守らねばならぬもの

 ねぇ朱衡殿。私はあなたの大切なものを 守り通せそうかしら?

 囚われている子供を寝かしつけた後、薄暗い牢の中、私は明かり取りの炎を見つめていた。
 私は明日 行動を起こす。
 それがこの先 どう影響するか分からないけれど。
 取るに足らない事になるやも知れないけれど。
 私にはこうする事が精一杯なの。
 あなたが大切にしている この国を、王を、民を。私は私なりのやり方で守ってみせる。それが、王の そしてあなたの望みなのだから。

 ねぇ朱衡殿。あなたは知っているかしら?
 私があなたの背中をいつも追いかけていた事を。
 夫や子供と別れ、女一人で国州の官吏になった時、言いようのない寂しさを感じた。
 だから寂しさを消し去る為、遮二無二働く。この国は荒廃している。立て直さなければ。夫や子供のために。
 当時、私は裁判を司る司刑の官、あなたは春官の一、内史の下官だった。
 あなたが起こした事件は今でも覚えている。王が登極して三日目。王が内史府を巡視した時、あなたはこう言った。
「すでに謚は用意してある。興王と滅王がそれだ。あなたは雁を興す王になるか、雁を滅ぼす王になるであろう。そのどちらがお好みか」
 この事件を聞いた時、なんと破天荒な官がいるものだと驚いた。王にむかってよくそんな恐れ多い事を。しかしあなたが言った言葉にも一理ある。我らはもう待てないのだ。誰しも、滅王等と言う謚はいらないだろう。王には是が非でも国を興して欲しい。そう逼迫した言葉は、同時に私の願いでもあった。
 それからというもの、私はあなたが気になって仕方がなかった。

 ある時、沢山の資料を抱えながら回廊を歩いていると、雲海を眺めるあなたに遭遇した。
 その頃 もうあなたは 朝士として働いていた。そよぐ風を 陶器の様な 白い頬に受け、微動だにせず雲海を見つめるあなた。まるで そこだけ時が止まった様だった。これがあの、政務を素早くこなし、官にも的確な指示を与える 朝士とは思えない程の優美な世界。あなたは か弱く、吸い込まれる様に美しかった。思わず立ち止まり、暫く食い入る様に見つめる。すると、こちらの様子に気付いたあなたは、ゆるゆると私の所へ歩き出した。びっくりして、危うく資料を落としそうになる。慌てて抱え込もうと無理な体勢を作る私を、あなたはその見た目からは想像出来ない程の強さで抱きしめる。
「大事は なかったかい」
ゆっくり微笑むあなたの顔の、なんと美しい事。
「…え、えぇ。有難うございます、朱衡殿」
思わず知らず声が上ずる。私は 己の心が 高揚してくるのを 感じ取っていた。
「随分沢山だねぇ。これでは前が見えないでしょう。貸しなさい。私が半分持ちましょう」
「いえっ、そんな、一人で大丈夫ですから」
「と言って、又、あの様な事になり、我が国の大切な資料が台無しになってしまっては、叶いませんでしょう」
「…あっ、それは…」
「失礼、言い過ぎましたね。ですが、あなたは堂々と 私を使っても 差し支えないと言う事なのですよ」
そう言って、あなたは流れる様な動きで 私から資料を取り上げた。

「驪媚殿と言ったね。あなたは今の延王君―尚隆様をどう思っているんだい」
 資料を届けた後、私達は庭園で話をする事になった。と言っても、私は なにをどうしていいものか 考えあぐねてしまい、暫く気まずい空気が流れるのだが。それを打ち破る様に、少し低めのあなたの声が、私を「驪媚」とそう告げた。
 私は あなたのその声に 心がざわめく。
「尚隆様は それは 素晴らしい方で…」
 心の動揺を 悟られない為に、私は急いで取り繕うとする。
「模範解答だね」
 すると、くつりとあなたは笑った。
「本当にそう思っている者が、一体どれだけいるのだろう。まぁ、尚隆様の今までの行いを見れば仕方のない事だけれど」
そう 自嘲気味に笑う あなたを見て、私は思わず まくしたてた。
「違います。尚隆様は立派なお方でございます。確かに、なさる事は突拍子ないかも知れませんが、すべて故あっての事。朱衡殿、成笙殿、帷湍殿の人事におかれましても、その他の官や民をよく理解した上での事と推察致します。尚隆様は人を使う事がお上手でございます。私は 尚隆様こそが、今の 我が国に 必要な 真の王と 思っております」
 気がつくと、目を見開き こちらをまじまじと見つめる あなたと目が合った。私は慌てて目を背け様とすると、それをさせないかの様に、あなたの手が私の頬を包み、己の方へ向けさせる。
 そして破顔してこう言った。
「驪媚殿、あなたは なかなか鋭い目をお持ちになっている」

