心惑いて、暗鬼の誘いに身を投ず


「なぁ、二人で屈託なく剣術に励んでいた頃に、戻りたいな…」

 信頼して止まなかった、故に裏切られ、打ちのめされ、憎い、憎い、男の(げん) を肴に酒を煽る。程よく熱を持ち、ゆらゆら立ち上る癖のある香が鼻腔を擽り、僅かな暖かさが喉元を過ぎると、冷えた心が幾分溶けた気がした。

  俺がお前にかなう筈ないだろう。
  何時だってお前は眩しかった。
  褐色の肌も。適度に引き締まった肉体も。
  汗でしっとりと馴染んだ、白き髪も。
  お前の全てが輝いていた。

 俺は、お前の傍にいる事が幸せに感じ、お前のこの先を、間近で見つめる事が叶うこの状況が、永遠に続けばいいと思っていた。

「驍宗は皆に後押しされ、昇山するというぞ。阿選、お前は驕王禁軍では、驍宗とは双璧と言われただろう。あいつが、もし、王だったら如何するんだ?」
 誰かにそう面白がられた事があった。俺とお前は似ていると言われる。故に、俺がお前が王になる事を面白くないと思っているという訳だ。根拠のない噂は、奴らの退屈を紛らわすのに十分楽しい物だったらしい。

  何を、馬鹿な。
  俺とお前が似ているだって。
  こんなにも決定的に違うではないか。
  お前を見ると、俺は自分が明らかに俗物だと思い知らされる。
  そしてお前は、俺の目が眩むほど神々しい。

「――俺は、驍宗が王だろうが、そうでなかろうが、どちらでも良い。驍宗が王だと、天が導くなら、俺は驍宗を守る。……全力で、だ」

  お前の傍らで。
  お前に頼りにされて。

 それが俺の存在意義の全てだと思っていた。


 結局、お前はこの国の次王だった。
 覚えているか驍宗?お前が王に納まってすぐの新年だったな。お前は冬狩をするのだという。俺にはそれが粛清(しゅくせい)の事だとすぐに分かった。郊祀が終わって、重大な公務が少なくなる頃、驕王の(もと)で政を軽んじ、私腹を極めた狡吏(かんり)を一気に処罰する。
 お前らしいと思ったよ。
 だが、何故その手助けを俺にさせない?

 俺は使節に向かう台輔の護衛として、漣極国に向かうのだという。確かに大事な台輔をお守りする為だ。俺以下、重要な役を任じられている者を護衛につけるのも、悪くはないだろう。だが同時に、そんな大変な事を俺無しでやってしまうのか?俺は、お前が俺を一人蚊帳の外に送った様にとれて、寂しかった。
 しかし、それでも俺は、俺や正頼、潭翠、霜元は明らかに粛清の対象ではないと。それだけ俺達はお前の信頼を受けていると。そう納得をつけて漣極国に向かう事にしたのだ。
 漣極国とは、なんとものんびりとした国だった。雨潦宮についた折りには、いきなり部外者が立ち入る事はまずない、後宮まで向かわされ、驚いた事もあった。
 この国は、王が農耕に力を入れているだけあって、作物の種類が多いのだという。俺は、漣極国滞在の間に、この国の禁軍右将軍と会談する事があって、その時こんなやり取りをした。
「――ときに、丈将軍。貴殿は酒を嗜まれるか?」
「まぁ、多少は」
「さようでございますか。いえ、私も一つ気に入りの酒がありまして。丈将軍は砂糖黍(さとうきび)を蒸留して作られる酒をご存知か?」
「いや。戴極国は何分寒さが厳しい国で。なかなか作物は育たぬのです」
「これは、失礼した。では、その酒をいくつか差し上げましょう。強い酒故、少しずつ楽しまれては如何でしょう。ここは暑いですからね。私は水で薄め、浴びる様になのではございますが。…そうですね。暖めて楽しまれるのも宜しいでしょう。独特の芳香が癖になると思いますよ」
 貰ったその酒は確かに少し癖があった。漣極国の禁軍右将軍は、柑橘類を絞ったり、砂糖を加えると飲みやすいと言っていた。だが戴極国にはめったにその二つが入らない。貰っておいて悪いとも思ったが、その酒は暫く独房(へや)の片隅に置かれることとなった。


