お前が昇山すると周囲が色めきたっていた時も。
 私はそれを知る由もなかった。
 だがお前が蒿里の懐に入ることが出来た様子を目の当たりにして。
 私はどうしようもなくお前に興味をもった。
 私がこんなに諦めの悪い男だなんて。
 お前に会うまで気がつきもしなかった。


諦めの悪い男


 かねてより準備をし時がみつるのを十分に待った夏至の日。 私は一世一代の野望を天に計って貰う為に蓬山を登った。勝算があると自負しているから険しい道のりも苦にはならない。 その思いにたどり着くまで散々自問自答を繰り返し決意しているのだ。
 私は王になる。
 私が戴極国の道しるべになる。
 そう信じていた。


 しかし蓬山で初めて蒿里と対面しその時発せられた言葉は、私が期待していたものではなかった。

――中日までご無事で――

 周囲にざわめきが起こりその中から「乍ではなかったか」という言葉が耳に入った。そこで私は自分が王の選定から弾かれた事を認識する。 改めて蒿里を見れば彼はそれ以降少しも私と視線を合わそうとはしなかった。 あからさまに避けようとする態度。隣で私を鋭い目つきで睨みつける女仙を見て、私が蒿里を酷く怯えさせている事を悟る。
 我慢に据えかねた為の行いとは言え結局相手の挑発に乗ってしまった私闘によって結局悪戯に周囲を怖がらせた。 その事こそが既に愚かであると。愚かな者に王は勤まらぬと。怯えた蒿里の姿が無言に語っているようにも思えた。


 それから数日がたった。私は心がけて平気な風を装う事にしたのだが恐らく空々しいのだろう、相変わらず私に対してどう声をかけようかと同行者は様子を伺っているように思えた。 かつてない程の居心地の悪さを肌に受け、出来ればこのまま早々に蓬山を立ち去りたいと考えていた時、同行者の一人厳趙が蒿里と急速に親交を深めている女将軍がいるという話をもってきたのである。
「その者が王なのか」
 私は確認せずにはいられなかった。すると厳趙は頭を横に振った。
「違うらしい。公からはっきりと言われたそうだ」
「……そう、か」
 おかしなもので、まだ王が見つかっていないという事実は私の心を軽くする。もう私にはその資格がない事は明白であるのに。
「だがその女を公は事の外気に入っているらしい。『公が連日お越しになっておられる』と追従している師師が自慢げに話しておったわ」
「名はなんと申す」
 聞いてもせん無き事と知りつつ私の唇から自然と言葉が滑る。そんな己に苦笑ししていると、待ってましたとばかりに厳趙は話し出した。
「承州師将軍の李斎だよ。知っているだろう。随分と腕がたち才知に富んだ女だと軍の間では以前から評判だったではないか」
「すまないが実を申すとよく知らぬ。……それほどの才女なのか」
「ああ、お前は下々の噂話など興味が無いものな。話半分としても何かと目立つ存在だ。『承州師に李斎あり』と謳われているそうだ。……本人はその事をどう思っているか知らぬがな」
 厳趙の言うとおり以前ならこの手の話は戯言と聞く耳ももたなかった。だが今回ばかりは事情が違う。王の選定に弾かれたばかりか蒿里を怯えさせる事しか出来なかった事は私にとって思いのほか痛手が大きかったらしい。
「さて、俺はちょっと外の空気でも吸いに行って来るわ」
 そう言うと厳趙は天幕の入り口を徐に広げそして動きが止まった。
「おっ、噂の将軍殿が公を連れておられるぞ」
 したり顔で振り向き私に視線を向ける。このまま興味の無い素振りをするのも落ち着かなく思えた私は厳趙の後について天幕から外を見た。
 稚い蒿里の肩を大事に抱くようにして歩くお前の姿は抜群の存在感を見せ、私は目が離せなくなっていた。
「いい女だな」
 凝視している私の横で厳趙がそう言って含み笑いをする。厳趙の言葉に驚き私は視線を逸らすと、彼は更ににやついた笑みを浮かべる。
「お前がそれ程注目するとはなぁ。どうだ気になるか」
「ああ」
 思わず出た返事に厳趙は「そうか、そうか」と満足げに笑いそのまま外へ出て行こうとする。そこで厳趙が微妙に思い違いをしている事を悟り慌てて否定するも彼は「分った分った」と適当に相槌を打って笑いながらその場を去った。
 どうやら厳趙は私がお前に惚けたと思い込んでしまっているようだが少々誤解している。私が持った感情はそんな生温いものではない。
 これは……恐らく……