 すぐに私から手を離すと、あなたは 庭園に設えてあった木から 一枚葉をちぎると、くるくるもてあそびながら、ゆっくり話していった。
「驪媚殿のような者が、何人もいれば、この国も少しはましになるだろうに。私も尚隆様には 真の王の器 というものを感じている。やる事はめちゃくちゃだが、尚隆様はこの国を民を愛しておられる。私は 尚隆様にお仕え出来ている事を 心の底から嬉しいと思っているのだよ」
「さようでございましたか。私はてっきり 尚隆様と朱衡殿が、言い争ってばかりいるので、本当はあまりお好きではないのかしらと思っておりました」
 つい、今まで疑問に思っていた事を喋ってしまう。それ程 あの時の 私とあなたは 打ち解けていると思ってしまったの。
「それは、まぁ、ね。尚隆様を調子に乗らせてはいけないだろう。あっ、先程 言った事は 尚隆様には秘密、な」
 私達は、お互いにくすくす笑い合う。
「とにかく、尚隆様をお守りする事が 私たちの勤めだ。驪媚殿、これからもそうしてくれるね」
「えぇ。私は 尚隆様をお守りする事が 私の使命だと 思っております」
 そう言って、私達は別れた。

 それから 程なくして、私は元州の牧伯を拝命したのだ。
「お前が 驪媚か」
 近くで拝見する尚隆様は、神々しいばかりの王気に満ちていた。
 やはり、この方は私達とは違う者なのだ。
 人として生きながら、神。
「さようでございます」
 私は 尚隆様の王気に圧倒され、それだけ言うのが精一杯だった。
「お前の事は 朱衡より聞いている。なかなか頭の良い女なんだってな」
 あなたの名前を聞いて、私の心は又もざわめく。
「お前になら この俺を守りきれると、あいつ目を輝かせて言っておったわ」
「もったいないお言葉でございます」
「そこで、だ。お前に 頼みたい事 がある。元州を見張ってもらいたいのだ。牧伯を命ずる」
 私は 半ば 感極まって 礼拝した。牧伯の 本当の仕事を 理解せぬままに。
 そんな私を見て、尚隆様は首を横に振った。その顔色には苦渋の色が見える。
「礼は言わぬ方がいい。仮に州城が叛旗を翻せば、間違いなくお前の身は危ない。州侯城へ行ってくれと言うは、万が一、事あった時は命を捨ててくれと言う事に等しい。この人事を決める際、朱衡は『自分が行く』と言って聞かなかった。正直、お前と朱衡とどちらに行かせるか最後まで悩んだ。しかし両者の長短を鑑みれば、どうあっても お前の方が適任の様に思われる。朱衡には、州侯城で何を見ても怺えて ただ報だけせよ、特に指示のある事以外長いものに巻かれていろとは 到底言えぬ。……辛抱できるはずがない」
 私は礼拝したまま、尚隆様の胸に響く重たい声を聞いていた。
「―行ってくれるか」
 尚隆様は、けして愚か者でも 無責任でもなかった。
 やはり王たるべきお方。
 私は尚隆様のために全身全霊で、この使命を全うしなければならないと決心した。それが 朱衡殿、あなたとの約束だから。

 そして今その時がきている。
 私は台輔の額から、赤索条と言う赤い糸で括られた 白い石を剥ぎ取った。これは助けたい者の額から 無理に取ろうとすると、残された者に術がかかり赤索条が絞まり 助からなくなるらしい。更夜がその様に術を施した。
 とうとう私は使命を全うする為に、一人のいたいけな子供まで道連れにするのか。それを思うと少し怯んだ。私にもまだ母の記憶が残っていたという事か。
 しかしこれは国の大事に関わる事なのだ。囚われていた子には申しわけないが、供に冥界に参ろうぞ。
 薄れてゆく意識の中、私は血まみれになりながら 恐怖に凍りつく自国の麒麟を眺めていた。あぁ 台輔は血にお弱いのであった。しかしもうすぐ、更夜がやってくるだろう。あれは逆賊の一味ではあるが 台輔にはお優しい。きっと、何とか、なる。
「…驪媚…どおして…」
 台輔が搾り出すような声を発する。そこまでして 何を守りたいと 言いたげなそのお顔。
 そう言えば 台輔は、私が尚隆様をお慕い申し上げていると思っているのだった。
 そんな事ある筈もないのに。
 あの方は王。
 人として生まれながらにして、神。
 神に恋するは恐れ多い事。
 私は…。
 私がお慕い申し上げている人は……。

 ねぇ朱衡殿。私はあなたの大切なものを 守り通せそうかしら?
 あなたの大切なものは、私の大切なもの。私は私に課せられた使命を全うするわ。

 そう、私は、元州牧伯―驪媚


                  


驪媚の本当の気持ちは如何だったんでしょうね。
私は、但し書きでも申しましたが、王である尚隆に恋慕を抱く思考は、驪媚にはない気がしています。

だからって、朱衡が好きだっていう設定は、それは…そのう…朱衡さんフェアー仕様で。
朱衡は多分、男女ともに密かに想いを寄せられているような気がしてねぇ…。
私は、朱衡は凄く男くさい人だと思っているんですけど。
あっ、でも、雁’Sメンバーって明らかに、男所帯だからなぁ。
…綺麗な殿方は、何かと大変でございます。(何がとは、あえて言いません、よ?)

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2004.3.初稿
素材提供 篝火幻燈さま
禁無断転写