 冬狩と称した粛清は、俺が漣極国から戻る事には、滞りなく終っていた。朝廷は、静かな落ち着きを取り戻し、纏まって先に進んでいるようにも見て取れる。俺は相変わらずお前の傍で働く事を許された。俺はお前の麾下(はいか)というわけではないが、お前が俺を重用していると噂されていたし、実際俺もお前に頼りにされていると思っていた。
 が、その思いに小さな隙間が開いた。それは、針の様に小さな穴だった。
 ある時、李斎が妙な話を持ちかけた。急に大司寇になった花影とかいう女が、碌でもない事を吐いたと言うのだ。

―全ては主上のお考えなのではないか。主上があえて宮城を離れたのは、その時王宮に残された者の中から、更に粛清を執り行うのではないか―

 俺はその花影とかいう女の言っている意味が分からなかった。……いや、理解する事を拒否したと言った方が正しいだろう。

  まさか、お前が?
  俺を排除すると?
  その理由が、お前を妬んでいると思われる危険因子だからだと?
  何故、そうなるんだ。
  お前に対して俺が妬む理由があるのか?
  お前は王たる傑物だ。
  俺にとってお前は眩しい。
  だから俺は…。
  そんなお前だからこそ、俺は…。
  俺はお前の傍で、役に立てれば、それだけで…。


 無言になっている俺の傍で、供に李斎の話を聞いていた巌趙が高らかに笑った。
「いろんなことを考え出す奴がいるもんだな」
 俺はその高笑いに、漸く思考を取り戻し、なるべく己の動揺を周囲に悟られぬよう、嫌に落ち着いた声音でこう笑った。
「まぁ―悪意ある者は、他者の中に悪意を見るものだ」
 その時の俺は笑えていたのだろうか?とにかくも、何事もないといった顔を作るのに苦労した。それから、色々と冗談とも本気ともつかぬやり取りがあったが、俺はせせら笑ってこう話を締める事にした。
「用心は必要だろう。確かに、文州で轍囲は出来すぎだ」
 巌趙以下、それを聞いていた者らに、少しばかりの緊張が走った。

―噂に踊らされるな。だが、噂を軽んずるな―


 それからの俺は、その事ばかりが頭からこびりついて離れない。手当たり次第、女を抱いてみた。それでも胸に燻り出した不安は払拭できない。
 ある時、独房に置き忘れられていた酒を手に取った。直接、徳利に口をつけて飲んでみる。気になっていた癖のある香りが、己の不安を忘れさすのに十分役に立った。が、一気に足元を取られるほど酔いの回る酒でもあった。俺は漣極国の禁軍右将軍が言っていた事を思い出し、湯で薄く延ばし、あえて香りをたたせた。そうして、その酒に溺れていき、それが見せるあやかしに取り込まれていった。

  お前にとって俺はなんなのだ?
  俺が思う程、お前は俺を必要としていないのか?
  最初の粛清もそうだった。
  台舗をお守りする等と、尤もらしい理由をつけて、俺を排除したというのか?

()られる前に()る―

 ふいにその言葉が頭をよぎった。

  何を馬鹿な事を。
  例えそうであっても、お前に殺られるなら、本望だろう。
  ……。
  いや、違う。
  そうじゃないだろう!
  俺は、お前に殺られるのだけは、耐えがたいんだろう!!
  必要だと言って欲しかった。
  傍らで、手となり足となって働いて欲しいと思って欲しかった。
  それなのに…。


