雉も鳴かずば討たれまい

 驍宗が文州へと向かった当時。王宮の端々で妙な噂が流れ出していた。それを大司寇花影より聞いた李斎は、巌趙、臥信、阿選に報告した。彼らはあまり騒ぎ立てをしてはならぬが、一応それぞれの心の中に留めておこうと確認し合いその場を離れたのだが。
 皆と離れた阿選は密かに李斎の後をつけた。その方が泰麒の様子を良く知ることが出来ると考えたからである。睨んだ通り、その後に泰麒が李斎の所にやってきて色々と話してくれた。それによると、大司空琅燦が泰麒に例の噂を吹き込んだらしい。泰麒に対して何でもないと李斎は取り繕ったが、泰麒と別れた後李斎はすぐに冬官府へと向かって行った。
 李斎を追い掛け阿選も冬官府へ向かうが、そこから先は流石に他の者に見つかってしまう。長時間隠密行動もとっていられないと思いつつ、しかしどうしても気にかかる阿選は、手前でひっそりと待つ事にした。
 日も陰り出していて辺りが暗い事も幸いし、特に不審がられる事もなく待つ事少し。李斎がそこから遠ざかるのを待って彼は素早く冬官府へ入り込んだ。


 阿選が向かった目的の一室は文書と書籍がうずたかく積まれていて、その山から理知的な女の声が聞こえた。
「今日は、やたら訪問者が多い事だねぇ。もう帰ろうかと思っていた所だったんだけど」
「拙の他にも誰か先客が?」
白々しく阿選が口を開くと
「過保護のお姉様が、ね」
そう勿体振って琅燦は答えた。
「ああ」
阿選が得たりという顔を作ると、琅燦は満足げに頷く。
「彼女、私が泰麒に口添えした件で言いたい事があったらしい」
(それだよ)
 阿選は心で毒づいた。しかし何事もない面構えで下官が用意した椅子に腰掛ける。琅燦はその場から動かず持っていた書籍を忙しそうにめくっていた。阿選は琅燦に対して一定の礼をとりつつも、悠然とひじ掛けに身を預けた。
「琅燦殿、主上が謀られたかもしれぬと台輔におっしゃったそうですな」
「君もそれが気に入らないと?そう言いたいの?」
琅燦はそれまで目を通していた書籍から視線を外し目頭を軽く指で押さえ、盛大にため息をつく。阿選が黙ったままでいると、琅燦はくるりと向き直り阿選の姿を捉えた。
「李斎にも言ったが。君らは台輔の力量を見誤ってないか?」
琅燦は虚勢を張ろうとして精一杯声を張り上げた。辺りは暫く重い静寂が流れる。しかしそれを破ったのは阿選の思いがけない答えだった。
「……ですな」
琅燦は目を見開いた。
「阿選、君もそう思うか?」
琅燦は同朋を見つけたとばかりに身を乗り出してそう聞いた。阿選は不敵な笑みでこれを返す。
「そうか、そうか」
と琅燦は一人頷き、自身の(つくえ)へいそいそと戻り腰を落ち着けた。
(だからこんなにも回りくどいやり方で動いているのだろうが)
 琅燦の動きを注意深く追いながら阿選は思う。実は彼も泰麒に噂を話すつもりでいた。しかしそれは琅燦が勝手に動いてくれた。阿選が密かに進めている計画に琅燦は入っていない。
(この女、昔からやけに頭が切れる。台輔に余分な事を吹き込んだのも、何か感づいたからか?)
そう疑いかけた阿選は彼女の思惑を探ろうとここにいるのだ。彼は琅燦に己の本音を悟られぬよう、ひじ掛けにかけた手の指先で歪みそうになる口元を上手く隠し様子を伺う事にした。


 そんな阿選の思惑を知ってか知らずか、琅燦は案に肘をつき両方の指を組んでそこに顎を預けた。
「もっと台輔に主上の状況を知らせてやる。それが理を通す事だろう?」
「それが台輔にはあまりに酷な事であってもか?」
阿選の瞳が揺らめいた。
「良い知らせは耳に心地良い。しかし台輔は聡いお方。それがおかしい事くらいすぐに見破っておいでだ。だから私はあえて申し上げた。それをとやかく言われる筋合いはない」
凛とした姿で言い切る琅燦を、阿選はちらりと見て鼻先でせせら笑った。
(なんだそういう事か)
「……他愛もない」
思わず口から出てしまった言葉の音の大きさに阿選は慌てた。とはいえ実際は阿選だけが聞き取れるだけの音量でしかなかったのだが。それでも少し表情が硬くなってしまった。
「どうかしたか阿選殿」
琅燦は瞼をぱちぱちさせた。阿選は瞳を閉じ深呼吸をした。そして目を開けると取り澄ました顔で口を開く。
「左様。琅燦殿のおっしゃる通りだ」


「それに台輔には饕餮(とうてつ)がいるではないか」
尚も流れるが如く話す琅燦の。その言葉を聞いた瞬間阿選の身に緊張が走る。
「使令………か」
阿選は短く返事をした。次第に心を焦りが侵食する。
(饕餮はまずい)
 驍宗と泰麒が寄り添う事。それは阿選がこれから起こそうとしている計画には邪魔な要因であった。
(二人を離し、それぞれにほんの少し不安を煽れば上々。後はいくら二人の周りに護衛が張り付いていようとも恐るるに足らず思っていた。しかしこれででは……)
阿選は新たに立ちはだかる不安要素に悩みつつ、目の前にいる琅燦に注目した。
(侮れんこの女)
 一方琅燦は己の考えが思いがけず理解を得られた事に気をよくし朗々と話し続ける。
「当面はあれが台輔を護ってくれる。そうだろう?阿選殿」
「……」
「聞いておるのか?」
琅燦が訝しむので、阿選は慌てて表情を引き締めた。
「……そう……です、な」


