を荒げ必死にのた打ち回り、焼け付く喉を掻き毟りながら女は泣き叫んだ。
「お母さん」と。
白雉が末声を鳴き冢宰が女の寝所に向かうと、口を限界まで開ききった女が冷たく固まっていた。
了
すいません。微妙;;;
このネタ2.3年前から仕込んでましたが、ずっと話として上手いこと纏められずにいました。どシリアスホントに難しい〜。
というか文章が無骨すぎてもうちょっと何とかならないものかと反省です。(でももう何年も捏ねくり回してて、もう、いいやという半ば諦めの境地みたいな・爆)
さて。私がイメージする比王像。「小者が権力を振りかざしてしまったが為の不幸」というヤツです。今まで目立たないように隅っこでひっそり生きてた奴が、突然表舞台で踊らされて慣れないもんだからついフワフワ調子に乗っちゃったの。でフワフワのまんま収拾つかなくなったみたいな。。。
じゃあそんな小者に権力を握らせた天の思惑は???なんですけど。大物というのは本当に少なく国の大多数は目立たない小者たちばかりだと思うのです。比王はそんな隅っこの気持ちを代弁してくれると思ったからやらせてみたのではないかなぁ〜と。しかし彼女は天の思惑を感じられなかった…という。
天も試行錯誤してるんだね。なんか気まぐれにやってる感じもするけれど。
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2010.10.26初稿
素材提供 MILKCATさま
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