 とうとう俺は、行動を起こしてしまった。心が壊れちまったんだろうな。
 鮮血に濡れ、振り向きざまに言ったお前の言を思い出す。

「なぁ、二人で屈託なく剣術に励んでいた頃に、戻りたいな…」
 何を今更、そんな事を。先に仕掛けたのはそっちだろう。
 俺は無言で、蒼白となったお前の顔を見下してやった。そして、俺の愚かな行動に付き合う奴らに、お前をギリギリで生かすよう、そして軟禁するよう指示した。留めは刺してはならぬ。俺の望んでいる事はそんな事では無い。
 …思えば、この時俺は、止めて欲しいと誰かに求めていたのかも知れぬ。天が許す筈がないと。だが誰も、おかしくなってしまった俺に意見はしない。明らかに道義がわからない事に手を染めているのに、人は目の前の恐怖に怖気づいて、動けないものなんだな。そうして俺は、心に巣食う鬼の誘いに、ずるずると身を投じていった。
 次に俺は、台輔を襲い、彼の霊力の源である角を、どうにかしようとした。そうして、無理矢理服従させ、俺の好きにする。台輔が逝かれては、お前も失う事になるのだろう?それでは困るのだ、俺は。幸いにも台輔は俺を信頼している。不安で堪らない彼の心に、俺は疑われる事なくすんなり入っていけた。俺が剣を抜いても、台輔は少し怪訝そうな顔をしただけで、怯えるといった風ではなかった。だが、次第にその顔は凍りつき、足が竦んでいった。俺は獣としての台輔が持つ角を、深々とえぐりながらこう言った。
「…驍宗を選んだ、貴方が悪い」
 そう、台輔が―。
 天が―。
 驍宗を選ばなければ、俺達はこんなにおかしくならなかった。供にお互いを、尊重し合い、高め合う事が出来る、そんなささやかな幸せが、続いていた筈だ。
 取り戻せぬ時間が恨みがましいと、全て、台輔を傷つけた剣に呪いを込める。すると突然、目が潰れる様な閃光が走り、物凄い力が俺を包んだ。その凄まじい圧迫感に、俺は潰されそうになりながら、いよいよ覚悟を決めた。
 王や麒麟を傷つけた報いを。
 天より俺は罰が下されたのだ。
 が、怒涛の嵐が去った後は、何も残ってはいなかった。台輔さえもだ。
「はっ…はははっ…あっははははははっっ」
 俺は始め、呆然と目の前の現実を眺めていたが、次第に妙な昂揚感を感じ高笑いをした。

  なんだ、天はそれでよいというのか?
  俺のしたいようにしてよいと。
  それを高見で見ていてやると。
  だから俺は、生かされたのだろう?
  台輔が如何なったか知らぬが、とりあえず邪魔な奴は隠したという事なのだろう?

 俺は天を仰ぎ、こう宣言した。
「――ああ、望みどおりに進めてやるさ」
先程の怒涛の嵐で、細かく傷ついた自身の傷に手をあてがった。指先に滲んだ血。独特の鉄の味がするそれを、れろりと舐めて飲み込んだ。


 それから俺は、周囲を上手く丸め込んで、仮の王という位置に収まった。かつて、お前と俺は双璧だったと言われていたのが、ここで役に立つとはな。誰も俺が、仮の王をする事に疑問をもたなかった。
 なぁ、驍宗。お前が王として欲しかったものを。守りたかったものを。
 俺は剥奪する。奪って何もかもなくしてやる。
 驍宗。そうしたら、又俺らは、唯の男に戻れやしないだろうか?お互いに、しなくていい腹の探り合いから解放され、真っ直ぐに剣術に励んでいたあの頃に…。