「しかし問題は山積みだな」
 琅燦は腕を組み考え込んだ。
「今、主上とやり取りしようにも、文州は遠いから空行師を使っても数日はかかる」
ぼそりと呟く琅燦の言葉に阿選の口角が知らず引き上がる。
(だから驍宗には行ってもらった。誠、文州は奴をおびき出すのに都合のいい所よ)
しかしすぐに苦虫を噛んだ表情になる。
(これで残された泰麒は簡単に始末出来ると思っていたが……饕餮、あれを何とかせねばならん)
阿選の真意など知らぬ琅燦は、言葉少ない目の前の男が、自分と同じく戴極国の行く末を案じていると思い込んで話していた。
「と、なるとだ。切羽詰まった時、一番確実で早いのは台輔の使令だな。だか奴らが台輔の傍を離れた時、台輔は丸腰に近い。使令が二つというのは痛いな」
 その言葉を聞いた途端、阿選は弾かれたように目を見開いた。そして彼は飢えた獣のように琅燦の髪の毛から足のつま先まで次は足元から瞳まで眺め回す。
(そうか。そうすればいいのか)
 琅燦は阿選からの真っ直ぐな視線を感じた。
「ん?どうかしたか?」
阿選の視線があまりにも異様な粘着質に思え彼女は知らず身体を強張らせる。
「阿選、殿?」
「……賢い女だ」
気付けば琅燦の至近距離に阿選は近寄り薄笑いを浮かべていた。
(怖い)
琅燦は本能的にそう思った。同時にそう思う己に対し混乱する。
(私は何を脅えているんだ?まさかこの男が怖いのか?)
 琅燦は恐る恐る阿選に目をやる。彼は武人独特の威圧感を相当持っているのは誰の目から見ても明らかである。しかし異例の早さで出世し冬官府の長に納まった琅燦は、時に荒くれで無理難題を吹っかける武人や工匠達を、自他共に認める博識の限りを尽くして理路整然と渡りあってきた。今更畏縮する筈もない。
(だがこの男の射ぬかれそうな瞳の前で私は……)
 音も無く差し延べられた阿選の手が琅燦のか細い肩に触れた時、彼女は思わず身を震わせた。その気配が阿選にも伝わったが、彼は意に関せず嫌に落ち着いた声音で語り出す。
「確かに迅速かつ強大な饕餮が動けば、主上も心強いでしょうな。しかし主上のお傍に饕餮や汕子を出してしまえば台輔はお独り。誠、使令が二つとは身の不運」
「……」
 僅かに揺れるか細い肩の振動。それを阿選は楽しんでいた。
「そこにいち早く注目した貴殿は……」
 阿選の顔が琅燦の耳元に近付き囁きかけた。
「流石聡明なお方でございます」
 阿選の横顔が妖しい微笑をたたえていた事など琅燦は知る由もない。それほど琅燦は阿選の前で固まっていた。
(妙な胸騒ぎがするのに、これ以上詮索はならぬと強力な圧力を感じる)
「あ、せ……」
 身のすくむ思いでそれでもようやく口を開きかけた琅燦だったが、ついと彼女の傍を離れた阿選の含み顔を見ると何も言えなくなってしまった。
「長居をしてしまったようだ。拙はこれにて失礼する。琅燦殿。貴重なご意見をお聞きした」
 そう言って去ろうとする阿選の背中を琅燦は幾分ほっとした面持ちで見送る。しかし琅燦は彼から発せられる強烈な何かが頭から離れないでいた。
(恐ろしいのに近寄りたい)
「だが触れればおそらく私は……」
その先を想像し震え出す身体を琅燦は独り必死で抱きしめた。


(なるほど。驍宗が目をかけて自分の麾下(はいか)に入れてただけの事はある。頭の回転が実に速い)
冬官府を出た阿選は足早に自室へ戻ろうとする所だった。
「しかし……良くも悪くもよく喋る女だな」
彼は右手で拳を作りそれで口元を隠しつつ、喉の奥を鳴らし笑い呟いた。


 その後泰麒が嫌がる使令を説得させ文州へ向かわせて程なくして泰麒は行方知れずとなる。戴国に激震が走った。



饕餮の存在、それを使役している泰麒の力量を琅燦が李斎に話しているくだりを読んでいたら、こんな事を思いついてしまった。「賢い奴が見識を得意げに言った事。それを逆手に取られたらどうなる?」
阿選部部員ですから阿選に萌え萌えは当然なのですが。今回新たに琅燦に萌えたぁ〜
琅燦は博識高く大人びた雰囲気を醸しだしていても、実際中身はウブイ少女を個人的に希望。そんな彼女が百戦錬磨の阿選(←爆裂思い込み)と絡んだら…と考えたら楽しかったです。
勢い余って、いっそチューの一つもしてやるか押し倒せばいいのにという悪ノリも仕掛けましたが。それはいき過ぎかと自主規制
毎度の事ですが「こんな妄想もどうですか」程度ですから、あまり深刻に考えないで頂ければ幸いでございますです。
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2007.10.初稿
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