失って分かるもの

 元州牧伯死亡。
 その報告を受けた時、私の中で熱き炎の龍が荒れ狂うのを感じた。
 何故、早く気が付かなかったのだろう。
 私は取り返しのない事をしてしまった。
 もう永久に、あの者をこの腕に抱く事は叶わない。

 私が彼女――驪媚と出会ったのは、私が政務の間、頭を冷やす為雲海を眺めていた時であった。この国を思い、粉骨砕身働いているつもりだが、実際は自分の思い通りにはいかぬものである。中には
「雁州国で出世したくば、主上に、気の触れた様な事を申せばよい」
と、馬鹿な事を揶揄する者もいて。それは同時に、私や帷湍に対する嫉妬の表れなのだが。聞くにつけ情けない面持ちになった。
 溜息をこぼし、ふと見ると、沢山の資料を抱えた驪媚を見つけたのだった。
 私はどういう訳か、驪媚に吸い込まれる様に近付いていった。驪媚は突然の事で後ずさり、危うく資料を落としそうになる。私はただ無心に、驪媚の腕をとり、自分の方へ引き寄せて抱きすくめた。
「大事はなかったかい?」
「…え、えぇ。有難うございます、朱衡殿」
「随分沢山だねぇ。これでは前が見えないでしょう。かしなさい。私が半分持ちましょう」
「いえっ、そんな、一人で大丈夫ですから」
 断わられた事が酷く気に障り、私はいつもの悪い癖――尚隆様が仰るには「朱衡の嫌味は天下一品」を出してしまう。
「と言って、又、あの様な事になり、我が国の大事な資料が台無しになってしまっては、かないませんでしょう」
「…あっ、それは…」
 私の言葉を聞き、居たたまれない表情になる驪媚を見て、慌てて私は取り繕う。
「失礼。言い過ぎましたね。ですが、あなたは堂々と私を使っても差し支えないと言う事なのですよ」

 このまま別れるのは口惜しいと 私は 驪媚と庭園で話をしようと誘う。とは言っても、なにをどう話していいのか分からない。
 暫く気まずい空気が漂う。
 とりあえず、二人の共通の話題を出そう。
 私は、驪媚が尚隆様をどう思っているか聞こうとした。
「尚隆様は それは 素晴らしい方で…」
言った驪媚の。心ここにあらずな言葉が空々しく聞こえ私は
「模範解答だね」
と、又も嫌味を言ってしまう。
「本当にそう思っている者が、一体どれだけ入るのだろう。まぁ、尚隆様の今までの行いを見れば、仕方の無い事だけれど」
 すると驪媚は、今までとは明らかに違う態度で話し出した。
「違います。尚隆様は立派なお方でございます。確かになさる事は突拍子ないかも知れませんが、全て故あっての事。朱衡殿、成笙殿、帷湍殿の人事におかれましても、その他の官や民をよく理解した上での事と推察致します。尚隆様は人を使う事がお上手でございます。私は 尚隆様こそが、今の我が国に必要な、真の王と思っております」
 その凛とした佇まい。私は驪媚から目が離せなかった。
 驪媚は 私の視線に気付くと、慌てて目をそらそうとする。しかし、それはさせなかった。
 私は一人じゃない。ここにこんなにも尚隆様を思う官がいたではないか。
「驪媚殿、あなたは なかなか鋭い目をお持ちになっている」
 それから私達はいろいろな話をし、お互いに尚隆様をお守りし助ける事が、今の使命だと誓い合い別れた。
 その時は、本当に、同士だとしか思わなかったのだ。

「朱衡、お前、今日はやけに機嫌がいいな」
 榻に寝転びながら、私が持ってきた書類に目を通す尚隆様。
「気のせいでございましょう」
 努めて平静を装っているが、私は心が浮き足立っているのを感じていた。
「ふーん、そう、か。まぁ、いいけど。…おや、お前の着物から、いつもと違う香りがするぞ。女性が好んで使用する様な…」
「えっ!本当ですか?」
 私は思わず、着物の袖の臭いを嗅ぐ。その様子をニヤニヤと見ている尚隆様。
「気になると言う事は、やはり女と会っていたのか。…どうだ。いい女だったか」
 謀られた!こんな簡単な手に やすやすと嵌まるなんて。私は溜息をつくと、話を切り出した。
「そんな色っぽい仲ではないですけれどね、なかなか頭のいい女官と知り合いになりました。名は、驪媚と言っていました。司刑の官の一人の様です。物事の本質をよく見抜いている女でした。何よりこの国を大切に思っている。驪媚なら、尚隆様の手足となり、よく働いてくれますよ」
「めったに人を褒めぬお前が、そこまで言うんだ。聡い女なのだろう。そう、驪媚、か…」
 尚隆様は、驪媚と言う名前を忘れない様にしていると、お見受けした。そして残りの書類に目を運ばせるのだった。
 きっと驪媚が認められる日も来よう。私はそれが少々嬉しく思った。