 嫉妬にも似た羨望。

 蒿里の寵愛を一身に受けるお前が羨ましくて仕方が無い。
 私に無くてお前に備わっているもの。追求したとて私が目指したものは届かぬのに燻る欲求を止められない。
 矛盾した思いに戸惑いながら私はお前達の後ろ姿を見つめていた。


 お前と言葉を交わす切っ掛けはすぐにやってきた。ある時私が外出から戻ろうとするとお前が私の天幕の前に蒿里を伴って佇んでいたのである。 私に用があるようで天幕に向かってお前は声を掛けていた。
「失礼をつかまつる。表の趨虞の主はあおいでか」
 張りのある声。凛とした姿。興味の対象が思いがけず目の前にいる事に気がはやり私はお前の背後ですぐこう返した。
「――計都のことなら、私の乗騎だが」
 背後から突然声がするのだ驚いても無理はない。お前は瞬時に蒿里を庇うようにして身構えていた。しかしすぐに緊張はほぐれ今度は別の驚きを見せたようだった。お前は慌てて居ずまいを正し礼をとろうとする。
「初におめもじつかまつります。私は――」
 その姿が妙に微笑ましく私は軽く笑った。
「承州師の李斎殿であろう」
 私からお前の名が発せられるのがよほど驚いたのか対するお前は軽く目を見開く。お前の表情に少々臆した私は厳趙が話していた事を持ち出した。
「将軍はご高名であられることをご存知ないらしい」
 更に驚いた様子を見せるお前の傍で蒿里が突然口を挟んだ。
「やっぱり。あ……、すみません」
 それで私達の周りは一気に和やかな雰囲気に包まれた。それから話題は広がり、お前が頬を赤らめる姿や蒿里が柔らかい表情を見せてくれている姿を垣間見た私は心に暖かいものが満ちてくる心地だった。しかしそれでも私は、蒿里が嬉しそうにお前の事を語る姿に一抹の寂しさを感じていた。
 それからというもの、蒿里はお前の所に寄った後で私の所に訪問してくれる。麒麟が訪問してくるとは誠に光栄だが、私は蒿里が時より私に対して怯えた目を向けるのを心苦しく感じていた。そんな蒿里もお前の話題の時は屈託なく良く笑う。私はその笑顔を見る度お前を欽羨しつつ同時にお前に対して深く興味を抱くようになる。
 私が王になるという望みは潰えてしまった。聞けばお前もそうだという。
 私はその傷からいまだ立ち直れないでいる。ならばお前はどうなのか。
 志をもち覚悟の上での昇山だ。傷つかない訳などない。その引導を渡した張本人にお前は懐深く接している。
 それは傷を乗り越えたという事なのか。ではお前は私にって尊ぶに値する存在だ。
 恐らく蒿里はそんなお前のしなやかな強さや優しさを感じ取っているのだろう。だからあんなにも心を開いている。
 それならば……。
 ああどうか……。
 どうか私も……。
 麒麟が心寄せるほど深い情けに縋られせてはくれまいか。