 冷たい椅子に腰掛け、ゆらりゆらりとあの酒が入った器を回し、ぼんやりと過去を振り返る。立ち上る芳香が俺を惑わせ、全てが絵空事の様に思えてきた。
「――主上、気にされておられた州から、密告がありました。明後日、何やら騒ぎが起こるようです」
 薄暗い所で、俺の遥か下の床に這い蹲り、報告をする臣下がいた。
「ほう、明後日とな。ぶんぶんと煩い事だ。明日、焼き払え。跡形も無くな」
「密告者は?」
「生かすも殺すも、好きにするがいい。それと、我は《主上》と言われるのが嫌いだ。丈将軍と呼べばそれでよい」
「御意」
 暫くして声の主の気配が消えた。俺はすっかり冷めた残りの酒を、得もいわれぬ恍惚感の中、その腹に飲み込んだ。
「さて、この先は如何なるかな?」
 これまで俺を討とうと立った者らは、簡単に俺の手に落ちた。もう少し骨のある奴が出てくれば、又状況が変わるだろうか?このままだと、近い将来ここは何にもなくなる。何も無くなれば、もう、お前が王である断りがなくなるな。そしたら解放してやるよ。もう、少しだ。待っていろ、驍宗。憎い、憎い、しかし愛しい、私の白き獲物。



私の阿選熱、焚き付けて下さったco様のご作品は、右のアイコンよりお進み下さい 
尚co様は、自サイトで阿選部創設。勿論私も構成員部員です 


阿選が如何してあんな行動を起こしてしまったか?一つの考察として、出してみました。
一言で言えば「疑心暗鬼」
僅かに芽生えた心の闇、その上丁度いいタイミングで聞いてしまう噂話。それが阿選をどんどん追い詰め、一線を超えてしまったら……なぁ〜んてね。
正解(新作)が出るまでの、期間限定作品と言う事で、ご照覧下さいませ。

さて、阿選は驍宗をどう見ていたか?私は「自分とは全く違う。太刀打ちはおろか、憧れにも似た存在」ととらえていたのではないかと考えました。
周囲は二人を、何かと似ていると引き合いに出していたようですが、自分の事は自分が一番良く知っているでしょう。阿選は驍宗を見る度、自分がいかに俗物であるかを思い知らされ、輝くばかり(そう阿選には見えてるという事で)である驍宗に、ひたすら役に立ちたいと願う。しかし、冬狩で与えられた自分の役割、花影が吹いた噂、それらが阿選を「失望させた」
確証は無いのに、その思いがこびりついて離れなくて、けして危なくも無い酒に酔わされ(そう、ここで出した酒はラム酒。確かに多少は強いけど、ここまで妖しい酒じゃない。極々一般的でございます)ついに、行動を起こしてしまった。
後は、連続殺人犯のような心境で(サスペンス物の犯人ってこんな心理っぽくないですか?あれ、違う?)泰麒に手をかけ、国も滅ぼしていくと。
野郎同士の、801すれすれの、暑苦しい思い故の行動で妄想してみましたが。いや〜、又、大遊びしました、凛さん。
恒例ですが「こんなのも如何ですか」程度で一つ宜しくお願いします。

後、酒飲みぃ〜の方は突っ込まずにはおれない事項。「ラム酒でそこまで酔わされて、阿選って酒弱いの?らしくないじゃん」
分かります、分かりますとも。私もそれは微妙に引っかかるのです。
えーと、これはですね、ラム酒ベースのカクテルで「グロッグ」と言うのがあるんですが、それらしき物を阿選に飲ませたかったのです。寒い国の御仁は、ホットカクテルで身も心も温めて頂きたい。
それに、この「グロッグ」の由来から、「グロッキー」っていう言葉も生まれるんですけど。ほら、あのボクシング用語で使うあれ。それから、私は次のように妄想してしまった。「阿選は、驍宗による再三の仕打ち(と阿選が勝手に妄想してるんですけどね)にボコボコに心打ちのめされ、そして…」みたいなっっっ。スイマセン;;こんな程度の理由なんです、よ…。


「阿選部」からご来場の皆様。こんな偏狭の彼方までようこそお越し下さいました(平伏っっ)
もしお気が向きましたら、もう少し遊んでいって下されば、大変嬉しゅうございます。本宅サイト「酔訛楼」
←その一押しが励みになります

2005.10.初稿

素材提供 篝火幻燈さま

禁無断転写