 それがあんな事になるなんて。
 数日後、尚隆様から思いがけない言葉を聞いた。
「驪媚を、元州の牧伯に命じようと思う」
 私の心に緊張が走った。司刑の官から牧伯とはかなりの出世だが、私は牧伯の真の仕事を知っている。州侯からは、王の犬と言われ、何かあれば人質にされてしまう。最悪は死する事も…。
「何故一介の司刑の官を牧伯等と。 もっと身分相応の者がおりますでしょう」
 私は、先程思った事はあえて聞かず、「身分」等という、私には似つかわしくない言葉を出してしまった。
「俺は 能力のある者なら、たとえ下働きでも登用するが。それは、お前が一番知っているだろう。何を今更、身分等と…」
 尚隆様は、理解できないと言いたげなお顔をなさっている。
 私はもう、尚隆様に誤魔化す事は出来ぬ。
「…失礼致しました。私は、驪媚が牧伯になるという事に、憤りを感じております。他にも人はおりましょう。何もなければいいが、牧伯は何時命を狙われるとも限らない。ならば、いっそ私が…」
 何故、私は必死に止めたかったのか、その時は分からなかった。ただ酷く嫌な予感がしていたのだ。
 尚隆様は、だまって私の話を聞いて、静かに話し出した。
「牧伯は、俺にとって大切な手足となる。だからこそ、信用の置ける者に任せたい。お前から驪媚の話を聞かなければ お前に行って貰う事も考えたが、やはりお前には無理だ。お前が、牧伯等、勤まるはずがないだろう。なぁ、朱衡、冷静に考えてみろ。お前は、州侯城で何を見ても怺えて、ただ報だけ伝える事が出来るのか?特に指示のある事以外、長いものに巻かれていろという事が辛抱できるのか?驪媚については、あれからいろいろ、仕事振りや人となりを調べさせて貰った。確かにお前の言う通り、物事の本質を見分ける女だ。真面目にこの仕事をやってくれるだろう」
「ですが、牧伯はやはり危険な仕事。驪媚じゃなくともよいでしょう。やはり私に…」
 刹那、私は尚隆様の、熱く滾る鋭い瞳を、見てしまった。
「だからこそ、お前に行って貰っては困るのだ!」

―万が一 お前が死ぬ等という事は、俺が許さない―

 この瞳の前では、私は無力なのだ。
 一度触れれば、焼き尽くさんばかりの、情熱に似た瞳。
 なんだろう、尚隆様から発せられる、この苦しい思いは。
 ただ、この瞳には逆らえぬ。
 そして私は驪媚に会えぬまま、別れてしまった。

 驪媚が死んだ。
 報告を受けた時、私は全てを知ってしまった。自分の気持ちも。尚隆様の思いも。
 後に私は、尚隆様に抱かれた。私がお誘い申し上げたのだ。
「お前はこれでよかったのか」
 尚隆様の苦しそうなそのお顔。
「尚隆様が望んだ事では、ございませぬか」
 もう、どうでもよかった。ただこの虚無感を、尚隆様の想いで埋めてしまいたかった。そしてわかった事は、尚隆様も心に虚無感を抱いていると言う事。ならば私が、一時でも忘れさせよう。私も尚隆様と身体が繋がっている時だけ、この想いから逃れられる。

 何故、早く気が付かなかったのだろう。
 私は取り返しのつかぬ事をしてしまった。
 もう永久に、驪媚をこの腕に抱く事は…叶わない。


こんな設定にしてますけどね。私は朱尚の方も、好物だったりします(爆)
考えても見て下さいよ。昼は王として虚勢を多少は張らねばならない者が、オフ時に、しかも極限られた者だけに見せる色っぽい姿。艶やかな声。
攻め立てられ、しなう身体…。しかも相手は、自分が普段、顎で使っている臣下。…楽しい。
今回は朱衡総受けであって欲しかったので、想いも、ついでに臥牀での攻守も受けめいた感じにさせてしまいました。
本当に綺麗な殿方は、どっちにも転び易く、何かと大変でございますね。(てめぇが、そうさせてんだろ)
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2004.5.初稿

素材提供 篝火幻燈さま
禁無断転写