 お前と趨虞狩りに出かける約束の前夜、私はお前を求め天幕を訪れた。
 お前の瞳を捉え少しずつ距離をつめていくとお前は至極混迷した様子で身を硬直させていた。 それで私は自分が酷く低俗な者に思え躊躇するも、芽生えた欲心に推されるままお前の身体を抱きしめていた。暫く様子を伺っていると、お前は全身を緊張させているが拒否しようとする素振りはしない。私は安堵し更なる欲求の波に飲まれようとしていた。
 二人の熱で上昇した部屋の空気で私の頭は沸騰する寸前だった。その熱に浮かされたまま私はお前の唇を必至で目指し奪おうとしてふと思い留まる。今している行為はけして合意の上ではない。お前は私に身を委ねてしまっているようだがそれは情欲に支配されている男に抵抗出来ないからではないだろうか。
 お前の瞳に私はどう映っている。勝手な言い草かもしれないが、お前まで私を受け入れ難い等と思わないでくれ。
 私は迷った挙句お前の首筋に顔を埋め恐る恐る口付けた。唇に柔肌の感触が乗る度私の心は解されていく。昇山してからの私は自分の羞恥心やそれを取り繕うとする浅ましい思いや低俗な羨望や醜い嫉妬に捕らわれ、そう思う自分が惨めで仕方がなかった。 それがお前の前でなら忘れられる。お前の慈悲に縋れば私の凝り固まった思いが更々と砂の如く崩れていく。 ……そう自分を誤魔化せる気がするのだ。
 それでもまだ足掻く私にとってお前の唇は遠い。ここまで踏み出しておいて今更何を取り繕うとしているのか軽く呆れたその時。私の唇にお前のそれが被さり私は仮初めであれ受け入れられたのだと感じたのだった。
 しかしこれは諦めの悪い男の慰めでしかない。こんな情けない行動をしてしまった私自身にも無理矢理つき合わせてしまったお前にも恥ずかしいと、私はお前との趨虞駆りが終ったらすぐにも下山する事をこの時決めた。
 私は仙籍を返上し戴極国を出る。そうすればもうお前に会うこともあるまい。そう思っていたのだが……。


 だが一度潰えた筈の野望は思いがけない展開で叶ってしまった。一旦は手放しに喜んだものだったが、暫くして私はお前に対して犯してしまった所業を後悔する。いっそお前があの夜を盾に出世を願えばやり様もあるのにと思う。実際遠まわしに匂わせた話をお前にした事もあったがお前はこともなげに情けはいらぬと返した。 お前は斟酌に優れた女だ。恐らく私と身体を交わってしまった事について思い悩むだろう。それが私には居たたまれない。
 全ては私の身勝手な自己慰撫だったのだ。それにお前を巻き込んだ。これ以上お前を思い悩ます訳にはいかぬ。あの蓬山での夜は忘れるのが得策。それを頭では十分分っている筈なのだが。 知ってしまったお前のしなやかさや温かさを完全に捨て去る勇気が私にはどうしても出来ない。
 青々とした若葉に目を細め内殿から移動しようと園林を渡ると、向こうから整然とした佇まいで歩みよるお前と目が合った。漂う草木の香が、蓬山での艶めいた一時を思い起こさせ、それが強烈に甘い常楽へ誘っていく。
 私はお前の瞳をとらえ手を伸ばして腕を取り、口早に懇願した。
「……待っている」と。


 放したほうがお互いの為かもしれぬのに。
 私はどうしようもなくお前が欲しい。
 私がこんなに諦めの悪い男だなんて。
 お前に会うまで気がつきもしなかった。


「儚い遊び」での驍宗の行動をフォローしようと書き始めたのだが、更におかしな事に;;;
これは恐らく「相手に縋る」「欲望に流される」というシチュエーションに事の外テンションの上がる性癖を持つ私が考え捏ね繰りまわす内に無意識にこうなってしまったからかと。
苛烈なほどに自信に満ちた、俺様、驍宗様。私的には随所に散りばめて萌え楽しんでおりますが…分り難いかもしれませんね。技量不足だよなぁ;;
そうそう驍宗が蓬山に登って初めて李斎の存在を知るという設定にした理由。それは驍宗は自分大好きだろうからあまり他人の評判に興味がないと思ったんです。ましてや州候軍の将軍は王直属軍からすれば格下な訳で、前から李斎を知っていたとは私はどうも考え難かった(アニメでは前から良く知っているような風で、それはそれで凄く美味しい設定だったけど)
驍宗は相当プライドの高い男と考えそのプライドが挫かれた時どうなってしまうんだろうと考えながら創作しました。いつの間にやら諦めの悪い理由が微妙に変化する駄目っぷり驍宗となってしまいました。
まったくねぇ〜。いつになったら完全無欠に男前な野郎を書くことが出来るのだろう、私(しかしそんな男が好物なんだからしょうがないか←と結局最後は開き直る)
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2008.6初稿
素材提供 Kigenさま
禁無断転写